ペッパー・ペーパー・ペンパル・ジャーニー
賽藤点野
プロローグ
主君失格、里崎定藤
雨が降り続いている。
昼間にも関わらず、曇天の下の山中は暗闇に覆われ、粘り気の強い湿気が辺りに漂う。
その中を、ある一団が歩いている。
数は20人程。全員が具足を身にまとい、ぬかるんだ地面に足を取られながら、なんとか前に進んでいる。
「……まだ見つからぬか」
集団の先頭に立つ、一際立派な鎧姿の男が言った。
雨のせいだろうか。声はひどく凍えるような響きであり、男の視線も氷柱のように鋭い。男の後に続く武者達はお互い顔を見合わせ、誰かこの方を納得させる答えを出すようにと促すが、誰も口を開こうとはしない。その沈黙を答えと受け取った男は歯軋りをした。
「伝令! 伝令──!」
一団が再び歩を進めようとした時、一人の武者が泥を跳ね飛ばしながら駆け寄ってきた。武者は男の前で膝をついた。
「行商の者が、
おお……と武者達から声が漏れる。報告を受けた男は、表情を変えずに一同に告げた。
「兵を中腹へ。何があろうと兄──
「まったく……ひっでぇ雨じゃ」
中腹を歩く兵の一人が言った。
兵は全部で5人おり、声を出したのは先頭の男だった。後ろの男が続けて言う。
「ほんにのう。
「言うな言うな。おぬしも首を刎ねられるぞ」
さらに後ろの男が笑いながら言った。
「しかしのう、かような有様でまことに見つかるのか?」
最後尾を歩く男が心配そうに言った。
先頭の男がカッカッカッと笑う。
「わしゃこれでも土地の人間じゃ。どこに人が隠れられるかは見当が付くわい。いの一番に首を獲って手柄を──」
先頭の男の首が飛んだ。
「!?」
「んな!?」
男達は仰天した。真横の茂みから突然、刀身が飛び出してきたのだ。
ガサリ、と音を立て、一人の鎧武者が出てくる。その者の兜を見て、兵の一人が悲鳴を上げた。
「さっ……定藤じゃあ!!」
「お、落ち着けい! 奴は一人じゃ! 皆で囲めば討ち取れる!」
兵達が鎧武者を囲む。兵の一人が「きえぃ!」と声を上げ、槍を鎧武者に突き入れる。
鎧武者が刀を振るうと、槍の胴が斬られ、穂先が
兵が二人同時に鎧武者に斬りかかる。一人が前、一人が後ろだ。
「う!?」
「な!?」
二人が斬りかかる瞬間、鎧武者は素早い動きでその場に伏せた。兵達は止まらず、互いの刀をぶつけ合ってしまう。その隙に鎧武者は身を
「ひ……ひえええええええ!」
残った一人が悲鳴を上げ、その場から逃走を図る。鎧武者はそれを追おうとするが、すぐに足を止めた。
残りの一人が泥濘に倒れる。その前には、鎧を着た一人の老人が立っていた。
「まったく……殿もお人が悪うございます」
老人は刀に付いた血を拭い、ぶつぶつと文句を言った。
鎧武者は老人の姿を目に留めると、兜を上に上げた。口元に髭を蓄え、その瞳は得物を見つけた鷹のように鋭い。
鎧武者の名は、
定藤はニカッ、と歯を見せて笑った。
「
定藤の反応に老人──
「よう言いますな。敵が来たと思えば、半分をこの老体に任せると申し付けておいて。途中、何度も黄泉の国が見えましたわ」
「ぬかせ。初めて剣を習った童の頃より、ちぃとも衰えておらなんだ」
定藤はカッカッカッと笑いながら刀を拭い、鞘に納めた。
「しかし、こやつらでわしが十五人、円柳が十四人。さすがにちと疲れたのう」
「殿、何を言いまする」
円柳斎が顔をしかめる。
「倒れている兵の数をよう数えてみなされ。殿が十四。
「先に兵を見つけて斬ったのはこの定藤ぞ。二手に分かれた兵をそれぞれで待ち構えたのだ。わしの方が一人多い。」
「最後の一人を斬ったのは某にございます。某は多く敵を討ち取ることで大殿に取り立てられた者……
いつまでも食ってかかる円柳斎に定藤は「負けた」と肩をすくめた。
「藤秀も藤秀よのう。兵を差し向けるなら、きちと割れる数を寄越せばよいものを」
そう
「まず、弟殿に槍を向けられる殿が悪うございます」
「……のう、円柳」
定藤は地面の兵を足でどけながら、近くの倒木にドカッと腰を下ろした。
「わしは父、
ポリポリと頬を掻きながら、円柳斎が答えた。
「思うに殿は……里崎のために働くも、その実、里崎を見てなかったように思いまする」
「……里崎を見てなかった? わしが?」
「左様」
円柳斎の頬が泥で汚れた。よく見ればそれは泥ではなく血だった。
「領地を広げるために戦を重ねる。それもようございましょう。しかし、戦をすると多くの銭や血が流れまする。普通はそれらが少しずつ、少しずつ癒えてから次の戦に臨むものですが、殿は先の勝利に浮かれ、勢いのまま次の戦に臨むところがあり申した。それでは里崎の領地の者は苦しむ一方でございましょう。そして、その者達の声を最も聞くのが、内政を押し付けられております弟殿であられた。それだけの話でございます」
円柳斎は言い切ると、頬の汚れを豪快に拭った。定藤は円柳斎に返答する。
「聞き捨てならぬな。わしとて民の声に耳を傾けておったわ」
「程度の違いでございましょう。殿がさほど気にしなかった話を、弟殿は深刻に受け止めたということ。あの御方は殿と違い誠実でございますからな」
「悪かったの誠実でなくて」
定藤は顔をしかめたが、拳を口に当て、しばらく黙り込んだ。
「……お主はそこまで知っておりながら、何故わしに一言も申さなんだ?」
定藤の疑問に、円柳斎がカカカと笑った。
「某は戦が好きでございまする。一言申して、殿に戦をやめられては困りますからな」
「…………カッ」
定藤は顔を上げ、大声で笑った。
「成程、それならば合点がいく」
雨粒が眉間にぶつかり、鼻筋をつぅと流れた。
「わしが主君失格だった。それだけの話じゃ」
「定藤がいたぞぉ!!」
声がした方に定藤は顔を向けた。40……いや、50人の兵が向かってきている。
円柳斎が刀を構え、定藤の前に立った。
「お逃げを、殿。今度は全て承りましょう」
「……頼んだ」
定藤は立ち上がり、鎧姿とは思えない俊敏さで駆け出す。背後から円柳斎の怒声と、刀同士がぶつかる金属音がした。
円柳斎は剣術の達人だ。時間を稼いでくれるだろう。もっとも、あれだけの人数を一人で相手したことはさすがになかろうが──。
そんなことを考えつつ、定藤は山の奥へ奥へと進んで行った。
雨はさらに激しさを増している。
時刻も夜に近くなり、山はさらに暗く、周囲のものは何も見えない。
実際、定藤は自分が今どこをどう進んでいるか、もはや分からなくなっていた。
自分は、藤秀めが差し向けた雑兵共から逃げているのだろうか。逆に、藤秀の本隊に近付いてしまってるかもしれぬな、と苦笑する。
藤秀と言えば、と、定藤は再び疑問を覚える。
円柳斎の言うことが確かならば、あの神経質な弟は、何故今までわしに一言も申さなかったのだろうか、と。
仲の良い兄弟だったとは自分でも思わない。同じ父母から産まれたはずなのに、まるで正反対の性格だった。交わした言葉も、両手で数え切れるくらいかもしれぬ。
しかし、弟の苦言をまったく聞き入れぬ程、自分は冷酷な兄ではなかったはずだ。
藤秀には、そうは見えなかったのだろうか。
意見も言えぬほど、わしが恐ろしく見えていたのだろうか。
「……それとも、元よりわしに取って代わる機会を探っておったのかのう」
定藤は暗闇を掻き分ける。次に考えるのは、父のことだ。
父は、今の里崎の様子を、どう見ているのだろう。
自分は、父の意志を継いで、里崎を強い家にしようと奔走した。領地が増えた時は、嬉々として父の墓前に報告し、家臣に酒をふるまったものだ。
結果として、広がった領地は自分と弟とで二分されることとなったが……いや、自分は負けたから、いずれ藤秀がすべての領地をまとめることだろう。
父は、この様子を嘆いておられるだろうか。それとも、誠実なる藤秀が里崎を束ねることになり、お喜びであろうか。
いずれにせよ、自分は死んでも父と同じ場所には行けぬであろうな、と定藤は苦笑する。
領民を苦しめ、弟に槍を向けられた自分は、おおよそ極楽には行けぬことだろう。
円柳斎に呆れられるわけだ──定藤はククッと嗤った。
ガッ、と顔に重い衝撃が走る。目の前に太い木の枝があったようだ。紐が切れ、被っていた兜が泥濘に落ちる。父より受け継いだ大事な兜だ。しかし定藤はそれを拾おうとせず、ただただ前へと進んでいく。
自分はどうすればよかったのだろうか? 定藤は思案する。
戦に勝利し領地を広げる以外のことで、自分が里崎に貢献できたとは思えぬ。元より、それしか能のない男だ。だからこそ、内政は弟に任せっきりだった。
裏切られる前に、藤秀めを斬ってしまうべきだったか? それとも、藤秀に家督を譲り、自分が藤秀の補佐に回るべきだったか?
考えは尽きない。しかし、今更考えても詮無きことだ。
……ただ、もし神仏に願うことができるなら。
『やり直したいですか?』
「!!」
突如、聞こえた声に定藤は足を止めた。
『やり直したいのであれば、誓約書にサインを』
「……何奴じゃ」
定藤は刀に手を置く。藤秀の差し向けた雑兵ではない。女の声だ。しかし、こんな山奥に何故女が……?
『やり直したいのであれば、誓約書にサインを』
再度聞こえる声に、定藤は苛立たしく叫ぶ。
「ええいっ、姿を見せぬか! 今のわしにモノノケと相手する暇は……」
そこで、定藤は自分の前方に、何かが浮かんでいることに気付いた。
それは一見、紙のようであったが、定藤が見たこともない形をしていた。表面に字が書かれているようだが、今の位置からでは小さくて読み解くことができない。
そして何より、その紙は山吹色の光を放っていた。
「……なんじゃこれは」
刀に置いていた定藤の右手は、自然と、宙に浮かぶ紙に伸びていた。
そして、手が紙に触れた瞬間。
「……ぬおっ!?────」
定藤が、光に包まれた。
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