第29話
酒というのは不思議なもので、飲んでいる最中は何もかも忘れられるのに、翌日になると嫌な記憶をより強く印象付ける作用がある。
この頃僕は酒に逃げ、何も持たない自分から目を逸らしていたのだが、次の朝には全てを仔細まで思い出し沈み、復調するには更に酒が必要だった。しかし酒を求めようにも、泥が詰まったような胃が飲食を拒否するばかりか、嘔吐欲求を伴う宿酔さえもたらし、迎える朝を汚物で上塗りしているのである。床にいても目眩がするのに、立って歩いて、おまけに工場作業までこなさなければならない毎日は大変骨が折れるのだった。
それでも、太陽が高いうちは酒など飲まなければいいのにと、今日こそは酔わずに一日を終えようと志を持つも、陽の傾きとともに少しずつ身体が軽くなっていって、影が広がるにつれ、酩酊している自分を思い出していくのだった。心身が崩れ去っていくような中で飲む酒の味といったら格別で、それまで抱いていた後悔や決意が吹き飛ぶほど艶やかであった。
退勤時間までが長く、絶え間なく動く時計を見ながら僕は働いていた。金もなく女もいない僕に唯一与えられた幸福が酒だった。後に応報となる因果へ繋がると分かっていても手放す事はできず、どれだけ悔やんでも、酩酊による白痴に縋る。ひたすらに縋る。食事を減らし、穴の空いた服を着続けるも、酒だけは絶やす事がなかった。
木内と約束した日、僕は金を出さずに酒が飲めると内心期待していた。奴についてはこの際どうでもよく、対価なしで得られる多幸感を想像し胸を躍らせ、身をそわりと弛ませていたのだった。
「じゃあ、行こうか」
作業が終わり木内がやってくると、すぐに街へと出る算段となった。
遊び慣れていない僕は木内の後ろについて行くと、それと分かる道に出る。品なく輝く明かりが広がる一画はどこからでも酒の匂いがしていた。
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