第11話 家に着くまでが遠足です

 ヤルムーク下流域、河口の港街ザーウィヤで丸二日楽しんだ四人は、川沿いを北上して帰途に着く。

 秋の停戦期間は三週間あるのだが、どうせ好き勝手に鍛錬するだけの魔族は良いとしても、輜重計画や報告に関係各部との会議を必要とする人族はそう空けられない。往復の六日を含んで一週間と少し、これでもだいぶ現場には無理をさせているだろう。

 滞在自体はたったの二日しか取れなかったが、それでも彼らは十分に休暇を楽しんだ。


「『夜に鳴く鶏亭』にシースがあればなあ」

 馬上でアルノが嘆く。

 ザーウィヤは遠くなったが、後ろ髪を引かれる思いで意識は未だ背後に向けられているのだろう。

「こればっかりは仕方ない。まあたまに食べるからご馳走とも思えるんじゃないか。毎日食えたらありがたみもないだろう」

「そんなものか」

 口では納得しつつも、やはり心は引かれたままのようだ。

 こういうところは見た目相応だよな、と見た目中年で中身はガキなハルは自分を棚上げしつつちらちらと後ろを振り返るアルノに笑った。


 彼らの後ろではヴェセルとカレンが談笑しつつ馬を進めている。

 アルノよりは大きいけれども魔族としては小柄で華奢なカレンが軍用馬を乗りこなしていることに最初は驚いたが、フルドラ民と聞いて納得した。小柄なことも人族に容姿が近いことも種族的特徴に合うし、何より魔王軍司令官であるアルノの唯一の従者だ。それなりに軍務についていける訓練はしているのだろう。

 ヴェセルとカレンの距離が近づいたことは想定外だったが、女神と魔王の制約もあることだしハルとアルノの場合と同様、作戦行動に支障を来すことはないだろう。


 まさかあの爺い、あの年になって色に目覚めたってことはないよな。


 と邪推しそうにもなるが、見たところ男女の関係っぽさはない。

 何となくだが、同好の士というか戦友というか、そんな感じの雰囲気だからまあ問題はなさそうだ。




 と、考えながら馬を進めていたところでぴんとくる。

「止まれ!」

 手綱を絞って前方に注意を向けていると、隣にアルノ、ヴェセル、カレンが並んで来る。


「どうしたハル」

「気配でもあったかのう」

 尋ねる二人に指を伸ばして前方を指す。

「見えるか、あの先の林だ」

 ハルに倣って三人が前方に目を凝らす。


 魔族であるアルノの目ですら草原の先にうっすらとしか見えないあれがそうなのだろう、と同時にハルの察知能力がそこまで先を見通せるのかと呆れたような感心したような気分になる。距離も障害もものともしないということはわかっていたが、この距離の察知を目の前で示されると実感が湧く。

 今回、実際に目の前で行使されているのに制約がかかっていないところを見ると、女神は人族の機密情報として扱われなかったのだろう。わかっていたことでもあるので作戦に影響はないが、相変わらずやつらの判定基準は謎だ。


「野盗か何かでしょうか」

 カレンが馬の背で伸び上がって片手でひさしを作りながら尋ねる。

「いやあ、例のごとくパーソナルはわからないんだ。弓が得意だけど体力ないやつが一人林の奥の樹上、弓兵の新兵レベルでしかないな。林の入り口に剣持ちが五人いるけど、どいつも得意ではない。槍や重装歩兵としての能力の方が高いくらいだ。持久力だけで敏捷性も膂力もない。囲んでちくちく甚振って相手の消耗を待つ感じか。指揮能力の高いやつはいないが中間に一人剣持がいるからそいつがリーダーくさい」

 つらつらと淀みなく答えるアルノに、ヴェセルは慣れた感じだがアルノとカレンはへぇという顔をした。

「聞く限り兵ではないな。やはり野盗かのう。リーダーぽいやつの能力はどうじゃ」

「兵種の適正はまったくない。交渉能力が最も高いくらいで弓兵の射程ぎりぎりにいるのがそいつだから、ずる賢いやつなんだろうな」

「ふむ。方針は」

「いやあ。この程度ならアルノが突っ込めば終わるだろ」

「おい待て」

 事もなげに言い放ったハルに、さすがにアルノが口を挟む。こちらを向いたハルの顔には、俺何かおかしなこと言いました、と書かれていた。

「おかしなことしかないが」

 きょとん、と首を傾げる。

 中年がやっても可愛らしくも何ともない。


「いやいや、確かにそうだが」


「この程度で問題?あるわけがなかろう」


「怖いだと?お前から先に縊り殺すぞ」


「やかましいわ。問答無用で殴りかかるなどするか」


「ほう、ならそこで見ているがいい」


 ヴェセルとカレンからは一人芝居をしているようにしか見えなかったが、どうも煽るように言葉を発せず表情と動作だけのハルの仕草から、アルノは理解しているらしい。

 馬を走らせて先行するアルノを見ながら、カレンが呟いた。

「相性ばっちしじゃないですか」






 結論から言えばやはり待ち構えていたのは野盗であり、アルノ一人で全く問題はなかった。ハルが懸念した、問答無用で殴りかかるということも避けられたし、結果だけ見れば障害にすらならなかったと言って良いだろう。

 アルノは何か言いたげだが言い出せない、という微妙な表情をしていたが。


「あれは、女性として扱って欲しかったのに自分から偽っている以上真実を告げる訳にもいかず、理解はできても納得はできない、という顔ですね」

「ほう、さすがカレン殿じゃな。主の感情をそこまで理解できるとは」

「単細胞ですからね」

「うむ、さすがカレン殿じゃな。主に対してそこまで遠慮がないとは」

「間違えました、単一種ですからね、です」

「さすがカレン殿じゃ。今更言ってもしょうがないことを堂々と訂正するとは」

 そんな二人の漫才と同時に、やはり前を行く二人には舌戦が発生していた。

「いやだってお前、俺は死なないだけで一般兵なんだって」

「あの程度の盗人なら何も問題はなかろう」

「そりゃそうかも知れないけど、万が一怪我でもしたら嫌じゃん?帰るまでが遠足じゃん?」

「なんだ遠足とは。というかじゃんじゃんうるさいわ」

「いやー、やっぱアルノさんぱねぇっす、さすがでしたっす」

「……何だろうな、賞賛されてる気がしない」

 秋空にかっぽかっぽと馬の足音と軽口が響く。

 言葉の応酬がひと段落ついたところで、頰を撫でる風に目を細めたアルノが真面目な顔で尋ねた。

「それで、あれは何だ。戦線からさほど離れていないこの辺りで、あんな輩が跋扈している理由を教えろ」


 ヤルムーク川はセーガル河の支流である。

 人族と魔族の争いがセーガル河流域で行われていることから、さほど離れていない支流の辺りも勇者軍か王軍が巡回しているのは当たり前であり、そういった地域の治安は安定している。

 そんなの関係ねぇ、という脳筋魔族ではないのだから人族はそれなりに大人しくしようとするはず。軍による警戒がなされている人族領域で野盗がいるのは妙だ。

「ヤルムーク流域は近衛の管轄だからな。最前線でお前らと殺し合ってる勇者軍より練度は低い。あんなのを見逃すようなこともあるだろうさ」

「確かに絶対ではないだろうがな。野盗というのはこんな剣を持っているようなものなのか」

 そう言って自分の後ろに乗せた戦利品である剣を叩く。

 鞘こそ汚れているが、刀身はしっかり手入れされ柄や鍔の作りもどこかにがたつきがあるものでもなくしっかりしたものだった。

「少なくとも一介の野党が持っているようなものではないだろう。鞘の汚れもそう考えればわざとらしく見えるしな」

 そう言ってハルを見たアルノに、驚いた表情を見せる。

 自分の推察力に驚くが良い、とドヤ顔をしようとしたアルノに対してハルの口から出たのは、確かに驚きの声だった。


「お前……脳筋じゃなかったんだな」

「貴様、あの野盗どもと同じ目に会いたいらしいな」

 目を見開いて失礼なことを言うハルに、アルノが殺気を放つ。

 が、やっぱり人外には通用しなかった。

「いやいや、マジで驚いたわ。なにお前、それなりに諜報放ってたんだな」

「いえ、それは私が」

 いつの間に近づいのか、距離を詰めていたカレンが口を挟む。

「あ、やっぱり」

「ぐぬぬ」

「我が主は脳筋でございますので」

「だよなー」

「ぐぬぬぬぬ」

「なにがぐぬぬだ。悔しいならちっとはカレンさんの手伝いでもしろよな」

 呆れた口調のハルに、ふん、と胸を張って、

「良いのだ、カレンには得意なことをやってもらっているだけなのだから。私には私の得意なことがある」

「暴力?」

「腕力?」

「殺戮?」

 カレン、ヴェセル、ハルの容赦ないツッコミが重なる。ハルやヴェセルはそもそも敵だから仕方ないが、この旅行からカレンの容赦なさが上がっている気がする。

 しかも事実なものだから何も言い返せない。

 結局、ぐぬぬと繰り返すしかないアルノを囲んで馬は進む。

 余計な状況を言わずに誤魔化せてほっとしたハルとヴェセルは、そっと目を合わせて眉尻を下げた。






 と、その後は特筆すべきこともなく。

「それで?結局なんだったのだ。人族の面倒くささは良くわかっているからな、あれで誤魔化せたと思うなよ」

 今日の宿泊予定である村影が見えたところでアルノが尋ねる。

 あっちゃあ、という顔をしたハルは、

「まあ、お前の言う通り人族は面倒なんだよ。その手の輩だったんだろ」

「その手とは。ああ、あれか、王室派とか融和派とかってやつか」

「それ。俺を襲うんだからまあ王室派だろうな。どいつのかはわからないけど……ヴェセル、わかるか」

 首だけで振り返って尋ねる。問われたヴェセルはふむ、と顎に手をやってしばし考えると、

「知らん」

「おい」

「いや、それを知ったところでどうにもならんじゃろう。ただまあ、狙ったのはハルではなく儂じゃということは確かだがな」


 それはそうだろう。

 エルフの時のような妙ちくりんな搦め手を除けば、基本的にハルを亡き者にすることが難しいことは王室派貴族にもよくわかっている。加えて、こちらに来てからずっと戦争の中で過ごしてきた彼の精神に安定をもたらしているのがヴェセルしかいないということも理解されているから、ハルを揺さぶるにはヴェセルを殺すか取り込むか、が手早いのだ。

 王室派と言っても一枚岩ではないから、公爵家のように取り込もうとする輩もいれば今回のように暗殺を狙う輩もいる。

 言って見ればそれだけのことだ。

 勇者軍の中にも王室派の送り込んだ兵が紛れてはいる、というより近衛はそもそも王室派であるが、さすがに貴族の子弟で構成され騎士道精神とか言う高尚なものを有り難がる彼らが暗殺に手を染めることはあり得ないし、ハルが「夜に鳴く鶏亭」に行っている時以外はほぼハルと一緒におり、それ以外でも常に人目のある所にいるヴェセルを暗殺するのは困難だ。

 となると、王室派の誰が何をしかけてこようと現状の彼らにできることと言えば結局、今まで通り過ごすしかない。


「ふぅん。人族は本当に面倒だな。ヴェセルは大丈夫なのか」

「大丈夫とは」

「いや、ハルは剣も盾も技術はあるが、膂力は人並だろう。ヴェセルを守りきれるのかと思ってな」

 魔族すら使い捨ての駒扱いし、基本的にカレン以外には一切の興味を示さないアルノが人族の、それも敵参謀の補佐官を心配するなど驚天動地のことだ。

 ハルとヴェセルは信じられないものを見るような目で振り返ってくるし、カレンは珍しく動揺して馬から落ちそうになっている。

「え……いやお前ら、幾ら何でも失礼だろ」

 特にカレン。

 憮然とした表情でアルノが頰を膨らませる。そんな仕草は見た目だけ年相応の少女らしさを見せるが、やっぱりハルはただの殺戮機械美少年としか認識できないようだ。


「アルノが……人族を思い遣る、だと……」

「ご主人様、立派になられて……」

「長生きはしてみるものじゃのう……」

 いや違った。ヴェセルもカレンも、アルノを殺戮機械と思っていたようだ。

 何だか切ない気持ちになって、アルノはむくれて馬首を村に向ける。


 くっそこいつら、絶対泣かす。


 果てしなく自業自得なのだが、そんなことは忘れてかぽこぽと馬を走らせる。

 それでも何となく、悪い気分ではなかった。






「なあヴェセル、ふと思ったんだけどさ」

「お主の思いつきには警戒感しか湧かんが言うてみい」

「医療魔法の応用で魚の鮮度を保って運べないもんかね?」

「蛆を殺したり腐敗速度を落とすことは出来るじゃろう。輸送手段と兼ね合わせれば、辛うじてシースと言い張れなくはないレベルなら何とかなるかも知れんな」

「お、じゃあ……」

「じゃがお前、そんなもん食いたいか?」

「……だな」

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