第85話 些細なこと

あらすじ 風俗で働くと家族が客になる。


 逃げ出すわけにもいかなかった。


 まず母さんはシズクさんと連絡が取れる可能性がある。こんな状況で出会った時点で普通はダメだが、捨てた息子がママ活に利用されていようが文句をつける立場にはない。


 捨てたんだから。


 まさか本気で僕と子作りをするつもりじゃないだろう。久々というほど離れてもいないけれど、こうして再会したのだから、親子としての会話ぐらいはあるはずだ。その要望に応えて、穏便に済ませなければ、異変を察知され、くのいちの追跡に情報を与えるも同然だ。


 それだけは絶対に避けなければ。


 タカセさんを守るためにも。


 落ち着け。


 この状況はむしろ好機のはずだ。


 僕を轢いた人物と顔を合わせたことがあるのは母さんだけである。シズクさんの話では別の医者の名前と下手くそで特徴のわからない似顔絵しか得られなかったらしいが、僕ならば。


「ニコくん。ここよ」


 カードキーを挿しながら母さんが言う。


 最上階の部屋だった。


「かあさ……」


「レイコさん、って呼んでね? ここでは」


 確かにそれはその通りだった。


「……レイコさん。あの」


 部屋の中は甘ったるい香りがした。


「僕、色々と話したいことが……」


 ガチャ。


 オートロックが背後で閉まって、先導していた母さんが振り返った瞬間に僕は自分の甘さに気付いた。素早い動きで僕の前に屈んだと思ったらズボンを引きずり下ろす女が目の前にいた。


「少し見ない間に、立派になって」


 どこを見て言ってるかは言うまでもない。


「本気なの?」


 僕は信じられなかった。


 今更ながらにショックだった。母親としての普通じゃなさは、なんとなくわかってはいた。捨てられてもう諦めてもいた。ただ、くのいちに逆らうことが現実的だったかという意味で本意じゃない僅かな可能性を信じていたらしい。


「いつかこんな日が来ると思ってたの」


 母さんは頬ずりした。


 それは恍惚の表情だった。セックスして何度も見てきた。楽しさと嬉しさが隠しきれない大人の女性たちと同じものだ。屈んだ太ももの間に見える派手な下着が湿ってもいた。


「はい?」


 でも、それを認めたくなかった。


「いつか襲ってしまうと思ってた。シンがあまりにも母さん好みだから。いつか襲って、他の女になんか触らせたくなくなるって。だから、あのくのいちに連れ去られてちょっとホッとしてた。あんなバケモノ相手なら諦められるって」


「……いやだよ」


 僕は首を振る。


「なに言ってんの? 本気で」


「何人のママとしたの?」


「話を逸らさないでよ」


「何人!?」


 母さんは怒鳴った。


「じゅ、十七人……」


 それは幼い頃から、母親ひとりで僕を育て、叱ってきたもので、反射的に息子にされてしまう。どちらかと言えば親孝行な子だったのだ。基本的には母さんを尊敬していたのだ。


「全部が当たった訳ではないにしても、もうシンにはそれだけの子供がいる。わかる? 誤差なの。些細なことなの。あとは、運命が当たるか外れるか、結果は受け入れる。二度目は求めない」


「……」


 ちんちんを握りしめながらなに言ってんだ。


「再婚するんじゃなかったの?」


「前の結婚の最中に、シンを授かったわ」


「……」


 そっか、言われてみれば浮気だった。


 こういう人なんだ。

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