第3話

 耳鳴りが止まると、音が襲ってくる。


 首を切る音。体を刺し貫く、激しい音。それを喜んでいる兵士の声。嘆いている兵士も恐怖している兵士の声も。腕が、足が吹き飛んで嘆いている兵士の声。自らを奮い立たせて戦っている叫び声。愛する人の名を叫ぶ声。


 戦場ではありふれた喚声にも、もうすっかり慣れきってしまった。魔法を発動させて戦って、自分を守って、倒し、殺す。


 頭が内部から破裂したように吹き飛んだ死体がある。奇麗な顔のまま腹から腸が飛び出している死体もある。体中蜂の巣みたいに穴だらけの顔面や腹に馬鹿でかい穴が空いている死体も、上半身が消失して背骨が露出しきって立ったままの死体も、ここでは見慣れたものでしかない。


 自分自身も、そのありふれた光景を作り出した戦争の一部でしかない。向かってくる槍を、防いで連続で『炎球』を放って攻撃する。外れてしまったため、魔法の威力を無理やり上げて腹部にぶつける。上半身と下半身をつないでいた部分が消失して、下半身が倒れる。死んだとさえ理解できていない顔をした上半身が、味方の砲撃でこちらに飛んできて右手で払いのける。


 毒を浴びて皮と肉だけが溶けて軍服をまとった骨達を踏み砕いて進んでいく。上空から飛竜のブレスが殺到して地面をえぐりながら兵士を吹き飛ばす。仲間の死を嘆く暇も顔にへばりついた肉片と土を拭わないまま、殺し合いを続ける。


 もうどれほどになるか。この地獄に放りこまれて。数えるのも諦めるほど、遠い時間がたったと錯覚する。学生時代の夢。研究所での毎日。夢に向かって毎日工房で実験を繰り返していたのも、幻だったのか。


 魔法も剣も槍も、弓も、どこからともなく襲いかかってきて、命を奪いにくる。半ば反射となってしまった、それらの攻撃にわずかな動作と時間で対処する。タックルしてきた兵士もろとも、地面に倒れた。俺の首を絞めながら剣を突き立ててくる。窒息直前の苦しさは視界が暗くなっていくのと同時に和らいでいく。


 いつの間にか再び呼吸ができ、誰かに肩を貸してもらいながら立てている。すぐ隣に立っていた兵士の顔に、氷の矢が刺さる。後頭部から血とどろりとしたしぶきが飛び散った。雨のように降り注ぐ氷の矢を、身を屈めて移動し、炎の盾で避けるが、地面にはその矢の被害者達がどんどん誕生していく。


 雷の閃光が地面を走る度に、何百という兵士が跡形もなくなって消失する。すぐ前にいた敵の一団に、上空から風の刃が降り注ぐ。俺も遠距離から攻撃する。火達磨になって、もがく肉塊が黒焦げのずぶずぶになって倒れていった。人間の肉が焼けた独特の匂いも、硝煙と血と死体のせいで鼻がきかなくなっている。


 敵の壁に穴が空いたところで、突撃命令が下った。隣、前、後ろ。兵士たちの手足が吹き飛ぶ。頭を屈め姿勢を低くして進んでいく。穴にたどりりついたとき、きっと新しく補充されてきた兵士であろう一団が殺到してきた。前方の騎馬隊と地竜隊が進まず、ふたのようになっている。飼い慣らされた魔物が、馬と地竜に乗っていた兵士に飛びかかり食い散らかす。四人ばかりがその魔物の腹と背中、頭に組み付いてめった刺しにする。


 魔法がそこかしこで炸裂し、炎の竜巻で焼き尽くされて黒焦げになってさまよっている兵士達は地獄の亡者。生に限りなく遠く死を喜び嘆く怒号とともに地面が吹き飛ぶ。土煙が舞って視界が覆われる。その場でうずくまって待つ。視界が晴れたときには、敵がいなくなっていた。戦闘が終わって撤退を告げる笛と閃光弾。味方が次々と消え去っていくが、ぼうぜんと立ち尽くす。


 草木もない、死しか存在せず、太陽さえ灰色の雲で遮られて黒煙で埋め尽くされている。この世から切り離された死体の荒野は地平線の彼方まで続いている。

 終わった。また生き残れた。安心と同時に絶望もまたある。いつまで続くのか。いつまで生きていられるのか。憎くもなく殺す理由もない、顔も素性すら知らない敵と、いつまで殺し合い、ここにいるのか。


「死にたくない」


 足下で虫の羽音ほどのうめき声が聞こえた。味方か敵か、既に判別ができないほど全身ずたぼろで、傷だらけで放っておいてしまえば死んでしまうだろう。


「死にたくない」


 俺の足にしがみついてきた。一本欠けている手が、軍服の下、皮膚と肉に食い込んでくる。骨が折れるほどの信じられない力で、痛覚が悲鳴をあげる。そのまま俺は引きずり倒された。


「助けて」


死に体の男が、上気を逸した表情で、血走った眼で、涙と鼻水とよだれでぐしゃぐしゃのまま、しがみついてくる。


「やめてくれ、もう嫌だ」


 やめろ、俺だってもう嫌だ。


「死にたくない」


 俺だって死にたくない。夢があるんだ。


「生きたい」


 俺も、生きたい。生きなきゃいけないんだ。


 消えかけていく意識で、どうやって発動したのか。俺の紫炎で、男の顔は燃え上がった。男の体がゆっくり後ろに倒れていく。足で突き飛ばして、下がりながら紫炎を連続で男に浴びせていく。男の全てが完全に消失する頃には、魔力が足りず魔法を発動させられなくなっていた。生きた心地がしない。呼気も整わないまま急いで離れる。いつまでたっても味方の陣にたどりつけない。そこかしこに転がっている死体が、次々と起き上がって追ってくる。怨嗟と嘆きをまき散らして、追いすがってくる。

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