第55話『雄一くんは再び思い悩む』

「…………」


 冷房の効いた自室。折り畳みテーブルの前で胡坐をかく雄一は、瞑想するかのように両目を閉じ腕を組んでいた。室内には冷房の控え目な動作音が流れていて、時折外からはセミの鳴き声も聞こえてくるが、窓で隔てられているせいで随分と遠くのように感じられる。


 そんな静かな時間が流れる中、ようやく目を開いた雄一はテーブルの上に目を向けた。


 そこに置かれているのは二枚の横長の紙――つい一、二時間前にくじ引きで当てた大型プールリゾート『サマーシャングリラ』、通称『サマシャン』のペアチケットである。


 流れるプールやウォータースライダーを始め、屋内温水プールや飲食店などの各種店舗を併せた大型施設。今年のような暑い夏にはうってつけのレジャー施設だ。


 そんな人気施設を無料タダで利用できるのだから、なるほどこれは確かにくじ引きの金賞に相応しい景品と言えるだろう。


 さて目下の問題は……誰を誘うかだ。


 ペアチケットである以上二人までは利用できるわけで、チケットを保有する雄一の他にもう一人、誰かを招待することができる。とはいえ別途でチケットを買わないかぎりは二人で行くことになるので、必然的に相手はそれだけ仲の良い相手に限定される。


 仲の良さで考えると雅人か紗菜辺りが妥当だが、二人ともそれぞれ部活で忙しい。


 誘う相手がいない、はてさて扱いに困ったなぁと雄一は天井を見上げる。


 そして、ややあってからゆるくため息をついた。


「……やーめた」


 呆れるように一言。


 いい加減自分を変に誤魔化すのはやめよう。そう思ってチケットを手に取る。


 誘う相手――厳密に言えば誘ってみたい相手は、一人いる。むしろチケットを貰った際、いの一番に頭に浮かんだぐらいの相手が。


 思い浮かべる相手は、もちろん澄乃だ。


 風邪を引いた折にはとても世話になったわけだし、澄乃が先日遊園地に誘ってくれたのと同じように、こちらもお礼の一環で彼女を誘ってみるのも悪くない。


 自分で言うのも何だが澄乃とは仲が良いし、たとえ二人だけでということでも彼女は誘いに乗ってくれるだろうとも思う。


 しかし。だがしかし。


 プールである。


 つまり水着である。


 露出度で言えば下着姿とそう変わらない格好である。


 果たして……誘っても大丈夫なのだろうか?


 男の方から女性をプールに誘うなど、端的に言って『水着姿が見たい』と公言するようなものではないか。いやぶっちゃけ本音を言えば澄乃の水着姿は見てみたいので何ら間違ってはいないのだが、さすがに軽々しく求めていいものでもないだろう。


 女性の場合、水着を着るとなると体型や肌など、男性以上に色々と気になる部分は多いはずだ。無論、澄乃のスタイルは自信を持って誇っていいぐらいの素晴らしいものだと思うが、彼女の内情までは当然分からない。


 そう考えると澄乃を誘うことに若干気後れを感じてしまうのだが、正直、誘わないというのは非常に惜しい。


 しばらくうんうんと悩んだ後、雄一は財布から一枚の硬貨を取り出した。


「表が出たら誘う。裏なら誘わない」


 いつまで経っても踏ん切りがつかないので、運を天に任せることにした。


 一度深呼吸して精神を整えたところで、親指で硬貨を天に弾く。くるくると回って落ちてくる硬貨を、左手の甲と右の手の平で挟み込むようにキャッチ。


 恐る恐る結果を確認してみると――×


「……なるほど」


 一度右手で蓋をして、改めて結果を確認してみても――×


「……よし、練習終わり。次本番」


 もう一度硬貨を弾く。


 ×


「三回勝負にするか」


 裏表裏×〇×


「五回だな」


 裏表裏表裏×〇×〇×


「七――いや九回」


 裏表裏表裏表表裏裏×〇×〇×〇〇××


「キリ良く十五」


 裏表裏表裏表表裏裏表表裏×〇×〇×〇〇××〇〇×――……。


 結局、試行回数は五十一回にまで達した。















「……あれ、電話?」


 夏休みの課題に取り組んでいた澄乃の集中を、スマホの断続的なバイブレーションが中断させた。勉強に集中したいからマナーモードにしていたのだが、何度も繰り返し震えていることから考えるにメールやアプリの通知ではないようだ。


 シャーペンを置いてスマホを手に取ると、澄乃の顔にぱぁっと笑顔の花が咲いた。誰も見ていないのに何故だか前髪を整えて、一度深呼吸してから通話ボタンに指をスライドさせる。


「もしもし?」


『もしもし白取、今ちょっと大丈夫か?』


 浮き足だってしまいそうになる声を抑え、澄乃は努めて普段通りに「大丈夫だよ」と答える。中断された課題はえらく中途半端な位置で止まっているが、それらは澄乃の手によって脇へ退かされた。今はこの電話の方が最優先である。


「何かあったの?」


『あー……ちょっと訊きたいことがあってな……』


「うん、何?」


『……その、何だ……何というか……』


(……うん?)


 雄一にしては珍しく歯切れが悪い。いつもとは違う想い人の様子に、澄乃はほんのりと形の良い眉を顰めた。


 何だろう。メッセージでなくわざわざ電話をしてくる辺り、特別な用事なのだろうか?


 澄乃がちょっとドギマギしていると、電話口の雄一から深呼吸するような息遣いが聞こえてくる。何か腹を決めるような、そんな感じの様子。


『……白取、サマシャンって知ってるか?』


 やけに真剣みを帯びた声で問われたのは、そんな内容だった。


「サマシャンって……あのプールの? サマーシャングリラ」


『ああ、そのサマシャンだ』


「知ってるけど……それがどうかしたの?」


 サマーシャングリラと言えば大型プールリゾートだ。最近だとテレビのCMでもよく見かけるし、今年のような暑い夏なら需要も一入ひとしおだろう。


『実はな……たまたまチケットを手に入れたんだよ。ペアチケット』


「……え?」


 そういえばあそこのウォータースライダーは国内最大級なんて煽り文句が付いてたなぁと思い出していると、返ってきた雄一の言葉に澄乃はぽかんと口を開ける。


 ちょっと待って。


 ペアチケットを手に入れた。そんなことをわざわざ自分に伝えてくるということは……?


 戸惑いと期待、どちらかというと後者へ感情が寄りがちな中、澄乃はドキドキと脈打つ胸に手を当てて続く言葉を待つ。


『もし良かったら……一緒に行かないか、サマシャン』


 果たして、雄一から告げられたのは澄乃の期待通りの言葉だった。


「……それって、他には誰かいるの?」


『え? いや……今のところは俺と白取だけ。ペアチケットだから利用できるのは二人までだし。……他に誰か誘った方が良いか?』


「う、ううんっ!? ただ何となく訊いてみただけだから……! そっか、私と英河くんの二人でね……」


『あ、ああ。風邪の時は世話になったし、この前の遊園地を真似るわけじゃないけど、お礼を兼ねてどうかなと思って、な……』


「あ、あー……なるほど……そっかー……」


 ――マズい。顔がニヤける。ニヤけて仕方がない。


 鏡を見たらさぞだらしない自分の顔が映るだろうけど、分かっていても止められるものではない。


 何せ好きな人からデート――と言っていいのか分からないが、この際だからデートだと思うことにする――に誘われたのだ。恋する乙女にとってこれほど嬉しいことがあるだろうか。いやない。思わず反語になった。


 急な幸運に思考回路がオーバーヒート気味になり、「そっかー」や「なるほどー」と同じような言葉ばかりを繰り返す澄乃。そんな澄乃の様子を躊躇と読み取ったのか、電話口の雄一は気まずそうな声を上げた。


『その、別に無理にってわけじゃないぞ? 嫌だったら全然断ってくれても……』


「へっ!? いや、行くっ、行きますっ……! ちょうどプールで涼みたいなーって思ってたし、ぜ、是非行かせてくださいっ!」


『お、おお……じゃあ、行くか。白取はいつなら空いてる?』


「わ、私はだいたい大丈夫だから英河くんに任せるよ。あ、でもどうせなら早い方が良いかな……?」


 じゃないと、落ち着かなくて眠れない日が続きそうだから。


『なら明々後日の月曜でどうだ?』


「月曜……うんっ、大丈夫」


『じゃあその日に決定だな。時間と待ち合わせ場所は――……』


 その後、互いに予定のすり合わせができたところで通話を終える。


 澄乃は椅子にくたーっと体重を預けて、天井を見上げた。


(英河くんと……二人でお出かけ……)


 まさか向こうから誘ってもらえるなんて。予想外な展開だけに嬉しさが半端ない。


「あ、水着買わないと……」


 嬉しさのあまりですっかり忘れていたが、引っ越す際に持ってこなかったので今の澄乃には手持ちの水着が無い。


 まぁ、プールに行くのは明々後日なので、明日か明後日にでも買いに行けば問題ないだろう。


 と、そこではたと気付く。


 至極当然の話なのだが、自分は当日、雄一の前に水着姿を晒すことになる。


「どんな水着がいいんだろう……!?」


 好きな人に水着姿を見てもらう――それは恋する乙女にとって、非常に由々しき事態だった。

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