16ミコという存在

「遠野さんのクラスメイトに憑りついていたペットが成仏するのは見ていたよね。オレたちの仕事は、基本的には、人間に憑りついて悪さをする霊を祓うことなんだ。そこは理解してもらえる?」


「ま、まあ。あんな場面を見せられたら……」


「ありがとう。それでね、兄も僕と同じように霊を祓う仕事をしていて」


 ここで一度、清春は言葉を止めて、じっと歩武のことを見つめる。何か、自分の兄のことで話したくないことがあるようだった。だったら無理に話すことはない。そう思ったが、清春は歩武に聞かせた方がいいと判断したようだ。ためらいがちに兄についての話を再開させる。


「兄は大学生で、オレよりも能力が高いと両親やその手の人たちからは一目置かれている存在だ。弟から見ても自慢の兄ではある。でも、最近、目に余る行動が多くなってきた。オレとしては、このままじゃいけないなと思っていたんだ」


「具体的にはどんなことがあったの?」


校門付近で見かけた男が清春の兄だと言っていた。遠目から背格好しかわからなかったが、髪の色が金髪で、あまり良い印象は受けなかった。それに、その時に感じたぞくりとした感触に、歩武は、清春の兄はやばい奴だと思った。とはいえ、そんなことを話しの途中で話すわけにはいかない。歩武は話を促すために質問する。清春もそれに対しててきぱきと答えていく。


「個人のプライバシーのこともあるから詳しいことは言えないけど、本来なら、成仏させることも可能だった霊を無理やり、憑りつかれている本人の許可なく祓うことがあった。だけど、それ自体は問題があるわけじゃない。霊がこの世に残っていいことはあまりないからね。とはいっても、祓う必要もない霊を祓ってお金を請求し始めた」




「お待たせしました」


 ここで、タイミング悪く、店主が料理を運んできた。両手には歩武たちが頼んだメニューを乗せた皿があり、慌てて二人は話を中断させて、料理が自分たちの前に来るのをじっと待つ。


「何を話しているかと思えば、清春君のお兄さんの話か。ということは、君か、君の周囲の誰かが目をつけられたわけだ。それで、清春はそれを助けたい、ということだね」


「毎回、タイミングよく、オレの前に現れるのはやめろよ。ごゆっくりと言いながら、全然ゆっくりできないだろ」


「いやいや、オレがお前らのためにこの店を開いたのは知っているだろ。迷える子羊を救うのが、おじさんの役目なんだよ」


 店主と清春が歩武にはよくわからない話を始めた。時間があるのなら、止めることはしなかった。しかし、ミコを助けるのなら、早い方が良いと判断した歩武には時間がない。二人の会話に割り込み、清春ではなく、店主に清春の兄について質問する。


「あ、あの、先輩のお兄さんって、どんな人なんですか?この店を出禁になったとか、私が被害者だとかいうのはどうしてですか?もし、被害者だとしたら、ミコは」


「僕に清春君のお兄さんのことについて質問する?」


「ええと、その」


「はあ」


 ミコが店主に質問したのが気に食わないのか、清春は大きなため息を吐く。そして、店主が口を開く前に、その場から追い出そうとした。


「料理はありがたくいただくから、食事が終わるまで自分の仕事に専念しろよ。この時間は他の奴らも来る時間帯だろう?」


「そうだね。他のお客さんのための料理の仕込みも必要だね。ごめんね。せっかく僕にしてくれた質問に答えられなくて」


 店主は清春の気持ちを察して、歩武の質問に答えることなくその場を後にした。



「あ、あの『グー』」


「先に料理を食べてしまおう。話はそれからだ。冷めてしまっては、おいしさが半減する」


「はい」


 店主がいなくなったところで、ミコは話を再開しようしたが、自分の空腹の音で遮られる。ミコが教室に居なくて心配で気が気でなかったため、空腹を感じていなかったが、ここで身体が正直な反応を示した。清春は歩武の空腹の音を気付かないふりをしてくれた。先に料理を食べることにした。


「これから話す兄の話を聞いたら、とてもじゃないが食事してはいられないと思うからね」


 先に食べようと言い出したのはありがたかったが、続いて怖いことを言いだした清春の言葉に歩武は清春の兄がどんな人物か想像しようとした。しかし、目の前の料理に視線を注ぐと、そこから香る良い匂いに思考が鈍ってしまい、考えることを放棄した。


歩武は食事に専念することにした。サンドイッチの皿の隣の置かれたおしぼりで手を拭いていると、先ほど歩武がたてた音と同じ音が、目の前からも聞こえてきた。二人は目を合わせて笑い合う。


「いただきます」


 少しだけその場の空気が和み、二人は食事を始めた。



 食事を終えた後はすぐに本題に入らず、清春は歩武にミコについて質問する。


「本当に今から話すことは胸糞悪いから、先に僕が遠野さんに聞きたいことを質問してもいいかな」


「ミコについてですか?構いませんよ」


 清春が気になっていることと言えば、妹のこと以外に思いつかない。ミコが清春のことを彼氏だと言っていたので、ミコとしては彼らがどうやって知り合ったのか興味があった。彼の質問が終わったら、質問してみようと歩武は心に決めた。


双子なので、生まれたときから一緒にいる存在で、特に断る必要もないので、清春の質問に軽い調子で頷くが、それが歩武の妹の疑念をさらに深めることになるとは、思ってもみなかった。



「まずは、妹と思っている彼女との最初の記憶はどんなものだったか、覚えているかな?」


「最初の記憶……」


 質問された内容を素直に考えてみる。当然、人間は赤ちゃんの頃からの記憶をすべて覚えてはいられない。妹との最初の記憶で印象に残っているのは。


「そういえば、猫を拾ったことを思い出しました」


 今まですっかり忘れていた。家に居候しているセサミのような、段ボール箱に入れられて捨てられていた猫を見かけたことがあった。セサミの時は、見て見ぬふりをして通り過ぎたが、あの時は家に持ち帰って介抱したはずだ。両親もそのころは猫アレルギーではなくて、一緒に面倒を見ていた記憶がある。


「アレ、でもこの時にミコは……」


 思い出そうとすれば、頭に鋭い痛みが走る。こめかみ辺りを襲った頭痛に耐えながら、必死に記憶をたどるが、この時、自分の隣にミコの姿はなかった気がした。それなのになぜ、ミコとの最初の記憶というキーワードでこの思い出が頭に浮かんだのだろうか。


「きっと、それが彼女との最初の出会いだったんだよ。それで、拾った猫は最終的にどうしたの?家で飼うことにしたわけじゃないよね」


「う、うん。別に一軒家だからペットを飼ってはいけないことはないけど、両親が反対して……」


 詳しく思い出そうとしたが、拾った捨て猫がどうなったのか、その後の記憶はあいまいだった。しかし、そのころからミコとの記憶が鮮明に思い出せる気がした。


「あの女の素性がわかったところで、この話は終わりにしよう。なるほど、捨て猫だったのか。でも、だったらどうして、あんなにも完璧に人間を演じられるのか……」


 清春はミコを完全に人間ではないと認識しているようだった。歩武の話を聞いて考え込むように、顎に手をついてぶつぶつと独り言をつぶやく。当然、目の前に座っている歩武には丸聞こえである。


「先輩はミコが、あの時拾った捨て猫だっていうんですか?」


「そうじゃなかったら、その前の記憶とやらがあってもいいと思うけど。その捨て猫を拾ったのはいつの話なの?」


「ええと、あれは……」


 初めて捨て猫を拾ったのはいつだっただろうか。幼稚園の頃だったかもしれないし、小学校に入ってからだった気もする。いや、もしかしたら、かなり最近で小学校5~6年あたりだった気もしてきた。


 捨て猫自体を拾ったのは間違いないはずなのに、いつごろかと聞かれると急にわからなくなる。自分の脳みそは大丈夫だろうかと心配になってしまう。うんうんといつの時期かと頭を悩ませる歩武に、清春は無情な言葉を投げかける。


「思い出せないというの、そもそも怪しいと思わないか。もしかしたら、思い出せないように、あいつがその時の記憶を封じている可能性もある。あいつなら、お前と一緒にいるためにそれくらいのことはするはずだ」


「そんなことが人間にできるの!」


「突っ込むところはそこなのか」


 そうなると、ミコは記憶を操ることができる特殊能力を持った人間ということになる。そんなことができる時点で、すでに人間ではないかもしれないが、特殊能力を持っていても、人間は人間である。こっそりと目の前に座る清春を観察する。彼もまた、普通の人間とは思えない能力を持っているではないか。



歩武は、無理やりにでも妹のミコが人間である可能性に縋りつきたかった。そうでないと、自分は人外の存在を妹として慕ってきたということになってしまう。


「本当は妹なんて存在しなくて、ミコは化け物で、私はその化け物に依存してきたなんて思いたくないの」


 つい、心の中で思っていたことが口からこぼれてしまう。今まで信じていたことが急に嘘だと言われても、すぐには信じられない。いや、信じたくない。


「お前のその弱い心にあいつはつけこんだのかもな。とはいえ、別にあいつが今すぐに人間に危害を加えるという根拠はない。遠野さんのことを第一に考える奴だから、君が世間体を気にしているとわかれば、あいつも自重する。今まで人間たちに被害が出ていないのであれば、駆除対象にはならない。観察対象でとどまるはずだ。それなのに」


 兄はそうは思わなかった


 歩武はいよいよ、ミコが人外であることを認めなければならない時が来たと悟る。清春の口ぶりからだと、ミコが害をなす存在でなければ、彼女は祓われる必要はない。しかし、逆を言えば、清春が害をなすと判断すれば、ミコが歩武の前からいなくなってしまうということだ。


そこで清春の兄の存在が浮上する。


「あなたのお兄さんは、私の妹のミコをどうするつもりですか?私とミコを引き離す?ミコを祓うの?正直に答えてください」


「そうだね。僕も腹を割って話すことにするよ。君の妹のふりをしている彼女は、敵にするとかなり厄介な存在かもしれないからね」


 その後、清春はミコの正体を彼なりの解釈で歩武に説明した。そして、歩武はそれを聞いてもなお、ミコを助けたいと思う気持ちが変わることはなかった。

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