18 - 夜に潜む

 すやすやと患者がベッドで寝息を立てる病室に、ひとりの人物が静かに扉を開けて侵入する。


 午前一時、すでに面会の時間は終わっており、通常の方法で院内に入ることはできない。


 意識を取り戻したと連絡を受けた彼女は人工呼吸器も付いておらず、点滴がされているわけでもなかった。自発的に呼吸をし、栄養を摂取するために食事を摂ることができるようになったのだ。



 「彩華、お前に真実を明かされたら俺が困るんだ。許してくれ」



 その人物はポケットに忍ばせていた小瓶を取り出し、蓋を開ける。


 これを彼女に飲ませることで、任務は達成だ。誰も困ることはない。


 尊い少女の命がひとつなくなることになるが、心から愛した女性ではない。こうしなければ、自らの身が危うくなる。


 布団を頭まで被っている彼女の顔を拝むために、そっと掛け布団を掴み、持ち上げた。



 「え?」



 そこで眠っているはずの彩華の姿はなかった。


 それよりも恐怖だったのは、会ったことがない少女が両眼を見開いて憎しみの眼差しをこちらに向けていることだ。


 固まった身体が動かない。まるで金縛りのように身体が硬直している。



 「残念だったな」



 病室の電気が灯り、入り口に立っている大柄の男が目に入った。



 「どうして・・・」


 「関口彩華は別の病室に移動した。お前が来ることを予測してな」



 どうして知られた? 俺と彼女の関係は誰も知らないはず。



 「あなたは彩華さんの純粋な心を弄んだ。私は絶対に許さない」



 横になっていた少女が起き上がり、ベッドから下りた。彼女の表情から怒りが読み取ることは容易だった。


 逃げなければ!


 勢いよく走り出したが、入り口を塞ぐ大柄の男に取り押さえられた。これだけの巨体でこの力ならば、どれだけ抵抗しても勝ち目はない。


 入り口からもうひとり男性が入ってきた。スーツを着た中年の男だ。



 「柳沢大賀、警察だ。署まで来てもらおうか」


 「警察⁉︎」



 中年の男性が警察手帳を示した。どう見ても偽物ではない。山本と書かれている。


 柳沢は観念し、大人しく床に座り込んだ。



 「にしても、斗真の言う通りだったな。んで、こんなチャラいやつが教師なのか」



 目の前で大柄の男が柳沢を見下ろして軽蔑の視線を向ける。



 「本当に、斗真の頭はどうなってるんだろうな。藤、悪かったな。手伝ってもらって」


 「構わねえよ。俺の本職は人を守ることだからな。桜に何かあったら斗真に殺されるだろうし」



 夕方、斗真から指示されたのは、中央病院の許可をもらい、彩華の病室で見張をすることだった。


 彼は彩華と交際していた柳沢という教師が、彼女の意識が戻ったという情報を得て、口封じに来るだろうと予測した。


 結果、今起こっていることはその通りの出来事だ。


 彩華の気持ちを裏切ったことで、柳沢に対する桜の怒りは相当なものだった。ベッドで彩華の身代わりをする役を自ら買って出た。


 斗真は心配して止めたが、桜は彼が思うより頑固な性格をしている。



 「島原、連れていってくれ」


 「わかりました」



 山本が廊下で待機していた相棒の島原に柳沢を連行するよう指示を出した。


 警察としても手掛かりがなく捜査ができない状況だった。柳沢が彩華と交際していた相手だと特定できたことは大きい。


 警察を辞めてもなお、斗真は捜査に影響を与える存在だ。



 「俺は警視庁に戻る。何か喋ったら連絡すると斗真に言っといてくれ」


 「わかりました」



 山本は「じゃあな」と手を挙げて病室を去っていく。


 その背中を見ていると、桜は頼もしく、懐かしく感じた。すでにあれから一年が経ったのだ。



 「そんじゃ、家まで送るわ」


 「大丈夫ですよ。ひとりで帰れます」


 「斗真に言われてんだよ。行くぞ」


 「過保護なんですよ。私だって大人です」



 桜は頬を膨らせて不機嫌な顔をするが、藤にとってはただ可愛らしい少女の変顔にしか映らない。


 二五歳になった桜は、初めて会ったときとほとんど容姿が変わらない。世の女性は彼女を羨むだろうが、本人は大人に見られないことを不服だと言う。



 「大人でもあいつにとっては歳の離れた恋人だからな。心配もするだろうよ」



 桜が大人の女性であることは認めておいた。


 斗真と桜は四歳離れている。一般的に珍しい歳の差ではないが、斗真は歳の差だけ心配してしまうのだろう。


 藤と桜は並んで廊下を歩くが、その身長差は四〇センチを超える。彼と隣を歩いていて釣り合うのは、凛が高身長でスタイルが良いからだ。



 「凛さんみたいになりたいんですけどね」


 「誰かと比べる必要なんてないんだよ。凛には凛の良さが、桜には桜にしかない魅力がある」


 「藤さんもそんなこと言えるんですね」


 「俺を馬鹿だと思ってんのか」


 「まさか」



 夜の病院は不気味なくらいに静かで、薄暗い。ふたりはナースステーションの前を通るとき、看護師に「お静かに」と注意され、頭を下げて病院を出た。

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