第20話 ヴェセル先生の魔法講座

「よお、アルノ、カレンさん!本日はお招き頂き」

「やかましいわボケ」

「おおぅ、初っ端から辛辣ぅ!」


 テンションの高いハルはアルノの冷淡な態度を物ともせず盛り上がる。シースが食える、とハイテンションだった夏のアルノとちょうど逆転した感じだった。

 何を言っても無駄そうだと判断したアルノはヴェセルを見て、

「おいヴェセル、こんなのと同じ馬車は嫌だぞ」

「まあ許してやってくれんかの。人族にはサウナはあっても入浴の習慣がないから、こやつはもう五十年以上温泉に憧れておったんじゃて」

「持つべきものは魔族の友!アルノ、心の友よ!お前とならどこまででも行こうじゃないか、さあいざ天然温泉露天風呂という名の桃源郷へ共に旅立とう!」

「カレン、帰っても良いか?」

「ご主人様、諦めは苦悩を忘却する特効薬でございます」

「……それって根本的な解決にならなくない?」

 情けない顔をしたアルノに、カレンは一分の隙もない笑顔を向ける。この眷属がこうやって笑う時は何を言っても無駄だ。そもそも脳筋魔族、その頂点に近いアルノでは魔族の中では理論派たるフルドラ民、その中でも最高賢者レベルにして且つ研鑽を怠らないカレンに口で勝てる訳がない。


「さあさあ!行こうぜ行こうぜ」

「やばい、心の底からうざい」

 アルノの手首をがっしり握り早く行こうと急かすハルに、心底うんざりしたように言うが表情はさほどではなく、何だかんだ言って自分がハルを楽しませていることに多少の満足感を得ていることはカレンの目には明らかだった。

「カレン殿」

「ええ、ヴェセル様。喜んでいますね」

 ヴェセルにはそう見えないから不安で聞いてみたのだが、長く仕えている眷属であるカレンが言うのだから間違いはないのだろう。

 これはなかなか良い具合に進捗しておるようじゃ、と妖族の街に入れないため二人の様子が確認できなかったヴェセルはもちろん、普段から口を開けばハルの愚痴しか言わない主に、まさか本当に嫌いあってるんじゃ、と多少の不安を覚えていたカレンも安堵した。

 二人は示し合わせてもいないのに、視線を合わせてうんうんと頷く。

 こちらの二人はお互いの上官かつ戦友と主人のためにやきもちしているというのに、そんな心根を露知らないハルが大声で呼ぶ。

「おーいヴェセル何やってんだ、行くぞ!」

「わかったわかった、まったく齢百に届こうと言うのに落ち着きのない奴じゃ」




 今回は魔族領域であることから、ハルたちができるだけ魔族の目に入らないよう、軍用馬ではなく馬車が用意されている。戦場ではまず見かけない魔族の馬車を物珍しそうに眺め、周囲をぐるりと歩いて回ったハルが真っ先に乗り込んだ。

 体格の良いノッテ民が使うことは想定しておらず、完全にアルノとカレン用なのだろう。人族であるハルとヴェセルにも窮屈さを感じさせない広さが確保され、装飾もほとんどないあたりはさすが魔族と思わさる質実剛健さだ。

「へえ。魔族の馬車もなかなか」

「そうじゃな。これだけの広さを確保しつつも馬が引ける程度の軽量化を図るのは、相当に良い設計があるのじゃろう」

 ハルが奥の席進行方向側に座ったことから、男同士で見つめ合う趣味も並び合う趣味もないヴェセルは斜向いに位置を決める。

 充分に足元も確保されているため、後から乗ってきたアルノがハルの前にやってきて、残ったハルの隣をカレンが占めた。

「まあ、基本的に我々は馬車など使わないがな」

「そうなん?なんで」

 ハルの疑問にコンコン、と壁を叩いて出発の合図を送ったアルノが腰を下ろして答える。

「ノッテの連中はガタイが良すぎて馬車が巨大になりすぎる。フルグの奴らは自分で走った方が速い。ロヒは魔法で摩擦や抵抗を減らしながら誰かに押して貰えればすっ飛んで行ける」

「あー……いたわ。あれ、そうやってたのか」

 ハルが顔をしかめるのは仕方ない。


 戦場で彫像みたいに固まったロヒ民がボーリングの球よろしく地面を滑っているのを見たことがあるが、あれは異様な光景だった。それで何か甚大な被害を被ることはなかったから、一体あれは何をしているのだと不気味に思ったことは良く覚えていた。

 がらがらと走り始めた馬車の振動を感じながら、魔王の制約がかかるかな、と思いながら答え合わせを求める。

「ああ、あれか。いやただの配置変えしてただけだ」

「あそこまでする必要なくね?」

「ふむ、何だったかな……何か急ぎの対応が必要だったとは思うぞ」

「じゃがアルノ殿、ロヒ民ではなく膂力はあるが素早さに欠けるノッテの民に使った方がよろしくはないかの?」

 ヴェセルも覚えていたのだろう、会話に参加してくる。

「他人にかけられないのだよ、あの魔法は。だから戦闘では正直無駄な魔法でしかない」

 なるほど、魔力は強いが素体の戦闘力の低いロヒ民が、自分にしかかけられないのでは確かに戦闘で使いみちはなさそうだ。

「それに繊細で集中力を求められますからね。戦場で即座に対応できるほどの者はロヒでも多くはありませんし、そもそも使う魔力が膨大すぎるので、一度使ったら恐らくその戦闘では二度と使えません」

 カレンの返答にも制約がかからないのも、その回答を聞けば納得だ。戦術に組み込みようがない。ハルたち人族に知られたところで魔族に何らデメリットはないだろう。

 呆れたような顔つきのヴェセルに対し、ハルは僅かに首を動かした。

「……ハル、お前なら使いみちがあるのだろう?」

 その様子を見て気づくアルノは、さすが五十年殺し合いをしてきた好敵手だと言って良い。

 どちらかと言えばハルが何らかの戦法を考えたことよりも、自分ですら気づかなかったハルの様子にアルノが気付いたことに関心を惹かれたヴェセルは、同時に純粋な好奇心から返答を促す。

「まあな。───で行けるんじゃないかと思う」

「そこは制約かかるのか。ヴェセル、お前には聞こえたのか?」

 アルノの質問にヴェセルは線のような目を見開くことで応じた。

「なるほどのう……相変わらずお主はエグいこと考えるの。まあ、ロヒが自身に一度しか使えないということを考えると、人族では黒檜のハルしか使えんから無駄じゃがな」

 どうやら思いついたは思いついたが、無駄らしい。それなのに制約がかかるというのは、やはり女神の基準はよくわらかない。




「ところで、ねずこ、というのは何でしょう。どこかで一度聞いたような気もするのですが」

 カレンが人差し指をこめかみに当て、思い出そうとするかのような仕草で尋ねる。魔族に魔力操作の基準はないし、いちいちそのようなことを捕虜への尋問で聞くこともなかったのだろう。

「ああ、魔力の操作レベルを階級にしたものじゃよ。杉、樫、桧、黒檜の四つの階級、それぞれを下枝、中枝、上枝で黒檜だけは一段階しかないので合計十段階で示したものですな」

 ヴェセルがカレンに説明するも、ハルの思いついた戦法がどうせ使えないと判明した時点でハルとアルノにとって魔法の違いは興味の外になったようだ。車窓に流れる景色を見ながらあれこれ質問するハルに答えている。

 そんな主人たちの代わりに、という訳ではないが「魔力の強大さ」という結果しか見ない魔族にはない考え方に、興味を惹かれたカレンは食いついた。

「魔力の操作レベルですか?魔力の大きさではなく」

「人族は内に含む魔力そのものは誰も大して変わりませんし、そもそも大きくはないですからな、外にある魔力を使うのです。そのため我らにとっての魔法とは操作力によってどう練るか、どう対象に影響させるかで判断することになるわけですな」

「なるほど……魔族は結果だけ見ますが、人族は経過を重視しているのですね」

「そうとも言えますな。魔力の感知力、感知したものを操作する力、この二つが人族の魔法発現の全てでしてな、ところがこの魔力を感知する力が先天性のもので努力ではどうなるものでもない。感知できなければ操作しようがない、ということで感知力と操作力を合わせて基準を設けていると考えて宜しいでしょう」

 ヴェセルの説明に大きく頷く。

 なるほど、魔族は己の内に孕む魔力を用いて外へ発現させるが、人族は外に漂う魔力を活用する。

 確かに感じ取れなければ操作もへったくれもない。いちいち考えることをせずに魔法を使ってきたし、人族の発現する魔法が魔族の脅威になることが少なかったので深く追究しなかったが、この違いはしっかり勉強しておいた方が良いかもしれない。


 そうカレンが真面目に考えている間にも、本来そういったことを考え指示しなければらならない魔族の司令官は、

「どうだ、素晴らしいだろう。この銀の小麦畑は我ら魔族の誇りなのだ」

「おお、凄いな!こんな色で波打ってるのを見ると、本当に湖かどこかにいるみたいだ」

「そうだろう、そうだろう」

「人族の小麦畑は金だからな。水田の記憶が強い俺としては水のある風景の方が感動するわ。マジで水面みたいで凄いな、アルノ」

「うんうん、思う存分感動すると良いぞ」

 ハルに自慢するのに夢中だった。

 とは言え、そもそも脳筋オブ脳筋の主にそういったことを期待している訳ではない。


 しばらく人族の魔法について練習方法や理論体系を興味深そうに聞いたり、時に質問したりしていたが、

「ところで先程のお話ですが。なぜ黒檜だけ段階がないのですか」

「ああ、それは単純な話で黒檜はハルだけじゃから」

「……ですが、ハル様は魔法は」

「そうなんだよ、使えないんだこれが」

 先程まで車窓の光景にはしゃいでいたハルが会話に参加する。

 どうやら、延々と続く麦畑にさすがに飽きたらしい。

「魔力操作はできる、要するにそこらにある魔力を感知して集めることはできるんですよ。多分、アルノ以上の魔力も用意できるぞ」

「ほう?」

 きらり、とアルノの赤い目が光る。どうやらハルに馬鹿にされたと感じたらしい。

 もちろんハルにそんな気はまったくないから、脳筋短絡思考のアルノの勝手な思い込みだ。

「ご主人様、片っ端から喧嘩を爆買いするのはお控え下さい。そもそもハル様は売ってすらいません」

「うぐ」

「それで、ハル様が魔法を使えないというのは?」

 さっくりとアルノを黙らせ、カレンが続きを促す。

 むー、と口を尖らせるアルノに苦笑しながら、

「操作だけなら可能だが、それを例えば……人族が主に用いる解析魔法や医療魔法として発現させられない。色々勉強もしたんだけど無理でしたね」

「ぷくく、宝の持ち腐れってやつだな」

「やかましい」

「ご主人様はすっこんでて下さい」

 二人から、いや眷属たるカレンからより強烈な突っ込みを食らって涙目になるアルノ。魔王軍司令官とは思えない有様だった。

「ねえカレン、カレンって眷属だよね、ほんとにちゃんと眷属になったんだよね」

 言葉遣いも戻りかける。

「……もちろんですご主人様」

「え、今の間は……それに何に対してどう『もちろん』なのか詳しく」

「で、ハル様は『発現が』できない、ということなのですね」

 それには答えず話を進める眷属にしょんぼりする主人。


 苦笑いしたヴェセルが、制約がかからないのだから人族の魔法について情報収集するチャンスでは、とアルノを慰めているが、敵軍の高官から慰められる司令官というのはどうなんだろう、とハルはその様子に微妙は気持ちになった。

「さすがですねカレンさん。そう、『発現は』できません」

「つまり……」

 もう理解しているんでしょう、と軽く笑って手を振る。

 アルノだって体験したからわかっているはずだが、深く考えないからカレンが推察できるほどの情報を与えなかったのだろう。

「なるほど、ご主人様が何度かチャンスに恵まれながらもハル様の首を獲れなかったのは、ハル様の不死と、いつもの脳筋暴力だけで始末しようとしたからだと思っていましたが……そういうことですか」


 つまり、魔法で殺そうとしたができなかったのだ。

 操作は出来るのだ、魔力に干渉することも出来る。

 故にハルには彼本人が認識できたなら、いかなる魔法も彼に対して作用させることはできない。

 無意識のうちや不意打ちでやられたら食らうのだろうが。


 そこまで思い至ったカレンは、ふい、とヴェセルに視線を向ける。

 アルノより沈んだ赤い目を向けられたヴェセルは、「和気藹々と旅行してるのに首を獲るだの何だのと殺伐とした内容じゃのう」と呑気に考えていたが、肩を竦めて頷いた。

 そのヴェセルの反応でカレンは、ハルには常に暗殺の危険があることを察する。


 本当に人族というのは面倒ですね。

 主と似たような感想を抱きつつ、呆れてため息をつくカレンだった。

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