夜襲 -6-
「姫様! ウミニーナ様ぁ!」
王宮の廊下を十数人の兵士と共に駆けていたウミニーナは、前から来た別の兵士に声を掛けられた。
ウミニーナはすぐさま兵士の方を見て言った。
「宿泊棟から来た者ですね!? 向こうはどうなっていますか!」
「はは!」兵士が膝を着く。「勇士様達により賊は倒れました! 今は怪我人の手当てをしております!」
兵士の報告に、ウミニーナの後方の兵士達は歓喜の声を上げた。ウミニーナも一瞬安堵の笑みを浮かべるが、すぐに心配の表情に変わる。
「怪我人は……何人ですか?」
ウミニーナの問いに、報告に来た兵士の顔が曇る。
「宿泊棟に詰めていた兵士30人のほとんどが負傷しました……死人も……出ました」
「……そうですか」
ウミニーナは、必死に感情を飲み込んだ。
兵士は続けて報告する。
「それから……勇士様の何名かも負傷されました」
「なんですって!?」
ウミニーナの目が見開く。
そのまま兵士達を置いて、ウミニーナは一人、廊下を走り出した。
「あ! 姫様!」
「お待ちください! 姫様ぁ!」
兵士の言う通り、宿泊棟では怪我人の治療で人が動き回っていた。
二階以上の回廊は、一辺が焼け落ちたことで強度に不安があり、皆は一階の広場に集まっている。
治療の受けている兵士達の中心に、
先の戦いで主に負傷したのは林とウォールだったが、ウォールは軽い打撲程度で済み、既に治療を終えて
しかし、林の右足首は重傷だ。幸い骨は折れなかったが、一人で歩くのはままならず、誰かの支えが必要な状態だった。
「いたたっ……」
「勇士様! 大丈夫ですか?」
「う、うん。なんとか……」
兵士に支えられ、なんとか立ち上がる林の姿を見て、定藤は唇を噛み締める。
「結局、あやつに無理をさせてしもうた……何をしているのじゃ、わしは」
「キミの責任じゃない定藤」ウォールが定藤をなだめる。「あいつを倒すのに林を介入させようと言ったのは私だ。キミは常に林を庇う立場にいた」
「庇え切れておらねば意味の無いことよ……」
定藤は一度目を瞑り、ふぅー、とゆっくり息を吐いた。
「……腐っていても何も始まらぬな。前向きな話もしよう」
定藤がウォールに向き直る。
「ウォール殿。重ね重ねになるが先の戦いでの策略振り、見事であった。そしてそなたも能力を身に着けたこと、実に頼もしく思う」
微笑む定藤に、ウォールも微笑み返した。
「随分と身に着けるのが遅くなったがね……それも戦闘寄りの力ではないから、今後もキミには無茶をさせる」
「無茶をするのはわしの性分よ」
定藤がニカッ、と歯をむき出して笑う。
「それに、ウォール殿の能力はわしのものより応用が利く。その能力で手助けして貰えるならわしらも動きやすうなるものよ。さっきも敵の知らぬ弱点を暴き……」
「……定藤」
定藤の言葉を聞いて、ウォールが神妙な顔つきになった。
定藤が眉をひそめる。
「……いかがした?」
「『そのこと』だが……キミはおかしいとは思わなかったか?」
「おかしいとは?」
「敵が、敵自身の弱点を知らなかったことだ」
ウォールは続け様に話す。
「私が敵の弱点を知ったのは何らおかしいことではない。能力だからな……だが、敵にとって己の弱点とは、死活問題のはずだ。頭上にぶら下がるダモクレスの剣だ。なのに、あいつは今までそれを知らずに生きてきたことになる。それは生物としては、あまりに致命的な認識不足だ」
「……なるほど、しかり」
定藤は顎に手を当てた。
ウォールが、広場をバタバタと動き回っている兵士達を見る。
「彼らにも聞いてみたが、あのような魔物は見たことがないそうだ。そして林は、あいつと対峙した時にこう感じたと言う……『まるで人を殺すために生まれてきたような生物』だと」
「林の申すことが的を得ておると……?」
「そうとも言い難いが……間違いとも思えない」
いずれにせよ、とウォールが定藤を見る。
「我々が相手にしているのは、我々が想像しているよりも厄介な相手だということは確かだ」
「…………」
定藤は黙り、髭を弄りながら視線を右に左にと動かした。
それは定藤が考え事をする時の癖で、動き自体に意味は無かったのだが、定藤の目はある人物を捉えた。
「お……ニコラス」
それを聞いて、ウォールも定藤の視線の先を見た。
二階にいたニコラスと
先程、ニコラスは戦闘に関わる機会がなく、γも林の手によって早々にニコラスへ投げ渡された。故に、二名は無傷である。
しかし、ニコラスはγを携えたまま、治療を受ける兵士達と、林の下へ近付いていく。
「ん?」
林もニコラスとγに気付いた。
不意に、ニコラスは隣にいた兵士にγを押し付けた。突然のことだったので、兵士はγを抱えたまま尻餅をついてしまう。
それにも構わず、ニコラスは林に向かって前進を続ける。
林がニコラスに話し掛ける。
「ニコラスさん? どうし──」
ニコラスは、林の頬を思い切り叩いた。
「──え?」
林は何が起きたのかすぐに理解出来なかった。
林を支えている兵士達も唖然としている。
「ニコラス!? いったい何を……!」
一部始終を見ていたウォールが駆け出そうとするが、それを定藤が止める。
「定藤!?」
「…………」
定藤は、林とニコラスの様子を見たまま、何も言わない。
状況を飲み込んだ兵士達が、ニコラスに向かって叫んだ。
「勇士様!? 何をなさります!」
「この方は我々の命を助けてくれたのですよ……!?」
「それに彼女は怪我をして……」
「うるせぇ」
ニコラスが低く呻くように言った。兵士達はニコラスの顔を見て、ギョッとした。
ニコラスは眼を赤く充血させ、顔は怒りに震えている。
「命を助けてくれた……?」
ニコラスが赤い目で林を睨みつける。
「俺がいつ助けてくれなんてお前に頼んだ? 俺は何度もお前に言ったよな。『逃げろ』って」
「…………」
「上の階に逃げたって言いてぇのか? 違うよな。お前はあのバケモノを甲斐甲斐しくも誘き出すために上がったもんな。そのせいで足も怪我した」
「……ニコラスさ──」
「なんで一人でやりやがるっ!!」
ニコラスが林の胸倉を掴んだ。
我に返った兵士達がニコラスを引き剥がそうとするが、ニコラスは手を離そうとしない。
密着しそうな程に顔を林に近付け、ニコラスは叫ぶ。
「分かってたよな!? あいつはお前の火が効かねぇバケモンだ! お前一人でなんとかなる相手じゃねぇ! なのにお前は一人でなんとかしようとしやがった! 近くに俺もγも定藤も居たのにな……っ!」
林はニコラスの目を見ている。
「そんなことをされた俺達がっ……お前に感謝するとでも思ってるのか!? 仲間が犠牲になった果てに生き残った奴がっ! 苦しまないと思ってるのか……!」
ニコラスの眼から、一筋の涙が流れた。
周りにいる兵士達は、その様子を呆然と眺めることしか出来ない。
怒り狂うニコラスを前にして、林は黙り込んでいる。
「……分からねぇよ」ニコラスが項垂れ、低く呟いた。「お前が分からねぇ……お前は……どうして逃げてくれないんだ……? なんで危険と分かってるもんに敢えて突っ込むんだ……? お前は……どうしたいんだ。…………死にたいのか……?」
「…………、」
林が、口を開けた。
「居た……!」
王宮を全力疾走した末、ウミニーナは宿泊棟に辿り着いた。
広場に集結している兵士達を確認し、さらにその中心に居るのは林とニコラスだということに気付き、ウミニーナは声を上げた。
「勇士様!? お身体は──」
「わたしは、死のうとなんか考えたことがない」
林が言った。
ウミニーナが足を止めた。
ニコラス一人に言った言葉が、宿泊棟にいる全員の耳に届いた。
林はまた、言う。
「わたしは……燃えたいんだよ」
「…………燃えたい?」
ニコラスが顔を上げた。
林はさらに、言う。
「わたしのそばには……物心ついた時から水源があった。何かが切っ掛けでわたしに火が点いた時、その水源は波立って、いつもわたしの火を消した。わたしの火が、激しい
「……なに言ってんだお前?」
ニコラスは林の目を見る。
能力はとっくに解除し、元の黒色に戻ったはずのその瞳の奥で、何か赤い物が沸き上がるような錯覚がした。
「……でも最近気付いた。その水源は元は火孔だったんだ。火孔と言っても、一度も噴火することが出来ず、雨がザーザー入り込んで水溜まりに成り下がった、哀れな火孔……その火孔は、他の火孔が噴火することが許せなかった。自分と同じ水溜まりになって欲しがった。だから……」
林は一度目を瞑った。
瞼の裏の世界で、林の足下が揺らぐ。
石畳は赤い肉塊に変わり、そこから赤い手が伸びて、林の足首を掴もうとする。
しかし、林の身体は、灼熱の炎に変わる。
赤い手が燃える。それから伝って、肉塊の大地も燃える。
後には、炎と化した林一人だけが残る。
林は目を開ける。
「わたしは、その水溜まりを埋めた」
「……………………!」
ニコラスは、林の言葉の意味を理解した。
林の胸元から、ゆっくりと手が離れていく。
林は続ける。
「わたしの火は、やっと燃え続けられるようになった。やっと……。わたしはこの火を消したくない。弱めたくもない……噴火することも出来なかった水溜まりとは違うと……! 命を燃やして
林は、右手を強く握り締めた。その手首の周りに、一瞬だけ火のリングが灯って消える。
「……だからわたしは水溜まりが埋まった時、決めたんだ。もう、自分を抑えるのをやめよう。自分が正しいと思ったことを、絶対に実行してやるって……」
林は上を向いた。
黒い瞳から、先程叩かれた頬へ、一筋の水滴が伝った。
「……林…………」
ニコラスは、それ以上何も言うことはなかった。
「……わしはな、ウォール殿」
黙っていた定藤が、呟くように言った。
「昔家臣に『殿が百人も居れば
ウォールは定藤を見る。
「酒の席の妄言じゃ。それを真に受けたことなどない……されど、己の身体を増やすあの能力を身に着けた時、わしは少しばかり考えた。『これで戦えぬ者を戦わせなくて済む』と」
「…………」
「されど、そこから今に至るまでで、わしは痛いほど思い知った。いくら己を増やしたところで……わしは一人に過ぎないのだと」
「……そうだ、定藤」
ウォールが言った。
「キミは一人だ。そして、我々は五人だ。この五人が増えることはないし……減ることがあってもならない」
ウォールは、定藤の肩に手を置いた。
「プラターネも言っていたが、この五人で……性格も歩んできた人生も世界も違う一人の集まりで、この旅を続けるんだ。我々にはそれしか出来ないが……それが出来る」
「……そうじゃ。そうよの」
定藤も、ウォールの肩に手を置いた。
「姫様! ああやっと追いつきましたよ!」
兵士達を伴ったホーシュが、宿泊棟に駆け込んできた。
その入り口のところで佇むウミニーナに、ホーシュは声を掛けた。
「…………」
しかしウミニーナはそれに応えず、黙って前方を見つめている。
「……姫様?」
「え? あ……」
ホーシュに再度話し掛けられ、ウミニーナは我に返った。
ホーシュが心配そうに言う。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……平気です」
ウミニーナは一度呼吸を整え、広場にいる兵士達の応援に行くよう、ホーシュに命じた。ホーシュは了解し、連れてきた兵士達と共に広場へと向かった。
こうして、アバロニア王国での最初の夜は過ぎていった。
治療を終えた後、5名には別の部屋があてがわれ、疲れ果てていたこともあり、各々がすぐに眠りに就いた。
「…………」
ただ1名。林と同じ部屋で、先程のように椅子に括り付けられたγだけが、ヒトとは違い睡眠を必要としないγだけが、ずっと思考を続けていた。
「…………もう」
γは、眠っている林を見つめているのか、壁を見つめているのか、それとも暗闇の虚空を見つめているのか分からない表情で、ぽつり、と呟いた。
「……限界です……」
ID:P-3
名前:ウォール・マイン
能力:
【説明】
特定の物体に関する「データ」を、書物という形にして読み解くことができる能力。
知りたいと思った物体に触れるか、また自分の頭で理解できていくほど、書物のページ数は増えていく。最大で何ページまで増えるかは現段階では不明。
書物は透明で、輝く緑色のフレームで囲われている。またそこに緑色の文字が書かれているのだが、それはウォール本人にしか読み解くことができない。
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