第19話

あれ以降、結局一睡できなかった。執拗な要求を鋼の意志でなんとか断り続けた。そこまではよかったものの、もう寝るより起きていたほうがいい時間帯になっている。


 億劫な着替えを終えて、部屋を移動する。今日一日は睡魔との戦いになるだろう。すでに食事は用意されているけど、ルウがいない。最近関係は変だけども、だからといって食事は一緒がいい。そんなことにこだわって待つけど、ルウが来ない。というかここにいる気配がない。


 まさか! ルウは誘拐されたのか!? ありえる、ルウはこの地上で敵う者はいないほどかわいい。俺がいない隙にきっと押し入って・・・・・・! こうしちゃいられない!


「おやご主人様。どうかされましたか」


 玄関を飛びだしかけたとき、タイミングよくルウが帰ってきた。そのままぶつかりそうになったけど、渾身の力で耐える。あぶないところだった・・・・・・。


「?」


 ほっとしたのも束の間、体勢と距離のせいで、お互いの顔がとんでもなく近づいてしまっている! もう唇を少し出せば、それこそ触れあってしまいそうになるほど! ルウは動揺すらせず、なんだこいつは? という胡乱な視線をまっすぐぶつけてくる。けど俺はドギマギして動けなくなっている。


 意外と長い睫。きめ細かい肌。鼻息が当たってドキドキする。すべてがいとおしいって実感できていただけ。


「・・・・・・なにかご用でしょうか?」


 すっ、と静かに身を翻しながら俺を置き去りにして、そのまま歩いていってしまう。・・・・・・残念だとかもう少し・・・・・・だなんて断じておもっちゃいない。


「どこへ行っていたのか探しに行こうかってさ」

「水をくみに行っていました。玄関のあたりが多少汚れていましたし、調理場のほうも」

「え・・・・・・あ。そ、そうか。ありがとう」

「いえ、私の足が汚れたりけがをしたりするのが嫌なだけでしたから」


 ああ、なるほど。なのに俺ってば心配のしすぎで・・・・・・恥ずかしい・・・・・・。見れば雑巾に使ったらしい布とかあるし・・・・・・っていうか、ん? あの布って?


「ルウ。ちょっといいか?これ、さっき室内の掃除に使ったのか?」

「ええ、そうです。大分汚れていましたので雑巾にしてしまおうと」

「・・・・・・これ、いつも着てるローブだけど」


 ただ汚れてぬれているだけじゃない。穴が空いてしまっていたりほつれていたり、臭かったり、とにかくボロボロだった。着ていける状態じゃない。


「このような粗末なローブをいつまでも着ているので、もういっそのこと雑巾にしていいよというご主人様のアピールかと。それに使ってはいけないというご命令はなかったので」

「ああ、うん・・・・・・じゃあいいや」


 春になったとはいえ、まだ寒い日はある。特に夕暮れときや夜は。大丈夫かな。風邪ひかないかな。


「申し訳ありません。今後少しでも出掛けるときはご主人様のご命令がなければ行きません」

「いやいやいや! そこまではいいって!」

「しかし、私をお疑いになったのでしょう? 逃げたのではないかと」

「違うよ!」 

「ご安心ください。この首輪があるかぎり決して逃げられませんので」

「それ本当は逃げたいってことじゃないのか!?」

「・・・・・・とにかく私は奴隷、自由などありません。たとえ小さい理由でも主のご命令がなければ動いてはいけないと知りました」


 ごまかされた! というかそんなことは後回し! あああああああああ! 身から出た錆とはいえ! どうしてこうなる!? きっと俺が心配した本当の理由を教えても無駄だろう・・・・・・。はぁぁ、もうどうすればいいんだろう。


「ん? おい! おまえ、手が擦り切れているじゃないか!」


 いきなり手をつかまれたからか、非難がましく見てくるけど、ど今はそれどころじゃない。


「きっとあかぎれでしょうね。水仕事をしているので。それがなにか?」

「それがなにか? じゃなくて。このままはきついだろ」


 ルウの陶磁器みたいにきめ細かく美しい手が。肌が割れたようにぱっくりと線上の傷だらけで痛々しい。これで家事を続ければ辛いし、悪化する。


「問題ありません。唾をつけて適当になめていればそのうち治ります。それともなにかご命令でしょうか?」


 気圧されそうな視線に負けそうになる。ぐっと言いたいことが喉に引っかかってしまって紡ぎだせない。きっと、なにかするべきなんだ。そうじゃないとずっと永遠にルウとの関係は変えられない。


 なにをすればいい? 命令をする? 頑なな理由を聞きだす?


「なにもないのでしたら手を離していただきたいのですが」


 このまま離してはだめだ。それだけはわかる。それから考えて。考えて考えて・・・・・・散々悩んだ末に、一つの行動を取ることを決めた。そのまま掴んだ手ごと彼女を引っ張っていくことにした。


「ご主人様、いったいなんでしょうか? なにをなさるのですか? 私を犯すおつもりですか? 鬱憤や汚らわしい欲望を私にぶつけられるのですか? ご命令なら従いますが」


 少し抵抗しているのか、体に力を入れているルウには答えない。工房を開けて戸棚を探る。ルウを掴んだ状態だから片手でやりづらいけど仕方がない。好きな子がけがをしていて、それを放置しているのがはいやだ。それだけが確かなんだ。


「これはなんでしょうか?」


 目当ての薬を見つけ、手渡した。


「それを塗るといい。すぐよくなるはずだ」

「透明でネチョネチョしています。気持ち悪いです。前の薬とは違いすぎます。本当に薬ですか? これを塗ったら私がえっちな気分になってご主人様におしおきやえっちな行為を要求するようになるのではないですか?」

「そんな媚薬誰が創るか! 誰がこのタイミングで渡すか! 普通の薬だよ!」


 中身を手に取って、指で広げたり伸ばしているルウに、説明をする。以前の薬とは材料と用途が違うからだと細かく説明をする。


「いりませんし使えません」

「使ってくれ」

「ですから、問題ないと」


 そこで薬の押しつけあいになった。だんだんお互い声の張りが強くなってしまう。


「これを使うのは、ご命令ですか」

 

多少、うんざりになって薬を乱暴にとって、そのまま手に塗り込んでいく。


「なにを、不要と申したのに、」

「知るか」


 しみて痛みがないように創っているけど、感触とひんやりとした冷たさからか、時折小さい悲鳴とびくつき、それから弱々しい抵抗が手を通して伝わる。


「俺は俺のやりたいようにやっているだけだ。それとも奴隷は、主の意志を無視して自分を優先するのか?」

「・・・・・・」

「命令どうこうより、主の意向とか期待とかを叶えるのが奴隷じゃないのか」

 こういえば、ルウは抵抗しないしなにも言えなくなるだろう。あわよくばという打算めいた台詞は効果てきめん。黙りこんで黙りこんだままされるがまま。多少意地悪な言い方をした罪悪感を紛らわせようと一方的な話をする。薬を創ったときの年齢、できたときの嬉しさ、四苦八苦したとき。何気なしに、語り続ける。聞いているのか興味ないのか、反応がないのでわからない。


「これでいい」

 塗り終わったが、ルウはなにも反応してくれない。強引すぎて嫌われたのかと不安に駆られるが、頭を下げてそのままぴゅ~! と走って工房を出て行った。


 ・・・・・・もしかして嫌われただろうか。強引になってしまったから同じ空間にすらいたくないのか・・・・・・自己嫌悪に陥りながら少し戸棚の整理をして泣きそうになりながら部屋を移動する。


 なんとか覚悟を決めて椅子に腰掛けてルウと対面。食事をしながらおそるおそるルウを見るけど、おや? と。おかしいぞ? と。いいや、ルウがおかしいのは最近いつもだけど。頬が少し赤くなっている。時々、俺のほうをちらちら見て、視線が合いそうになると顔を背ける。尻尾が勢いよく振られる度に、むんずと力で押さえて隠そうともしている。耳がわずかにぴくぴくしているのも、同様だ。


 なんだ? どういう心境なんだ? けどただ一つはっきりしている。こんなルウもかわいいということだ。


 食後に食器を洗持とうとしたら、同じようにしたルウと触れあってしまった。


「あっ」

 刹那的に手を引っ込められた。


「も、申し訳ありません・・・・・・食器は私が洗いますので」


 消え入りそうな声でそれだけ伝えると、手早く全ての食器を持って逃げるように行ってしまう。なんだ? ここまでくると不安になるぞ?  しばらく後ろからルウを観察していたが、どうにも変だ。少しましになったあかぎれの箇所を、愛おしそうに撫でる、その後すぐに頭を振る。それでいて、頬を押さえる。



「ご主人様、もう出発されなくてよろしいのでしょうか?」


 ごく当たり前のように、その後も過ごしている。本当は研究所なんかよりも大切なことだけど、仕方ない。帰ってからまた調べよう。


「じゃあ行ってくる。今日一日家事はしないほうがいい。まだ手が元に戻りきるまで、溜め用字ためておいてかまわないから」

「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」

「ああ、行ってきま・・・・・・・・・・・・ん?」


 そのまま出ようとして、はたと止まって振り返る。今聞いたのは幻聴か。ここ最近ルウの口から出なかった言葉。行ってらっしゃいませ。けど、幻聴ではなかったらしい。口元に手を当てているところを見ると、ルウも自分のしたことが信じられない様子。意図的でなく自然と言ってしまったってかんじで。


 すぐには信じられなかった。けど、徐々に喜びと嬉しさが全身に巡っていく。眠気が覚めてきて。


 滾る。


「行ってきます」

 

 こんなに朗らかに家を出たのはどれくらいぶりだろう。全力疾走できてしまうくらい楽しい。


 不可解すぎる。明らかに俺のしたことが原因。けど、一体なにが彼女の琴線に触れたのか。悩んでも簡単には答えは出なさそう。けど、行ってらっしゃいませ。ただそれだけで、もうほとんどどうでもよくなっている。なんとかできるんじゃないかって、そう楽観できてしまう。

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