第4話 パソコンのゲーム

   

 現在の私はMacのノートパソコンを使っているが、これが初めてのパソコンではない。

 私が初めて触れたパソコンは、中学一年生の時に買ってもらったMSX。モニターディスプレイはパソコン専用ではなくテレビに繋ぐシステムであり、また専用のROMカセットを所定の位置に差し込めばゲームも出来るという、テレビゲーム機的な要素も強いパソコンだった。

 ただし、それでもパソコンなので、専用のプログラムで動く。市販のゲームなどは高度なプログラミング言語で書かれていたようだが、素人でも扱えるパソコン言語として、BASICなるものが用意されていた。

 当時のパソコンには大抵BASICが装備されていたと思うが、特にMSXの場合、BASICの解説書やプログラム集が色々と販売されていた。それを買ってきて入力するだけで様々なゲームが遊べたし、本に載っているプログラムを理解して少し弄れば、ゲームに自分独自の要素を加えることも出来た。

 修正するだけでなく、オリジナルのプログラムも作ったものだ。ゲーム雑誌で募集している容量に合わせたプログラムも組んだが、応募まではせずに自分で楽しむに留めたのは、「こういうのに応募するのは恐れ多い」と思ったからだろうか。


 そんな感じで、MSXではBASICのプログラムで大いに遊んだが……。先ほど述べたように、テレビゲーム機っぽい要素もあるパソコンなので、ゲームソフトも買って遊んだ。

 媒体の多くはROMカセットだが、一部はカセットテープだった。ROMは文字通りリード・オンリー・メモリであり、読み込みは出来ても書き込み出来ないため、特に自分で組んだプログラムを保存する時などのために、MSXでは音楽テープが記録媒体として広く使われていたのだ。


 市販のゲームは、中学生のお小遣いで購入するには、なかなか高価だ。頻繁に新しいゲームを買うのは不可能であり、学校の友人と貸し借りすることが多かった。

 そんな中で耳にしたのが、ゲームのレンタルショップの存在だ。

 定価の1/10以下の金額で貸してくれるお店があるという。おそらく当時、似たようなお店が都内にはいくつもあったのだろうが、たまたま私が聞いたのは、池袋の北口にあるお店だった。

 北口といっても、健全なイメージの東側ではない。アングラな雰囲気のある、西側の方だった。

 実際に行ってみると……。

 駅から歩いて数分もしない場所だが、小さな雑居ビルの一室であり、パッと見では何かの事務所のようだった。

 冷たい金属色の扉を開けば、ずらりと並んだゲームの数々。ビルの廊下や階段の薄暗さとは対照的に、店内は明るかった。

 たくさんのゲームというだけならば、普通のゲームソフトのお店と同じだが、ここは『購入』ではなく『レンタル』だ。金額が桁違いに安いのだ。それを思うと、宝の山に思えた。

 早速、MSX用のゲームをいくつも借りた。一度にたくさんのゲームを遊ぶことは出来ないが「テープならばダビング可能だろう」と考えたのだ。

 つまり、ゲームのコピーだ。

 ところがそれは子供の浅知恵であり、音楽テープに録音された形態のゲームであっても、ほとんどはコピーできなった。一つだけダビングできてしまったが、それはBASICで書かれた簡単なゲームだったと思う。

 仕方なく、当初の予定を変更。レンタル期間を延長して、普通に数日ゲームを遊んでから返却した。

 これが、初めてのレンタルショップ利用の思い出だ。


 それから一年か二年くらい経った頃。

 MSXが壊れたわけではないが、二台目のパソコンが我が家にやってきた。

 今度は、PC-8801mkIISRという名前のパソコン。MSXは色々な会社が作っているパソコンの総称だったが、PC-8801mkIISRはNECというメーカーの一連のシリーズの中の一つに過ぎない。ただし一つ前の機種より大いにアップグレードされており、当時の人気機種だった。

 学校の友人でこれを持っている者も多く、少なくとも私の周りでは「みんなが持ってる」感の強いパソコンだった。

 この「みんなが持ってる」も理由の一つだったが、口実としては「MSXでは出来ないことを、もっと高級なパソコンでやりたいから」というのが、買ってもらう理由になっていた。

 MSXでゲームのプログラムを組んで遊ぶうちに、市販のゲームに近いものを作るにはBASICではなく機械語というプログラミング言語が必要らしいと知り、しかしMSXの解説書はBASIC関連ばかりなので、パソコン自体を高級機にしよう、ということだった。

 実際のところ、完全な『口実』というわけではなく、かなり本気だったのだが……。

 結果的には大失敗だった。

 MSXと違って、PC-8801mkIISRの場合、機械語どころかBASICの解説書すらほとんど見つからなかったのだ。

 考えてみれば当然の話であり、MSXは多くのパソコンの総称だからこそ、関連する書物も多かった。専門の本も売られていた。

 しかしPC-8801mkIISRは、しょせん多くのシリーズの中の一機種に過ぎない。それ専用の本などなく、パソコン雑誌のプログラム集の中に、いくつかPC-8801mkIISR用のものが見つかる程度。

 もちろんパソコン本体にはマニュアルもあり、確かBASIC言語についても最低限の情報は書かれていたが……。実際のプログラム例をいくつも見なければ、素人が遊ぶには難しい。簡単なデータ管理みたいなプログラムは組めたが、PC-8801mkIISRでBASICのゲームなんて作れなかった。

 ましてや、機械語なんて全く扱えなかったのだ。


 そんなわけで、私の新しいパソコンは、高価なゲーム機と化してしまった。

 パソコン本体そのものも高価だが、ゲームソフトの方も、MSXより高かった気がする。MSXとは違ってROMカセットには対応しておらず、もっぱらフロッピーディスク――5インチと呼ばれるサイズ――が使われていた。

 形状は違うが、カセットテープのような磁気媒体だ。読み込みも書き込みも可能だ。しかも、カセットテープのダビングみたいな感じで、フロッピーディスクの内容を別のフロッピーディスクに移す。そのためのソフトが、当時は堂々と売られていた。

 その辺りの知識は、既にPC-8801mkIISRを持っている友人たちから聞いていたのだろう。秋葉原の明るい電気屋でPC-8801mkIISRを購入したその日に、同じ秋葉原の薄暗い小さなお店で「フロッピーディスクの内容をコピーするためのソフト」も買ったのをハッキリと覚えている。

 それがあれば「友人同士でゲームを貸し借りする」イコール「ゲームをコピーする」になり、一本のゲームから無限増殖する形になってしまう。現在の法律ならば違法行為だろうが、当時は法整備が不十分だったのか、あるいは子供だから知らなかっただけなのか……。とにかく友人たちの間で、「ゲームの貸し借り」イコール「ゲームのコピー」は、頻繁に行われていることだった。

 もちろん、貸し借りしてコピーするにしても、誰かが最初に正規品を手に入れないことには『貸し借り』も『コピー』も出来ない。普通に考えれば、誰か一人が高いお金を出してゲームを買うことになるのだが、ここでも安く手に入れる方法が出てきてしまうのだった。

 先ほど語った、レンタルショップの存在だ。

 おそらく他店でも同じだと思うが、私が知る池袋のお店は、当時の人気機種であるPC-8801mkIISRのゲームを大量に扱っていた。入り口近くの手に取りやすい一画が、PC-8801mkIISR用ゲームのコーナーになっていたくらいだ。


 そんなわけで。

 いかがわしいアングラな雰囲気を感じながら、中学高校時代の私は、池袋北口の雑居ビルに足繁くかよったものだった。

   

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