54. 力こそ正義 - Might is Right -

 こちらに送られてどれくらいの時間が経ったのだろう。

 腰を落ち着かせると、改めてそんな疑問が首をもたげた。


 収容所には見た限り時計の類が一切なく、空に太陽や月が浮かんでいるわけではない。おそらくじっと動かないであろう正体不明の天体から、時間を判断することはできなかった。

 だが、時間というものは、囚人に規則正しい生活を課し、管理する刑務所のような場所では、特に必要なものだ。

 刑務所の中で一番問題が起きやすい食事の時間などはどうしているのか。ネイサンがこちらに送られて一ヶ月ほど経っているため、食事は採っているのだろうが。


 思ったほど時間が経っていないということなのか、虚脱感もなければ空腹感もなく、まだまだ眠気も感じない。欲に苛まれるよりはマシかと思い、現時点では深く考えないようにした。

 休むのは疲労が溜まって眠気が襲ってきてからでいいだろうと、とりあえず生命の樹のタトゥーについて知っている者がいないか、フロアで情報を集めることにした。


 一筋縄ではいかないだろうとは思う。

 めげずに同じことを繰り返している自分を心の隅で揶揄するもうひとりの自分が顔を出したが、できることならすべての囚人に確認を取ってみたい。そういう意味では、早々に棟を移されたのは失敗だったかもしれない。


 廊下へ出、階下から刺さる視線を感じながら、アーロンは階段を降りた。一番近いテーブルに座っていた二人組へ足を向け、話しかける。


 細長い六角形に十の丸が重なったようなデザインの、生命の樹のタトゥーを二の腕に刻んだ悪魔憑きらしき男を探している。


 今まで何度も口にしてきた文言だ。すでに、少しも詰まることなくスラスラと口から出てくる文章になっている。


 二人組のうち、ひとりはニヤニヤと粘ついた笑みを顔面に貼りつけ、もうひとりは対照的に、仮面でもつけているかのような無表情だった。どちらにしても、しっかり話を聞いている風ではない。アーロンが喋り終わると同時に、無表情だった男がおもむろに立ちあがった。


(無視かよ)


 チッ、と舌打ちしそうになる。だが、無視だけならまだよかったと、アーロンはすぐに思うことになる。


 視界を、迫る拳が埋め尽くす。反射的に身を引いたために、狙いすまされた拳は空を切った。


「あッ……ぶねぇな! いきなりなんだ!」

「お前がいた生ぬるいA棟とは違って、この棟には序列ってモンがある」


 ととっ、と数歩あとずさったアーロンを逃しはしないという意思表示か、ボキボキと指を鳴らしながら、痩せぎすのその男は一歩踏みだした。


「俺の序列は九位、新入りのお前が呑気に話しかけていい存在じゃねぇんだよ」

「はぁ」

「なんだその気の抜けた反応は!? まさか、言葉が通じないのか?」


 眉尻を落としたアーロンに、男は急に冷静さを欠いた反応を見せた。


「いや、そうじゃなくて……九位って言われても、どんなモンなのか全然わかんねぇんだが」


 英語が通じなかったと思ったらしく、特に数字の部分の発音を確認している男に、アーロンは控えめに返した。痩身の男と一緒にいたもうひとりの男が、ニヤニヤとした笑みをさらに歪ませて噴きだす。仲間からの嘲笑にも似たリアクションが、彼の神経を余計に逆なでたのだろう。


「いいだろう、調子に乗った新入りを矯正するのも数字持ちの役目だ」


 先ほどまでの無表情はどこへやら、見ひらかれた双眸を爛々と輝かせている。


「来い。この棟がどんな場所なのか、お前の骨身に刻んでやる」

「いや、遠慮しておく」

「はぁっ!?」


 手のひらを上にし、くいくいと指を持ちあげ挑発する男だったが、アーロンは手を突きだして首を振った。当然といえば当然か、男は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。


「べつに喧嘩する理由なんてねぇし、どうせタトゥーについても知らないんだろ? それならほかに聞くからいい」

「このっ……! どこまでも俺をコケにしやがって! キングス・ブルにおいて序列の無視は万死に値する!」


 きびすを返そうとしたアーロンに、男ははちきれんばかりの筋をこめかみに浮かべ怒号を飛ばした。

 気づけば、騒ぎに気づいたらしいほかの囚人たちが廊下にぞろぞろと列をなしていた。A棟でも似たような光景ができあがっていたが、遠目に観察していた様子のあちらとは違って、血気盛んなヤジがどこからともなく飛んできた。


「やれー、やっちまえー!」

「楽しませろよーっ!」


 その喧騒は、瞬く間にフロア全体を包みこむ。もはや沈静化は不可能、というような状態になっていた。しかし、わざわざその歓声に応えてやる義理はない。無視したまま部屋に戻ろうとしたそのとき。


 フッ、と男の姿が消えた。


 だんっ、と着地するような音が背後で響いた瞬間、しなる鞭を浴びせられたような衝撃が背中に走った。

 身体はエビ反りになって宙を舞う。二、三度もんどりうってようやく止まった。


 よろよろと起きあがり、前を見据える。痩せぎすの男が片足立ちで構えているのを見て、背後を取られ蹴り飛ばされたのか、と勝手に納得する。


(それにしても、あの速さ……)


 苦手なタイプだ、とアーロンは歯噛みした。仕組みなどどうでもいいことではあるのだが、おそらく、魔力を下半身で燃焼させるなりして、爆発的な速度を可能にしているのだと推測する。


 痩身だという第一印象だったが、改める必要がありそうだ。よく見ると、まくりあげられた裾から覗くふくらはぎは非常に発達し、魔力で増幅された速度に耐えうるような強靭な筋肉をまとっていた。太ももも同様に、オレンジ色のズボンがはち切れんばかりになっている。


「まだまだ」


 ニヤリと笑い、男は軽く床を蹴った。同時に、人の影が視界のすぐ左端に映り、反射的に左の脇腹を庇うように両腕を構える。

 それとほぼ同時だった。

 鞭のようにしなる強靭な蹴撃が腕を打った。


 ビキリと骨が軋む音がする。

 苦痛に顔が歪んだが、ふたたび身体が飛ばされる前に、男へ向けた手のひらから炎の一閃がほとばしった。魔力を練る暇もなく、威力としては普段の半分も出ていなかったが、至近距離から放った炎は男の半身を焼いた。

 男は瞬時に距離を取り、顔を歪めて舌を打つ。アーロンも似たような表情になったが、唇が弧を描いている。思考はすでに、相手を打ち倒す方向へ傾いていた。


 アーロンの攻撃は基本的に、魔力を溜め、狙いを定め、放出する、という一連の流れが必要になる。離れたところから攻撃できるという強力な利点はあるが、その距離を一瞬で詰めてくるような、かつ狙いをつけることも難しい、速さを主軸に戦う相手とは相性が悪い。


「ほら次、来いよ」


 だが、アーロンは挑発的な笑みを浮かべたまま、左の手のひらを上にし、かかってこいとジェスチャーで示した。

 よく見れば、その手のひらに渦巻く空気のような流れが確認できる。見えないように背後にまわしていたもう右腕には、淡く光る鎖のようなものが巻きついていた。だが、男は苛立ちで視野狭窄に陥っていたのか、挑発に乗ったようで強く地を蹴った。


 接近して攻撃するのが男の主戦法だろうが、四方どこから蹴りが飛んでくるかはわからない。相手がどんな選択肢を取ってきても、ある程度効果が認められるのは。


 魔力を凝縮させた左手を床に突きつけ、溜めていた力を解放した。甲高い轟音とともに、床で弾けた衝撃波が四方に突風をまき散らす。反動でアーロンの身体が浮き、岩肌が剥きだしの床には放射状の亀裂が走った。

 そして、それはアーロンの背後を取っていた男を怯ませるに充分な一撃だった。顔をしかめて耳を押さえ、硬直している男に向かって投擲するように右腕を振る。あらかじめ用意していた鎖が、男に向かって伸長し、彼を縛りあげた。


「なんだッ、これは――」


 ギチギチと身体に食いこむ鈍色の鎖に、男は瞠目する。そして、眼前に気配を感じ、弾かれたように顔をあげた。眉間に擬せられた指先が目に入る。それが、拳銃を突きつけられていることと同義なのはいやでも理解できた。

 鎖は外れない。

 外せたとしても、その瞬間追撃がくることは自明の理。だが、この棟における戦闘に降参は許されていない。必死で身を捩り、鎖を外そうとする。


「あきらめろ」


 ふいに声が響いた。冷然としている中に、ほんの少し憐憫の情が滲んでいる。それは、男の神経を逆なでるものだった。


「戦いに白旗はない! 戦闘不能になるまでつづく、それがキングス・ブルの掟だ!」


 唾を飛ばし叫ぶ男に、アーロンはため息をついた。だが、決着がつくまで戦う必要があるというのなら。

 アーロンはゆっくりと男へ歩みを進める。

 ゆらり、ゆらりと一歩ずつ踏みだすアーロンに不気味なものを感じたのか、男は鎖に縛られたまま後退しようとした。が、下半身までしっかりと拘束されているせいで、つまづき尻もちをつく。

 アーロンはそんな彼の胸ぐらを問答無用でつかみあげ、強引に立たせた。そのままグッと引きつけ、男のみぞおちに拳を叩きこんだ。


「がッ……」


 横隔膜が圧迫されたことで、呼吸困難に陥ったのだろう。男はぐるんと白眼を剥き、腹を抱えたまま倒れこんだ。

 同時に、歓声がわぁっと響き渡る。


「マジか! あの新入り勝ちやがったぞ!」

「オイ! 次は誰が行くんだ!?」

「九より上じゃないとダメだろ? 俺たちの出る幕じゃないな」


 倒れこんだ男がピクピクと痙攣したまま立ちあがらないのを見て、フロアにざわめきが走った。そして、当人たちの様子や事情を一切斟酌しないまま、外野の囚人だけでどんどん話が膨らんでいく。

 当然、その流れはアーロンにとって不服でしかない。無視して部屋に戻るか、異を唱えるか、どうしようかと考えているとき、ひとりの男が進みでてくるのが目に入った。

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