完全犯罪には完全犯罪を

ふい

第零話 頻発する怪奇現象

 最初はA棟の二階に部屋を借りている斎藤さんだったと思う。

 家事を終えた主婦友による集まりの、昼下がりのお茶会でのことだった。


「部屋に家族以外の誰かがいるような気がする」


 と物憂げにぼやき始めた。

 聞けば、部屋の中からどうにも人の足音のようなものが聞こえるのだという。

 もちろん誰も信じていなかったと思う。

 誰もが顔をしかめて困惑し、あるいは正気を疑うような眼差しを斎藤さんに向けていた。

 それでもみんな、何とかやんわりと彼女をなだめすかし、どこかしこりを残しつつも次回のお茶会の予定を立てて、その会をお開きとした。

 数日後、今度は同じA棟の一階に住む立川たちかわさんがこんなことをお茶会の俎上そじょうに乗せてきた。


「部屋の中の物が勝手に動く」


 最初は気付いたら物の位置が変わっているような気がするという程度の確証のない違和感だったのが、つい数日前にはついに目の前でひとりでに食器がテーブルから落ちたのだという。

 この時点ではまだ誰も信じていなかった。

 足がテーブルに当たった拍子に落ちただけなんじゃないかとか、あるいは斎藤さんに感化されてそんなことを言い出したんじゃないかとか。

 雲行きが怪しくなってきたのは、私たちとはほとんど関わりのない隣のマンションでも同じような体験をしたという話が広まっているということを耳にしてからだった。

 そこからはもうトントン拍子。

 まるでウイルスのように同様の体験をしたという住民が現れ始め、ついには私の身にも不可解な現象が降りかかることになった。

 いわゆるポルターガイスト、ラップ音といった、怪奇現象の数々が。

 結果、アパート三棟さんむね、マンション二棟ふたむね、計一七二にも及ぶ部屋の住民が何らかの怪奇現象に遭遇し、平穏を脅かされる日常生活を余儀なくされることになっていた。

 そしてそれらの現象は、徐々に住人たちの生活を蝕んでいくことになる。

 まともに夜も眠れなくなった主婦。

 体調を崩して些細なことで怪我をすることが増えた独り暮らしの男性。

 夫婦仲が険悪になって口喧嘩の絶えなくなった夫婦。

 仕事でミスをすることが増えた旦那さん。

 精神状態の悪化から職場への行き帰りで交通事故を起こしたなんていう人も出る始末で。

 もちろん、そんな状況を放置するなんて誰も良しとするわけがなかったけど、これだけ科学的な説明のつきづらい現象が頻発していてもそれが心霊現象だと断言する住人は過半数を越えることはなく。

 団地の自治会長や代表者が、アパートの大家さんやマンションのオーナー、仲介業者などと相談して、まずは諸々の専門家に見てもらうことになった。

 つまりは、建物たてものの立地や建築構造、周辺の地質、地盤、音響など。

 科学的に説明がつかないといっても、それは飽くまで素人知識の話。

 ポルターガイストやラップ音なども、もっと深い知識を有するそれぞれの分野の専門家に見てもらえば、何かしら現実的な説明のつく自然現象、あるいは何かれっきとした原因のある結果なのかもしれない。

 誰もがそうであることを祈った。

 果たして専門家たちの口から出た見解はこんなものだった。


「ただの家鳴やなりですよ。建物が負荷を逃がす際にこういう音がするようになっているんです」

「これといった原因は見当たりませんね。きっと物が落ちやすい位置に置かれていたんでしょう」

「地盤が傾いているなんていうことはないですよ。建物の基盤も建築基準をきちんとクリアしてますのでご安心ください」

「きっと疲れてたんだと思いますよ。人の気配なんていうものは疲労から来る錯覚ですよ」


 そんな専門家のお墨付きを貰っても安心する住人は少なかった。

 何せ身の回りで起こるのは、そんな説明では腑に落ちない現象ばかりだったのだから。

 明らかに横方向のベクトルが加わってひとりでに飛んでいく食器。

 どう考えても意図的なリズムで刻まれる無人の廊下の足音。

 アパートの壁に吸い込まれていく不気味な人影。

 浮いた話なんてまたたく間に広がっていく世の中だ。

 すぐにこの団地はSNSやテレビ、新聞など、様々なメディアで取り上げられ、全国からこぞって暇な野次馬が駆けつける有り様となった。

 その挙げ句、この団地は今ではこう呼ばれている。

 幽霊団地、と。



 そんな怪奇現象やメディアからの好奇の目による住人たちの不安やクレームの声が絶えず向けられる中、自治会長を始めとした数人の代表者は、ついに苦渋の決断を下すことになった。

 つまり、霊能者や霊媒師といった、存在の不確かなモノに対する専門家への依頼を。

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