8 - 頼りの道

 本日最後の授業は、英語だった。


 休憩時間が終わり、科目担当の柳沢やなぎさわ先生が授業の開始を告げるチャイムと同時に教室に入ってくる。



 「前回の続き始めるぞー」



 柳沢はまだ二〇代後半で、顔立ちが整っていることと、親しみやすい性格から女子生徒からの人気が抜群に良い。


 彼は彩華のクラスの副担任をしており、幼少期から中学生半ばまでをヨーロッパで暮らした経歴を持つ。そのため、英語だけでなく、フランス語やイタリア語の知識を持っており、外国語の教員としての能力は極めて高い。


 また、男子生徒とは歳が近いこともあって、よく相談を持ちかけられることがあるらしい。


 彼なら何か知っているだろうか。


 芽衣咲は授業が終わったら声をかけようかと考えたが、教師の耳に入ってしまっては、面倒なことが増えるかもしれない。


 今はまだ、不特定多数に情報を広めることは避けた方が良いだろう。



 「岸さん、おーい。岸さーん」


 「え? はい!」



 春香は調査のことを考えるあまり、授業がまったく頭に入ってこず、柳沢に指名されても反応すらしなかった。


 やっと我に帰って、今に至る。



 「何かあったの? 困ってることがあったら、なんでも言ってよ?」



 柳沢は心配そうに春香に語りかけた。



 「あ、はい。大丈夫です。すみません」


 「ならいいけど。じゃ、次のページ、岸さん読んでくれるかな?」


 「はい」



 春香は教科書を持って、英文を音読する。その発音は、日本人が話す英語、というもので、優秀な学生が揃うこの高校でも、英語が堪能な生徒は珍しい。


 その後も、ハイペースで授業は進んだ。


 明秀大学附属高校では、学習要項に定められている範囲を早々に終えてしまう。その後は、模試に向けた対策や、大学入試を見据えた学習に移行する。


 教科書の内容は一週間も休めば、完全に置いていかれるほどに授業のペースは早いのだ。


 チャイムが鳴り、本日最後の授業が終わった。



 「次はこの続きからいくから、予習はしておくように。以上」



 柳沢は教科書を閉じると、足早に教室を去った。


 このあと、担任教師がやってきて、ホームルームを行ってから下校時間となる。


 部活動に所属している生徒は、それぞれの活動を行い、それ以外の生徒は帰宅し、課題や自主学習の時間となる。


 ホームルームはすぐに終わった。特に連絡などはなく、いつも通り、気を付けて帰るように、の言葉で一日が終了した。



 「春香、放課後はどうするの?」


 「部活動の邪魔はできないし、放課後の調査はなしかな」



 何より、クラブに所属していない生徒が入っていくことは、他クラスの教室を訪問することより目立ってしまう。


 「なら、帰ろうか」


 ふたりは教室を出て、階段に向かって廊下を進む。


 角を曲がり、階段を降りようとしたところで、背後から呼び止められた。



 「ちょっとだけいいかな?」



 こちらに歩いてきたのは、彩華のクラスの担任教師、保科だった。


 いつもシンプルながら綺麗な衣服を身に纏っていて、笑顔で印象が良い女性だ。



 「どうされましたか?」


 「岸さん、関口さんと同じ中学校出身よね?」


 「はい、そうですけど・・・」


 「今日の昼、うちのクラスに来て三浦くんと瀧本くんと話してたみたいだけど、何か用だったの? もしかして、関口さんのこと? 中学の頃、関口さんと仲が良かったの?」



 芽衣咲と春香が教室を訪ねたことを、保科は誰から聞いたのだろう。あのとき教室にいたのは、生徒だけだったはずだ。



 「中学生のとき、よく一緒に遊びました。でも、高校生になってからは、クラスも違うし、私も新しい友達ができたので、話す機会がなくて・・・」



 春香は俯いて保科の質問に答える。彩華が追い詰められていて、何もできなかったことに責任を感じているのだ。



 「そうなの。辛いよね。私も、関口さんのこと、気付いてあげられなかった。担任として、責任を感じてるの」


 「ひとつのクラスに四〇人の生徒がいるんです。全員を見ることは簡単じゃないですよ」



 芽衣咲は保科の苦痛を目の当たりにして、擁護せずにはいられなかった。


 ずっと同じ空間にいても、仲が良い友人以外のことはよくわからない。ホームルームと担当教科の授業のみ生徒たちと接する教師が全員のことを把握することなど不可能だろう。



 「ありがとう。でも、関口さんが戻ってきてくれるなら、そのときは彼女の居場所を作ってあげたい。だから、そのときは協力してね」


 「もちろんです。お願いします」



 春香は頭を下げ、保科に感謝の気持ちを伝えた。


 彼女が担任である限り、彩華はきっとまた高校生活を楽しめるときがやってくる。調査の末にわかったことは、すべて保科に伝えようと決意した。



 「それじゃ、気を付けて帰るのよ」



 保科は廊下の来た道を引き返していく。



 「春香、良かったね。保科先生なら、協力してくれるんじゃない?」


 「うん、何かわかったら、先生に伝えることにする」



 今は、彩華の意識が一刻も早く戻ることを祈るのみだ。


 ふたりが階段を下りようと歩き始めると、春香と芽衣咲のスマホが着信音を発した。



 「三浦くんだ」



 四人でグループを作ったことで、誰かがメッセージを送信すると、他の三人に同時に届くようになっている。


 玲央からのメッセージの内容は、「元刑事の知り合いがいるから、相談にのってもらえるかもしれない。このあと一緒に会いに行く?」というものだった。


 元刑事といえば、捜査のプロだった人物だ。これから調査を続ける上で、何かコツのようなものを教えてくれるかもしれない。


 春香が「わかった!」と返事をすると、今度は天から「正門で待ってる」とメッセージがあった。



 「芽衣咲も時間ある?」


 「私は全然大丈夫だよ」



 玲央と天は、部活動はないのだろうか、と思ったが、もともとその人と会う予定があったということは、芽衣咲と春香のために休んだわけではなさそうだ。


 ふたりは校舎の玄関を抜けて、駆け足で正門へと急いだ。

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