第86話:慰撫と追放

 皇紀2223年・王歴227年・初夏・キンロス地方


「軍神は東国宰相の役目を果たすために出陣した。

 秋の収穫までは本拠地のキンロス地方に戻ってこない。

 だからフリーマン地方に援軍に来る事もない。

 今のうちにキンロス地方全土を我が領土とするぞ」


「「「「「おう」」」」」


 軍神キャルムが援軍に来ないキンロス地方の騎士や兵士など、俺の敵ではない。

 睡眠魔術を放つだけで簡単に昏睡してくれた。

 後は適度に脅して、利を与えて、味方に加えるだけでいい。

 今回昏睡させた連中は、主を追放した叛逆者ではない。

 それどころか、狂信的なアザエル教徒と戦い続けてきた猛者だ。

 私利私欲がない連中だとは言わないが、それを罪だと言って殺すのなら、俺も含めた全人類を抹殺しなければいけなくなる。


「もうお前達も分かっているだろうが、ちゃんと説明しておく。

 俺の魔力は絶大で、睡眠魔術だけで五十万の敵を昏睡させられる。

 軍神ただ独りには抵抗されるかもしれないが、あいつは馬鹿で身勝手だ。

 俺がキンロス地方を狙っているにもかかわらず、東国に遠征した。

 例えそれが東国宰相の責務であろうと、お前達を見捨てたのだ。

 だが俺は違う、絶対に味方を見捨てたりはしない。

 その事は、俺が四地方を攻め取った時の事で知っているだろう」


 俺の言葉を受けて、睡眠から目覚めても闘争心を失わなかったキンロス地方騎士や兵士も、顔を下げたり目を背けたりした。

 長年の忠誠が報われなかった事を哀しんでいるようだ。

 ここで上手く追撃をかければ、よほど忠誠心が強い者か意固地な者以外は落ちる。


「そもそも、どれほど強くても、愚か者に人々を束ねる資格はない。

 お前達も今回東国で騒乱が始まったのが、俺の策謀だと分かっているだろう。

 あの程度の策謀にひっかかり、長年忠誠を尽くしてくれている配下を見捨てる。

 そんな愚者は、東国宰相どころかトーフィッケン地方領主を名乗る資格もない。

 東国宰相や地方の領主を名乗るなら、俺と領地を接する貴族や騎士に働きかけて、俺をキンロス地方から撤退させなければいけないのだ。

 東国宰相としてカンリフ王国宰相に働きかけて、俺に撤退命令を出させるべきだ。

 いや、カンリフ王国宰相と同盟を結んで、俺を挟撃するべきだ。

 その程度の事は、お前達でも思いつくであろう」


 俺が厳しく指摘すると、まだ忠誠心を持っていた連中も、大半が視線を背けた。

 俺の言っている事が正しいと思っているのだ。

 軍神は戦場での武勇は突出しているし、限定した戦場での咄嗟の判断も天才的だが、大局を見極めて戦略を練る事ができない。

 そして自分の名誉を一番大切にすると言う、領主として決定的な弱点がある。

 誰にどう罵られようと、家臣領民を護るという覚悟がないのだ。

 だが俺は違う、自分がどれほど非難されようと後世に悪名を残そうと構わない。


 だから、今回も謀略を駆使して軍神を翻弄した。

 隙あらば東国全土を攻め取ろうと思っている貴族や騎士は数限りなくいる。

 だが、そうは思っていても、やるだけの実力を備えているものは少ない。

 しかし、実力は劣っていても欲深い者は結構いる。

 劣った実力を、軍資金や兵糧で補ってやれば、暴走しそうな奴は分かっていた。

 更に俺がキンロス地方にいて、何時でも軍神の本拠地に侵攻できる状況で、更に軍神は農繁期には本拠地に戻らなければいけないのだ。


「俺の配下になれ、魔術契約しろ、などとは言わない。

 そんな事をしなくても、俺はお前達の忠誠心を獲得してみせる。

 どうしても俺に仕えたくない者はキャルムの所に行けばいい。

 領地は持って行けないが、今まで蓄えた富は全て持ち出して構わない。

 そしてキャルムに言うのだ、奪われた土地を取り返してくださいと」

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