第二出動 月花プロデュース大作戦! ④

    ●●●


「あー……だりい」

 翌朝。

 起床早々、銀次は惰弱だじゃくな呟きを漏らした。月に数回のペースで訪れる猛烈な倦怠感けんたいかん

 決して体調が優れないわけではない。単に学院が面倒なだけだ。

 雪奈は生徒会の仕事があるようで、一足先に家を出ていった。

「よしサボろう」

 決意してから実行に移す速さで銀次の右に出る者はいないと言っても過言ではない。

 身支度を済ませ、あたかも学院に向かう風を装っておいて学院とは反対の道を行く。

 クリフィア学院の生徒と何度かすれ違った。生徒全員がすれ違いざまに銀次を二度見していく。そして目が合ったら即座に視線を逸らす。

 相手からすれば、同じデザインの制服を着た生徒が学院から逆行しているのだから、不審に感じるのは当然だろう。

 しかし銀次はそんなことなど気にも留めない。もはやこれが日常だから。

「そうだ、あそこに寄るか」


 住宅街の奥に通じる道を抜けた先。

 のどかな郊外の景色が広がっており、全く違う街に来たと錯覚させられる。

 草木が広がり、花々も健気に風で揺れている。田園風景とはこのことを表すのだろう。

「この景色を見ただけで空気が美味く感じるな」

 身体を伸ばして深呼吸を一つ。心が洗われる気はするが、残念なことにそれでも心を入れ替えて真面目に学院に通おうとは思わない。

 田園風景を歩くこと数分。目的地に辿り着いた。

 とある工房へと入り、とある男性の前で足を止める。


「ちゃーっす。また来ちゃいました」

「まーた学院サボったのか。本当にどうしようもない野郎だな」


 耳に響く声に男性は溜息をき、作業の手を止めて銀次の方へと振り向いた。

「北道さん、今日も見学させてください!」

 北道玄きたみちげん。銀次が慕っているガラス職人だ。

 短髪で精悍せいかんな顔立ちにガタイのいい肉体を蓄えた好漢こうかんだ。

「あんまサボると留年しちまうぞ?」

「あーいいすいいす。むしろ一刻も早く辞めたいんでね。時間も無駄ですし」

「まぁお前の人生だ。けどな」

「分かってますよ。きちっと筋を通して辞めること」

 口ではそう言いつつも、先日強硬手段で退学を目論んだ件は胸の中に閉じ込めたままの銀次であった。

「そうだ。それは絶対だぞ。で、親御さんとの交渉は上手く進んでるのか?」

 北道の問いに対して、銀次は肩をすくめてお手上げのポーズを作った。

「全然すよー。両親は世間体ばかり気にする頑固者で困りますよ。姉貴だけは応援してくれてますけどね」

「銀次も十分頑固だと思うがな。まぁ、親御さんも高い学費を出してくださってるし、クリフィアはいいとこの名門じゃないか」

 北道は銀次がまとっている制服を眺めて呟いた。

「バカ高を中退した身の俺からしてみれば、クリフィアの制服は眩しいよ。視力が落ちるぜ」

「間近で吟味ぎんみしてもいいっすよ」

 銀次はブレザーを脱いで北道に差し出す。

「遠慮しとく。俺は学ラン派なんでな」

 断られてしまった銀次はブレザーを羽織って話を続ける。

「俺の場合、手段と目的が伴ってないんすよ。職人になるのに高校生活の三年間は邪魔でしかないっす。大学なんて行ったら更に――俺には時間がないんす!」

 話し方や仕草から焦りの色が一目瞭然だ。

「んな焦ってどうすんだ。焦って雑な気持ちでいい作品が作れるか? 職人は生半可な気持ちで目指す職業じゃないぞ」

「それは……その通りですけど」

 北道の指摘に銀次は口をつぐむ。

「あくまで俺個人の意見だが、与えられた責任を果たせない奴に夢を追う資格はないぞ。学生の本分は勉強だろ」

「うぐ……」

「今の時期は、将来の可能性を広げるためにも学業に注力したっていいんじゃないのか?」

 先ほどは銀次の人生と話してはいたが、今は学業に専念してほしいのが北道の本音だった。

「それに、十代後半の青春は人生一度きりだ。この期間にしか味わえない人生経験もある。その経験が、将来お前が職人となった時に作品に活かせるんじゃないかな。それを捨て去ってしまうのは非常に惜しいよ」

 北道は優しくさとすが、それでも銀次にはく感情が収まっていない。

「けど、それだと一人前になるのもだいぶ先ですよ」

「ガラス細工は俺たちの都合が合えば作り方を教えることはできる。高校生活と両立も可能だ」

 無論、職人一本に時間を割くのと比べれば経験値は減るが、と北道は補足した。

「それでもだ。様々な経験、人生観を学ぶ上で高校は最高の舞台だと俺は思う」

 勉強、行事、友情、恋愛、部活動などなど。特に高校生活で得た友人は一生モノとも言われている。

「なによりも――お前には俺のような十代後半の時を過ごしてほしくないんだ」

 北道は声のトーンを落として、ささやくように漏らした。

 彼は家庭の事情で高校を中退しており、高校生活を十分に味わうことは叶わなかった。

 代わりに銀次に託すつもりではないが、人生一度きりのひとときを楽しんでほしいと心から願っていた。

「……善処ぜんしょします」

 北道の熱い想いに、銀次の心が揺れ動くのは避けられなかった。

「それと思い通りに行かなくても暴行沙汰だけは起こすなよ」

 北道は笑って釘を刺してきたが、銀次はギクリと肩を反応させる。

「もっ、もちろんっすよ! もう高校生ですからね! いい年こいて喧嘩はありえませんって」

「その反応、なーんか怪しいな……」

 いぶかしむ北道から銀次は目を逸らして額から冷や汗をかくが、

「あっ、これ綺麗っすね」

 その際にとんぼ玉が目に留まったので、素直な感想を述べる。

「そう言ってくれると嬉しいね。これ、一度作るのに失敗したとんぼ玉なんだ」

 銀次はとんぼ玉を手に取って眺める。ガラスの中の青空で二羽の鳥が羽ばたいている。

 ガラス細工には骨董品こっとうひんから芸術作品、民芸品、日用品など、幅広い作品分野がある。

 仕事内容もホットワークからコールドワーク、キルンワークと様々だ。その中で更に技法が細分化されている。

 北道の所掌しょしょうは主にホットワークとコールドワークだ。

 ホットワークは高温で柔らかくしたガラスを吹き竿に巻き取って息を吹き込む吹きガラスや、卓上バーナーを使ってガラスをかしながら形を作っていくバーナーワークなどの成形手法がある。

 コールドワークはホットワークで成形したガラスのデザイン性を高めるために、ガラスに模様を施す切子きりこや、高圧空気でガーネットなどの切削砂せっさくすなを吹き付けて模様を施すサンドブラストなどの手法がある。

 他にもガラスの成形技法は多岐に渡るため、銀次の興味は底をつかない。

 ガラス細工は作る職人の特徴が出るため、またガラスは非常に繊細で僅かなさじ加減で形も変わるため、個々の作品が世界でただ一つの品となる点にも銀次は魅力を感じている。

 棚に置いてある一つの切子きりこに目移りする。

 それは、クリスタルガラスに空色模様の六角籠目紋ろっかくかごめもん緻密ちみつなカットによって施されていた。

 切子きりこにも種類があり、江戸切子、薩摩切子、琉球ガラスなどが存在する。

「美しい……」

 切子きりこを眺めた銀次は無意識に感嘆かんたんの声を漏らした。

 銀次の視界に映る作品はまばゆくて、心にもいろどりを与えてくれる。

 こんな作品を自分の手で作るのが俺の夢なんだと改めて実感した。

 学院さえさっさと辞められれば――

 そして、現実へと思考が引き戻される。

(親を納得させるにはどうすりゃいいのか……)

 銀次が思い浮かべた案は三つ。

 一つ目は、実際にガラス作品を作って親に見せて説得する。

 二つ目、しつこく頼んで両親が折れるのを待つ。鳴くまで待とうホトトギス。

 三つ目は、家族と縁を切って家を出て単身でガラス細工に専念する。

(どれも成功率低いよなぁ)

 一つ目の案は、あの両親にガラス細工の作品を見せても何も響かなそうな点だ。むしろケチをつけてくる気さえする。

 そんなことされた日には、頭に血が上って何を言い返すか分かったものではない。

 二つ目の案は駄々をこね続けて折れるほど、両親は押しに弱くも人情味溢れる人間でもない。多くの人間を蹴落としてきたからこそ、今の地位にいるのだろうから。

 三つ目の案も現実的ではない上に、雪奈を悲しませてしまう。最近自分が泣かせてしまったばかりなのに、これ以上悲しみを味わわせたくない。

(前途多難だな……)

 銀次は顎に手を当てて思考を巡らせてはみたものの、有効な手立ては思い浮かばず。

 そもそも北道が高校生活の大切さを説いてくれたのに、未だに中退することばかり考えていいのだろうか?

「おう、色々悩んで成長しろ! お前はもっと精神的に大人になれ」

 北道は銀次の肩をバーンと叩いて喝を入れてきた。

「痛いっす! 北道さん喧嘩めっちゃ強いんすから、手加減してくださいよ」

「すまんすまん。つい元ヤンの血がうずいちまったわ、わははは」

 北道は豪快に笑う。

「北道さんの昔の写メ見た時は金髪細眉ロン毛細マッチョでビビリましたよ。今とは別人でしたよね」

「俺の黒歴史をイジるんじゃない」

 お互いに軽口を叩き合って、笑顔が弾けた。

 銀次は立ち上がると一つ伸びをして鞄を持ち、

「――じゃ、学院に行ってきます」

 北道の言う通り、学院に向かうことにした。

「おう! 頑張って――いや、楽しんでこいよ!」

 人生はなかなか自分が思い描いていた通りとはならないが、心強い味方がいてくれる。それだけでも銀次の心は満たされたのだった。

(姉貴のためにも、北道さんのためにも、色々と試行錯誤するっきゃねぇな)

 学院への足取りは心なしかいつもより軽やかだった。

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