6 - 思いやり

 「ただいま」



 芽衣咲は帰宅した。



 「おかえり」



 廊下の奥から姉の声が返ってくる。


 芽衣咲は靴を脱いでスリッパに履き替えると、廊下を進んでリビングを目指す。


 マンションの五階にあるこの部屋で、七歳離れた姉とふたりで暮らしている。家賃は社会人の姉がすべて払っており、芽衣咲はこの暮らしが気に入っていた。



 「芽衣咲、ニュースで見たんだけど・・・」



 リビングの扉を開けて中に入ると、姉の瑠璃るりが心配そうに話しかける。もし、友人であったらショックを受けているだろうと思っているのだ。



 「病院に行ってきた。命は助かったけど、まだ意識が戻らなくて」


 「友達なの?」


 「私は直接話したことないんだけど、春香が中学の頃仲良かったみたいで」


 「そうなんだ。春香ちゃん大丈夫?」


 「うん、むしろやる気になってる」



 瑠璃は怪訝な顔で首を傾げる。友人が自殺未遂をしてやる気になるとは、文脈がおかしいことを芽衣咲自身も話したあとで気が付いた。



 「虐めがあったみたいで、犯人を探すことになった」


 「待って、絶対駄目。芽衣咲に何かあったらどうするの?」



 姉がそう言うことは想定していた。もちろん、心配しているからこその言葉であることは知っている。



 「私がやらなくても、春香はひとりでやる。放っておけないの。友達だから」


 「警察が動いてるんじゃないの? 任せておけばいいじゃない」



 病院で春香も警察が捜査をしていると言っていたが、おそらくその捜査はもうすぐ打ち切りになる。


 理由は簡単だ。事件性がない。


 虐めの末の自殺、彩華は被害者だといえるが、残念ながらそれは事件と認定されることはない。


 当事者にとってどれだけ苦痛であっても、無関係の人間からすれば、よくある話でしかないのだ。


 このままなら、彼女は意識を戻して回復したとしても、退学して二度と人生を楽しいと思えなくなる。


 芽衣咲にとって、親友の親友は他人ではない。



 「お姉ちゃん、ごめんね。気を付けるから」



 瑠璃は大きなため息をついた。妹の性格をよく知るからこそ、説得はもう諦めたようだ。



 「何かあったらすぐに私に言うのよ? いい?」


 「うん、わかった。ありがとう」


 「ご飯にしましょ」



 瑠璃がキッチンに入り、冷蔵庫を開けて食材を取り出す。


 いつも瑠璃に頼ってばかりの芽衣咲は、瑠璃の隣に立って手伝えることはないかと尋ねた。


 瑠璃は「珍しい」と驚きつつも、食材を切るようにとまな板と包丁を準備する。



 「お姉ちゃん、仕事はどう? 麻衣まい先輩とはまだ同じ職場なんでしょ?」


 「二年目だからね。メンター制度からは卒業したけど、まだまだ麻衣先輩に助けられてばっかり。やっぱり麻衣先輩には敵わないなあ」



 真田麻衣は、瑠璃が勤める東都新陽銀行の先輩行員だ。新卒社員として入社した瑠璃の教育係、メンターとして昨年は業務内容から社会人の心得まで様々なことを教えてくれた。


 愛嬌があって、とても可愛らしい女性で、仕事ができ、プライベートでは母を大切にする瑠璃にとって目標となる先輩だ。


 彼女は幼い頃に事件で父親を失い、母娘ふたりで支え合って生きてきた。


 大変な過去を持つ彼女には、心から愛する恋人がいる。


 その恋人も過去に大変な人生を歩んでおり、ふたりは何か通ずるものがあるのかもしれない。


 麻衣の自宅での食事に招待されたとき、彼女の恋人と会った。噂の通り、滅多に見ないレベルのイケメンで、麻衣を大切にしていることがよくわかった。


 職場でもよく「圭くんがね・・・」と惚気ている先輩を見るのは、とても微笑ましい。



 「芽衣咲は気になる男の子いないの?」


 「いない。同級生は私にとっては子供すぎるかな」



 確かに芽衣咲の容姿であれば、同級生の男子では釣り合わなさそうだ。容姿の良し悪しに関係なく、年齢差があるように見られる。


 実際姉と並んで立つ芽衣咲は、瑠璃よりも大人びている。



 「お姉ちゃんこそ、彼氏とはどうなのよ」


 「何も変わらないよ。今でも向こうから連絡来るし」


 「ちゃんと捕まえておかないと、浮気されるよ?」


 「大丈夫。あの人はそんな度胸ないから」



 それはそれでどうなのだろう。


 芽衣咲は食材を切り終え、ボールに移して水で洗う。


 その間に瑠璃はフライパンに油をひいて熱す。


 簡単な野菜炒め。瑠璃が作ってくれる料理はどんなものでも美味しい。


 明日から学校での調査を開始することになる。春香が暴走しないように、ブレーキをかけることが芽衣咲の役割だ。


 瑠璃の指示で、芽衣咲は食材をフライパンに入れた。残っていた水分のせいで油が跳ねて、顔を背ける。


 目を逸らさずに、向き合わなければならないことがある。


 芽衣咲は隣で具材を炒める瑠璃を見て、心配をかけないようにしなければ、と胸に刻んだ。

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