第28首 源宗于朝臣_田舎の少年2

山里は 冬ぞ寂しさまさりける 人目も草も かれぬと思へば


 つくしが生えた。


 つくしが生えてくる兆しなんて一切なかったのに、気づいたら群生していた。田舎道の電柱の足元にニョキニョキと真っ直ぐなつくしだった。

 冬になれば一面雪に埋もれるこの地域は、人間の生活以外に生命を感じることは全くなくなる。白くて寒くて、メガネをしていようがしていまいが、変化のないぼんやりとした視界になった。いや、はっきりとした白が鮮烈に輝く日もあった。ぼんやりしていると言えば、五月も目前になりようやく気温が上がってきた今頃の方が、視界も空気も人の頭もぼんやりしているかもしれない。

 生命活動があからさまに鈍化する冬を超えて、春になればその変化は顕著だった。つくし然り、動物然り、人間のテンション然り。

 そんな自然環境を極端に体感できる、この田舎町が僕は好きだ。

 この環境を守ろうと、最近では積極的に小学生だか中学生だかのフィールドワークや、自然を守ろう、持続可能な共生をと謳ったポスターをよく見かけるようになった。


 持続可能な活動をしている生命はこの世に存在するのだろうか。


 僕の細胞ひとつとっても、数週で全て入れ替わっている。らしい。化粧品だかの広告でターンオーバーがどうとか聞いたことがある。その時、僕は学校みたいだなと思った。老いて死んで新しい命が生まれるように、卒業した生徒の席を補うべく新入生が入学する。校舎はきっと一年ごとに違う雰囲気になるだろう。

 その学校が完全なあるべき姿であれば良い。でも完全な世界がないように、どんな学校にしたいか分からない教育委員会がどうして入学試験を作れるのか。”今”を持続し、あるいは発展させることが前提となり、そして推奨されるのか、僕には分からない。

 次の電灯まで歩き着くと、つくしに加えタンポポも生えていた。去年は咲いていたのだろうか。記憶にない。タンポポは地面からコンクリートの電柱に沿うように生えていた。

 ジーパンのバックポケットからスマホを取り出し、僕の中の矛盾を検索しようとして、やめた。


 スマホの液晶画面から真っ直ぐな田舎道が伸び、その先には連なる山と真っ青な空が広がっていた。 

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