20 - 更生の機会

 許さない。


 春香は目的の場所に向かって廊下を進む。その足取りは早く、芽衣咲はうしろをついていくが、これから起こるであろう出来事に不安を覚えた。



 「春香、落ち着いて。冷静に」


 「冷静になんてなってられない。絶対に認めさせて、彩華の前で謝らせる」



 昨日、圭から連絡があった。虐めの主犯は樋山希空と宮地帆音で間違いない。


 柳沢が黙秘を続けていることで、そのふたりに指示を出したのが彼である証拠はない。


 廊下を進む先にあるのは、彩華が戻ってくるべき場所だ。


 春香は教室の扉を力強く開け、大きな音が室内に響き渡る。


 生徒たちは一斉に春香を見た。


 教室のうしろで席に座って楽しそうに話している希空と帆音を見つけ、彼女は注目を浴びたまま、まっすぐにふたりのもとに歩みを進める。



 「ちょっと話があるんだけど」


 「何?」



 話したこともない春香が高圧的な態度で話しかけてきたことで、希空と帆音の表情に嫌悪が表れる。



 「待て、春香。場所を移そう」



 玲央が間に入って春香を落ち着かせようとする。



 「少し話できるかな?」



 その間に天が希空と帆音に話かけ、ふたりに時間をもらう許可をとった。


 彼女たちはそれぞれ玲央と天に好意を持っているという噂がある。天の誘いに簡単に乗ってきた。


 この状況で良い話があることは想像していないだろうが、断ると心象が悪いと判断したのだろう。


 芽衣咲たち四人は、希空と帆音を連れて教室を出ると、美術室に向かった。誰にも邪魔をされずに話ができる場所だ。


 最後に室内に入る天は美術室の扉を閉めた。



 「話って?」



 希空が玲央に近づいて微笑む。それは春香にとって非常に気持ち悪いものだった。



 「話は春香がする。俺らは立ち合いだ」


 「なんだか怖いなー」



 帆音は天の隣で緩んだ表情をしている。状況がまったく理解できていないようだ。



 「彩華が飛び降りたのは、あなたたちが虐めたからでしょ!」



 春香は今にも殴りそうな勢いでふたりを問い詰める。この一言で、ヘラヘラしていたふたりは顔を引きつらせた。


 返答は必要ない。



 「彩華ちゃんが目覚めて、本当のことを警察に話した。すぐにすべてがわかる」


 「だから、やったことを認めて、彩華に謝って。あなたたちがやったことを全部学校に伝えて」



 芽衣咲と春香はできる限り冷静に話す。彩華の証言をもとに希空と帆音がしたことを学校に報告することはできるが、ふたりが反省してやり直す道が残されているのなら、将来を完全に潰すようなことはしたくない。


 柳沢に指示をされたのであれば、このふたりの本意でなかったことも考えられる。


 これは圭からのアドバイスだった。説得して罪を認めさせる。


 過ちを犯す人間の背景に何があるか、実際わからないことが多い。


 圭が過去に過ちを犯し、復讐のために人に言えないことをしてきた。反省し、許されて今を生きている。


 まだ若いふたりに反省する心があるのなら、更生の機会を与えてほしい。


 これまで協力してくれた圭の提案を断ることはできなかった。


 それに、彼が言っていることは間違いなく経験からきた事実だ。芽衣咲と春香は、それが正しい選択であることを信じた。



 「私たちは悪くない。だって、別に関口を殴ったこともないし、死ねって言ったこともない!」


 「そうよ、勝手に飛び降りただけでしょ」



 彼女たちの言葉に反省の態度は一切散見できなかった。



 「ねえ、玲央くん、信じて。私たちはあの娘がひとりでいるのが可哀想だったから、友達になろうとしてただけ」


 「そうだよ。なのに、私たちが虐めたなんて、酷い・・・」



 希空と帆音は切ない表情で玲央と天に助けを求める。


 きっとメイクをしていて顔立ちが綺麗な彼女たちは、そうやってたくさんの男を騙してきたのだろう。


 だが、ここにいるふたりの男はそのような手法に騙されない。



 「それが本当だっていうなら、それでいい」


 「心から嘘をついてないと誓える?」



 玲央と天はふたりを真剣な表情で見つめる。


 希空と帆音は、完全に固まってしまった。


 想いを寄せる人間に嘘をつくことに抵抗があるのだろう。


 このまま、嘘をついても良いことは起こらない。玲央と天がこのふたりに対して良い印象を持つこともない。


 彩華が嘘をつく人間でないことは、春香を見ていればわかる。クラスメイトとして、彼女が戻ってくる環境を作りたい。



 「ごめんなさい」



 玲央と天の視線に耐えられなくなり、希空が頭を下げた。


 隣にいる帆音も、すべてを諦めたようだ。



 「本当のことを教えて。誰かに指示をされたの?」



 芽衣咲はすでに観念したふたりを追い詰めないように優しい口調で問いかけた。



 「それは・・・その・・・」



 帆音は歯切れが悪い。この後に及んで誰を庇おうというのか。


 そのとき突然扉が開いた。


 その大きな音に希空と帆音は肩を震わせる。



 「何をしているの? もうすぐ授業が始まるわよ」



 扉を開けたのは、彼女たちの担任の保科だった。



 「保科先生! もうやめてください!」



 廊下を勢いよく駆けてきたのは養護教諭の佐藤だった。非常に焦った様子で、保科の肩を背後から掴む。



 「離して!」



 その手を保科は振り払った。


 何がどうなっているのか、廊下に響く大きな声は、他の教師や生徒たちを次第に呼び寄せる。



 「あなたたちが悪いのよ」



 保科が室内に入ると、そのうしろからひとりの男が入ってきた。


 ポケットに忍ばせたナイフを取り出し、その刃先を芽衣咲に向ける。



 「やめて!」



 佐藤が美術室に飛び込み、ナイフを持つ男に飛びかかったが、男が振ったナイフが彼女の肩をかすめ、出血した。



 「佐藤ちゃん!」



 玲央が佐藤を助けようとするが、男がナイフを向けて彼の動きを制す。



 「やりなさい」



 保科の命令を受け、男は素早く芽衣咲と春香に近付く。


 希空と帆音は必死に逃れようと机を倒して部屋の奥へと進んだが、玲央と天は身体が動かず、ただ男が芽衣咲と春香に襲いかかる姿を見ていることしかできなかった。


 芽衣咲は咄嗟に力強く春香を突き飛ばし、自らが犠牲になることを選んだ。



 「芽衣咲!」



 春香は体勢を崩したまま、男に捕まる芽衣咲を救う手段がなく、床に倒れた。

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