第33話 可能な限り後回し

あらすじ 女を知るには女になれ。


 抵抗しなきゃ。


 とんでもないことになる。


「知りたくない! 知りたくないよ! 僕……イチさん以外の女とか知らなくていいから!」


 引っ張られることに対して、地面に踏ん張ろうとした履き慣れない下駄がすっぽ抜けて僕の身体は宙に浮いた。腕一本でつり上げられる痛みみたいなのはなく、もう重力から切り離されて、くのいちの手の先で風船みたいになっている。


「いいや、知るべきだ」


 そして僕の売ろうとした媚びは拒否される。


「わたしがどんな女よりも優れた女であることを知ることが、シンのわたしへの愛情を深めるだろう。これは経験的に言って間違いない」


 確固たる信念でヘンタイだった。


「ど、どんな女より優れてるのはわかるよ! もう、僕だってわかる! イチさんみたいな女が他にいないことぐらいわかってる!」


 褒め倒そうとした。


「むろん、そうだろうが」


 だが、くのいちは僕を引っ張ってジャンプ。


「有り難みとは実感を伴ってこそ、だ」


「や、やだっ、やだって!」


 城を見下ろす上空へ飛び上がり、そして島の全景が見えたと思うと、一気に降下、島の中心に近い湖の畔へと着地したと思うと、そのまま水の中に放り込まれた。容赦などなにもない。透明な水の中で、魚と目が合う。


「ぶ、ごばっ」


 深さはなかったが一気に身体が冷える。


「ここは島唯一の水源で死霊湖しりょうこと呼ばれていた。人の魂は、水との親和性が高い。蔵升島で生まれた忍者は皆、ここの水を飲んで育つ。その記憶は魂に刻まれる。だから死ねばここに戻ってくる。多くの魂が彷徨うこの場所こそ忍魂を鍛えるには一番だ」


 くのいちは僕が顔を上げた水面に立ち、言う。


 寒気がさらに増していた。


 死ねばと言ったが、殺したのはくのいちだ。


 その魂がさまよってるって?


「あの、水面に立つ方法を先に教えてください」


 立ち泳ぎをしながら僕は言う。


 修行はもう拒否できない。


 だとすれば、女になるとかいうのを可能な限り後回しにしてしまいたい。くのいちはこれからも忙しいはずで、僕に忍法を教える機会などそれほどないというのがシズクさんの話だった。


 だから、デートをしようと思ったのに。


「寒いし……風邪ひいちゃうから」


 震えていた、実際。


「心配ない。忍法カコンタックストナールがある。風邪など一発で吹き飛ぶ。まずは忍法トランスセクシャルだ。忍法の習得は一度にいくつもできないからな」


 けれど、くのいちはニヤニヤしている。


「絶対! それ、そんなに優先順位高いものじゃないでしょ! イチさんの趣味でしょ!」


 あと! 絶対! ただの風邪薬だ!


「むろん、だ!」


 全力で肯定されたらもうどうしようもない。

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