50. 悪魔の囚人 - Prisoner of Devil -

「早ク入れ!」

「うるせぇな、わかってるよ」


 強引に促されるまま、アーロンは岩窟へ踏み入った。


 一言で言うなら、小さな体育館と表現するのがぴったりな内装だった。吹き抜けの二階建てで、二階部分は左右に欄干のある廊下が走っているだけという簡単な構造。左右それぞれ廊下に繋がる階段は、フロアの奥の壁を削りだして造られたものらしい。その二階の壁には、ずらりと木製のドアが並んでいた。

 一階も同じように、右側の壁にはドアが等間隔で設置されていたが、左側の壁は造りが豪勢なドアがひとつあるだけだった。


 アーロンが今立っている一階のフロアは、岩を切りだして造ったようなテーブルや椅子がところどころに設置されており、ちらほらとオレンジ色の作業服らしき装いの男たちがいた。


「スカルミリオーネはいるか。新たな囚人を連れてきた」


 ユージーンがフロア全体に響き渡るような声をあげると、一階にひとつだけある豪勢な扉から、えらく腰を曲げた人物が出てきた。

 黒いローブに身を包み、太く短い杖を持ってその身体を支えている。もう片方の手には、囚人たちが着ているものと同じであろう、畳まれたオレンジ色の作業着らしき服を持っていた。そしてなにより特徴的だったのは、その長髪だった。白髪交じりのその髪は、腰が大きく曲がっていることもあってか、地面を引きずるほどの長さになっている。毛先がばらばらにならないようにか、先端のほうで一束にまとめられていた。


「これはこれは、グラッフィアカーネではないか。最近よく顔を見せるな」


 一見、魔女にしか見えない風体のその人物は、ユージーンの顔を見るや低い声をあげた。腰を折り曲げているためによく見えないが、咽頭突起が発達していることから男だとわかる。


「来たくて顔を出しているわけではない。最近こちらに送られる悪魔憑きの数が多いだけだ」


 スカルミリオーネという男にグラッフィアカーネと呼ばれたユージーンは、あからさまに鋭い視線を投げかけた。対して、睨みつけられたスカルミリオーネは、コホンとひとつ咳払いをし、


「それで、新しい囚人は?」


 と、話を本題に戻した。ユージーンは背後を振り返り、くい、と顎でアーロンを指す。


「ほぅ、なかなか好い男ではないか。尻でもなでてやろうか?」

「あ?」


 ニヤニヤと笑うスカルミリオーネの口から出た言葉に、思わずアーロンは眉根を寄せた。


 自分たちの仕事はここまでということなのだろう。ユージーンは弟と狼を引き連れ、開いたままの扉から外へ出ていった。それに気づいたアーロンは、看守長とやらの自己紹介を無視し振り返る。


「オイ!」

「ヤツらのことは気にせずともよい。これからキサマはこの収容所の中で生きていくのだ。キサマはワタシの世話になるのだぞ」


 しわがれた低い声が耳をなぞる。ザミュエルにも似ている、耳障りな声だった。


「まずはそこで着替えろ。身体検査もついでにおこなう」


 そう言ってスカルミリオーネが指差したのは、フロアの隅だった。人がひとり立てるほどの、壁を削りだして作られたらしいくぼみがある。その隣には、数段の棚にくり抜かれた靴箱があり、植物の蔓で編まれたような簡素なサンダルが何足か並んでいた。


「なっ……」


 まさかこんなところで脱げというのか。


 実際の刑務所でも、まずやることが身体検査だということは知っている。知っているが、扉をくぐってすぐの、ほかの囚人たちがうろついているフロアと同じ空間で服を脱ぐなど、到底受け入れられるようなことではない。正面に立たなければ覗きこめないようにはなっているが、それだけで納得できるわけがない。扉一枚隔てるということの重要性をひしひしと感じた。だが、背後から〝早くしろ〟という声が飛んでくる。


「いいか、キサマは囚人なのだ。看守のワタシに従う以外ない。観衆を呼ばれたくなければ、早く従うことだ」


 ぐぅ、と喉の奥からうめき声が漏れた。


「なぁに、素直に従えば五分とかからずに終わる」


 ここで暴れることは簡単だが、その選択が間違っていることだけはわかる。


「チッ」


 岩窟までやってきた目的を忘れるな。


 そう強く自分に言い聞かせ、スカルミリオーネが手にしているオレンジ色の囚人服を奪い取り、くぼんでいるスペースに身体を収める。そこでゆっくりとジャケットを脱ぎ、シャツを脱ぎ、心を殺してから、ズボンのベルトに手をかけた。


「壁に手をついて腰を突きだせ」


 壁のほうを向いたまま一糸まとわぬ姿になったとき、背後に立っているスカルミリオーネから声がかかった。

 黙ったまま素直に従う。背後から、ゲラゲラと聞きなれた笑い声が響いた。


(絶対に殺してやる)

「前を向け。手は頭の上だ」


 ギリ、と奥歯を噛みしめているアーロンをよそに、囚人の人権など鑑みないスカルミリオーネは、淡々と指示を飛ばしていく。

 頭の先から爪先まで舐めるように視線を這わせたあと、看守長である彼は満足そうに頷いた。


「不審なものは持っていないようだな。着ていいぞ」


 その言葉と同時に、アーロンは目にも止まらぬ速さでオレンジ色の囚人服に身を包んだ。


「服や靴はこちらで預からせてもらう。収容所の中での履物はそれだ」


 靴箱から適当なサンダルを抜き取り裸足の足を通す。


「そうだな、キサマは十六番だ。スタン! 新しい囚人にここでのルールを叩きこんでやれ」


 アーロンの身支度が済んだところで、スカルミリオーネは二階の廊下へ向かって大声をあげた。すると、二階にずらりと並ぶ扉のひとつ、入口に一番近い隅の扉から、ひとりの男が顔を覗かせた。その男は〝上にあがってこい〟というジェスチャーだけして引っこんでいく。

 今まで着ていた自分の服を引っつかんで、宙に浮いて笑っている黒い本を思いきり殴り飛ばしたあと、アーロンはフロアを突っ切り、それぞれ左右の二階へ繋がっている階段へ足を向けた。


「おい、十六番だとよ。看守長のお気に入り候補じゃねぇか」

「ひひっ、アイツも少しは楽ができるんじゃねぇか」


 フロアにいたオレンジ色の囚人服に身を包んでいる男たちが口々に声をあげる。

 明らかに向けられている好奇の視線を無視して、アーロンは二階へあがった。階段をあがった先に石の扉があったが、それを無視して、木製の扉がずらりと並ぶ廊下を歩く。


 扉にはそれぞれ番号が振られていた。先ほどスカルミリオーネが口にした数字は、この部屋番号のことだろう。十六番は、先ほど男が出てきた突きあたりの部屋だった。


 軽くノックをし、扉を押しひらく。

 狭い内装はシンプルなものだった。ベッドに使えとでも言いたげな平坦な出っ張りがふたつ、左右の壁から突きだしているのみだ。当然のようにマットや布団は敷かれておらず、部屋の中にはトイレや椅子すらない。

 そのベッドの片方に、ひとりの男が座っていた。暗く長い毛を後ろで団子に括り、マンバンヘアにしている。ブラウンの濁った目と荒れた肌が、収容所の劣悪な環境を物語っているかのようだ。

 普通なら、これからの生活に憂いを覚えるところだったかもしれないが、男の顔を見てまず感じたのが、ふたたびの強烈な既視感だった。眇めるような視線を向けられていることを、男も自覚したのだろう。


「……なんだ?」

「いや……どこかで会ったことがないか?」


 アーロンのその言葉に、男ははじめてしっかり目を合わせた。ふたりの視線が宙でかちあう。


「お前、名前は」

「アーロン・アローボルトだ」


 即座に返ってきた名乗りに、男は目を丸くした。アーロンの目をまじまじと見遣り、首を傾げ、しばらくしてようやくなにかに気づいたように顔をあげた。


「まさかお前、ブレイディの腰巾着か」

「腰ぎ……たしかに、警部とはコンビだったが」


 予想の斜め上の言葉をぶつけられ、その失礼な物言いに物申すより先に、アーロンは目をしばたたいた。


「警部……? あの野郎、オレがいないあいだに昇進しやがったのか」


 顔を背け舌を打つ男の反応を見て、アーロンは彼の正体を確信する。


「アンタ、やっぱり」

「スタンリー・グレイヴだ」


 顔見知りを前に隠し通すような真似をするのは不毛だと判断したのか、彼もアーロンへ素直に自己紹介をした。


「行方不明になったと聞いてたが、 まさかこんなところにいたとはな。それに……悪魔憑きだったとは知らなかった」


 円環の森にてかつての同僚に会うことになるとは、夢にも思っていなかった。そして、こんなところにいたのなら、なるほど、どれだけ探しても見つからないはずだ。


「……お前こそ、ずいぶん様子が変わったな。監獄が似合う風体になってるじゃねぇか。ガキ臭ぇ面してたように記憶してるが」


 スタンリー・グレイヴ。


 スコットランドヤードの刑事で、同じく刑事であるノア・ブレイディとは同期という間柄だった男だ。

 どういうわけかふたりの仲は悪く、顔をあわせればどんなときでもいがみあっていたという印象がある。

 ノアのもとで仕事をし、ノアの人となりをある程度知っていたアーロンからすると、スタンリー・グレイヴという刑事はかなり近寄りがたい人物だった。

 また、周りから慕われているノアと異なり、オフィスにいることが少なく、事件が起こればいつのまにかふらっと捜査に加わっているような人物だった彼は、同僚たちの中でも浮いている存在であり、それも彼に対する印象を曇らせる一因になっていた。


 端的に言えば、孤高の一匹狼。

 誰かと談笑しているような光景すら、見た記憶がない。同じ狼に例えるなら、群れを率いている立場が似合うノアとは、そういう意味でも対照的な人だったと言える。


 なんにせよ、妙な居心地の悪さが首をもたげた。

 これなら、見も知らぬ人間と同室になったほうが、まだ気楽だったかもしれない。


「……看守長とやらは、俺にここでのルールを教えろって言ってたが」


 挑発的な元先輩の言葉に食ってかかることはせず、アーロンは話を本題に戻した。


「ここがどういう場所かはわかってるのか」

「罪を犯した悪魔憑きが送られる、脱出不可能の牢獄……話に聞いただけだが」

「それがわかってりゃ言うことはない。外の死体を見たか」


 そう語るスタンの表情は、眉間に筋が浮かぶほど強張っていた。

 今にも怒りだしそうな雰囲気に、なにか地雷を踏み抜いたかと疑問に思いながら、アーロンは小さく頷く。


「この中にいる奴らは、人の皮を被った悪魔だ。外の死体みたく悲惨なオブジェになりたくなかったら、おとなしくしてろ。それだけだ。ただでさえ、この部屋に入れられた時点で面倒だからな」


 それだけ言って、グレイヴは一息ついたように石造りのベッドへ横たわった。

 まさかこれで終わりなのかと、アーロンは慌てて口をひらく。


「おい、ルールのルの字も聞いてねぇぞ」

「悪魔が闊歩するこの監獄に、厳格な掟なんてモンはない。強いて言えば、勝手にこの収容所から出るなってことくらいだ。力が物を言う単純明快な世界。問題を起こせば看守に目をつけられる、自分より強い奴に逆らえば殺される、それだけだ」


 天井の一点を見つめたまま、グレイヴは抑揚のない声でつづけた。


「ただ、ひとつだけ言っておく。この収容所において、囚人は部屋番号で呼ばれる。わかるか? 問題を起こせば連帯責任ってことだ。いくらお前が新入りだからって、特別扱いはしてもらえない。オレに迷惑はかけるなよ」


 それを最後に、壁のほうへ寝返りを打ち沈黙してしまった。

 背を向けられたアーロンは、そのあからさまな会話の打ち切りかたに、小さくため息を吐く。


「フロアに出るぶんには、自由にしていいんだよな」


 と、尋ねてはみたものの、いらえは返ってこなかった。無言は問題ないという意味だと判断して、アーロンは部屋の外に出ようとする。

 扉を開けると同時に、黒い本の恐ろしい表紙が視界に飛びこんできた。

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