第10首 蝉丸_大学生
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
A町とB町の間は40km離れています。太郎君はA町から時速4kmで歩き始め、花子さんはB町を時速15kmの自転車で出発しました。2人が同時に出発すると、出発してから何時間後に出会うでしょうか。
「で? 」
「は? 」
「いや、会うなら会う時間を決めておけばいいのに。何時間後に会うかな? なんて会話しないっしょ。普通」
中学受験を控える石原陽人クンの家庭教師になり三ヶ月が過ぎた。勉強はできる。発達が早いだけなのか、いわゆる地頭が人より少し良いのか今の段階ではわからないが、少なくとも勉強すればそこそこ頭が良さそうに見える普通の生意気な少年だ。
「宇宙から隕石が落ちてくると分かった瞬間とか、なんかあるだろ。今からミサイル発射したら上空のどの地点で爆破できるか、とか」
「じゃ、そう書いてよ」
「空気抵抗があるから、ミサイルも隕石も同じ速さを保てなくて小学生の問題にはならないよ」
ただし空気抵抗を無視できるものとする、という回避呪文は黙っておく。
「なんだよそれー、算数っていつまでこんな有り得ないことやらないといけないんだよ。まじ意味わかんね」
「あり得ないと説明することに三百年かかることもあるんだ、あり得ないことが分かることに、意味がないってことはないよ」
陽人はまだ意味わかんねーと呟きなが、鉛筆を動かしている。生意気には変わりないが、反論できなさそうな難しく聞こえるような事を言って論点をずらすと、ぶつぶつ言いながら問題を進めるところはかわいいと思う。
「はい、正解」
赤で丸をつけてやるが、納得いかないといった顔をしている。
「陽人、問題を出してもらえるのは今だけだからな。先生が大学で使ってる教科書なんて問いは一問もない」
「え、じゃあ何すんの大学で」
コンコン、というノックと同時にガチャリと部屋のドアが開いた。陽人の母親が飲み物を持ってきてくれた。ペコリと頭をさげ、陽人には頑張るのよと冗談めかした怒った顔で言い、すぐにドアを閉めるとパタパタと去っていくスリッパの音が聞こえた。
「大学では、陽人のお母さんがドアを開けるまで、俺たちが勉強しているかしていないか決まってない、とかそういうこと勉強してるよ」
「勉強してたし。別に確認しなくても」
「そうだな、でもお母さんから見たら部屋の中の陽人が何してるかなんて分からないだろ? それに、お母さんが入ってきて慌てて勉強してたふりをすることだってあるんじゃないか? 」
「えー、あるけどさー、てかそんなの勉強じゃなくない? 」
もっともだった。大学の講義を受けて、入試のための勉強はただの考えるための道具にしか過ぎないと思った。
「言っただろ、問いはないって」
気付かなければ、疑問に思わなければ、この世界はすでに完璧なんだから問題なんて端からない。いつだって偉大な先人たちは自分の中に問いを見つけて、完璧な世界の完璧さを証明してきた。その数字と記号に翻訳された世界もまた、この世界同様に完璧で美しいと思う。
「問いは、いつだって自分の中にあるんだよ」
「うわ、きも」
カッコつけて言うと、陽人はすかさず笑いながらツッコミを入れてくれた。
「まぁでもほんとに、回答のある問題を与えてもらえるだけ有難く思えよ、少年」
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