第8話 黄金伝説2

「まずは名前を聞こうか」


 女の質問に答えた。別に隠すつもりもなかったが早とちりして怒鳴りつけた。ノースリーブの黒い獣の皮をまとい腰には刀と瓢箪をいくつかぶら下げているという、いかにもなワイルドな姿に恐怖を刺激された。とはいえそれは彼女のせいじゃない。あげく力の差を見つけられた直後。自虐的な気分で答えた。


「ただのおじさんだよ。俺は」


「なるほど。ただのが家の名でおじさんが貴様の名か?」


 今更本名を言ったらいらぬ誤解を招きそうだ。もう肉体言語でわからせられるのは御免だ。


「ああ」


「なんと呼べばよい?」


 ちょっと考えて俺は言った。


「おじ様。そうだ。俺はガキの頃あこがれたヒーローみたいにおじ様と呼ばれるようなおじ様になりたかったんだよ」


「わかった。おじさまだな。で、貴様、ここで何をしている?」


  女は一瞬怪訝な顔をしたがあっさり受け入れた。ポロッと余計なことを言ってしまって焦ったがまあ、驚くほどのことでもないか。防人の歌を知っていたからと言って日本出身とは限らない。


 いや、むしろ日本の若い娘で、そらで防人の歌を詠めるほうが極めて珍しいだろう。転移してきた日本人と知り合いの現地人なのかもしれない。異文化だから興味を持ったとも思える。


「俺は冒険者だ。ここをねぐらにしている。ギルドはマーロン南ギルドだ。問い合わせてもらえばわかる」


「そうするかは私が決める。それよりその首飾り、何か刻まれてるがどこの文字だ」


 認識票のことだ。小さな文字で俺の名前が漢字で血液型と生年月日が漢数字とアルファベットで刻印されている。ローマ字や現地の文字を使われていないのは、現地、あるいは日本とは違う文化圏から転移してきた者に悪用されないためだった。


 そして、この精巧な細工こそが俺の出自が現地人の想像も及ばない文明を持っていることを匂わせる。俺がギルドでまともに扱われているのもこれのおかげだ。


「ああ、俺の故郷の文字だ。俺の名前と俺がいつ生まれたか。だ」


 女の目が光った。音もなく風のようにふわっと一瞬で俺の目の前にちかづいた。これか。これで俺はあっというまに恥ずかし固めの系にされたのか。見てみると認識票を手に取り見つめた。


「似ても似つかぬ文字が書かれているな。この文字の意味は? 隠したのか?」


 鋭い。正直現地の人間に血液型の概念はないだろうとタカをくくり説明を省いた。聞かれたところで説明できるほど血液型の知識などない。自分の血液型と血液型占いでは俺とあの女の相性はよかったというだけだ。もう占いを当てにすることはないが。


 俺は両手を挙げながら女の顔を見た。ドキッとした。想いのほかまつ毛が長く愛らしい顔をしている。幼いころテレビで見た八〇年代の女性アイドルのような明るく健康的なお色気が漂っている。こうして近づかれると肉付きがいいのがわかってしまうのだ。


 俺の視線に気が付いたのか女はにやりと笑うと舌を出した。そしてその舌先で鼻の頭をなでた。すごいとは思うがここでそれをやる意味が分からなかった。現地流の脅しなのか?お前を食べてやろうかというような。だが俺に勝負を挑んできたやつらも罵声や身振りでぶりの挑発や刃物を舐めて見せるようなやつはいたが自分の舌を舐めるようなやつはいなかった。


 戸惑う俺の顔を見て逆に女は得心がいったようだった。


「おじさまの故郷はなんという? サイハーテに来る前の場所だ」


「日本だ。ニッポンとかジャパンとかジャポンとかいろいろな呼び方がある」


「ヒノモトとも?」


「ああ、そうかもしれない。俺が生まれるずっと前にそう呼ばれていたこともあるらしい」


「よし。わかった。この文字の意味は?」


「血液型だ。血の中に流れてる目には見えないような小さなもので区別するんだ」


「なんの意味がある?」


 それから輸血やら血小板ちゃんやら俺の知る限りの血液の知識を伝える羽目になった。正確さに自信はないが女は興味ぶかく聞いていた。だがそのおかげでだいぶ打ち解けたようだ。こんな質問があった。


「梅干を入れて糊をまいた握り飯は食べたことがあるか?」


「ああ。うまかった。子供のころはそうでもなかったが大人になったらうまさがわかった」


「いいところなんだろうな」


「そうでもないよ。そうだったら俺はここに来ていないから」


「そうか? おじさまのような男がそんな歳になるまで生き残れたんだろう?」


 俺は言葉を失った。女はさらに夢見るように言った。


「稲穂が実ったところはあるか?」


「あるよ」


「広い広い田んぼに朝日や夕日を浴びて輝く稲穂は黄金より美しいと聞いたぞ? 実際どうだ」


「確かに綺麗だよ。目を奪われる」


「そうか。行ってみたかったな。なあ、二ホンには人の種類はどれくらいあるんだ?」


「人の種類?」


  身分制度か? 魔法の系統か? それとも人種とかそういうことか? 俺は質問の意図がよくわからず問い返した。


「どういう分け方をしたときの種類だ?魔法か」


「そうか、おじさまはこっちに来て日が浅かったのだな。言葉も碌に話せてないし」


「ああ。」


「先祖だよ。先祖。おじさまの先祖は猿だろう? きっと」


「え? ほかにあるのか?」


「ああ、私が知ってるだけでも犬、猿、猫。まあテンブリ島は田舎だからな。猿だけしかいないのかもな」


 俺は呆然とした。小説家気分を味わおうというサイトではよくある状況だ。亜人と呼ばれる猫耳や犬耳の少女たちがいる世界。しかし、どう見ても彼女の外見は彼女が言うところの猿を先祖に持つ人間のそれだった。だがこんな嘘をつく意味もないし本当だったとしても俺にそれを教える理由もない。


 さらに不安要素が出てきた。正直に言えばサイハーテ家こと日本人村は日本の先進文明の力での異世界についてすべて掌握していると思っていた。だが、日本人村でもマイからも進化の過程で違う先祖を持つ人間がいるなんて話は聞いていない。もちろん頼るつもりもなかったが自分自身の甘さと言うか油断を思い知った。


「なんだ? わからないのか? おじさまはもう私の㒒(しもべ)だからな。知っておいたほうがなにかとつごうがいいだろう」


 女はニヤッと悪戯っぽく微笑むと歯をむいて見せた。そこには吸血鬼を彷彿とさせる大層立派な犬歯が生えていた。驚きのあまり思わずしりもちをついた俺に彼女は言った。


「そういえば名乗ってなかったな。私はサトミだ。様とか堅苦しいからそのままサトミと呼べばいい。もちろん真名は教えてやらんからな。お じ さ ま」


 そう言い快活に笑う彼女を見上げながら、俺が撒いてしまった種とはいえ押しかけ指揮官のサトミに振り回される生活を頭に思い浮かべた。


 思った。


 ああ、お家に帰ってかぼちゃのワインでも飲んでいたい。

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