第8話 半澤玲子Ⅱの3


「この店、よく来るの? 知らなかった」


会社から歩いて10分くらいのハンバーグ屋さんである。壁はレンガ造り、ちょっと薄暗くして、LEDキャンドルライトを立てて雰囲気作りに苦労している。


「時々ですけど、割とおいしいんで」


生ビールを注文してから、さくらちゃんはチーズハンバーグに卵のトッピング、わたしは和風。


店員がいろいろ説明するのを、はいはいと聞きながら、お腹がすいているので、早く来ないかなあとじれったく思っていたら、やがてジュージューと音がして焼きたてが運ばれてきた。


「はねますので、ナプキンを胸のあたりまで半分持ちあげていただけますか」と言いながら、店員はハンバーグにナイフを入れ始めた。「焼き方が足りないとお感じになりましたら、焼き直しますのでおっしゃってください」。


付加価値サービスをつけて、お値段を上乗せしている。少しうるさいわね、と思ったけれど、さくらちゃんにそれは言わない。まあ、みんなそれぞれの職場やお店で苦労して頑張っているんだわ。




「わたし、この間、お見合いしたんです」


「あら、そう」


「母親がうるさいもんですから。一回ぐらいは親に義理立てしといてもいいかなって思って」


「……」


「わたしの母親って、なんていうか、社交的で、いろんなところに知り合いがいるんですよ。それで、やたらああいう人がいる、こういう人がいるって電話で言ってくるんです。もううるさくて。いつもは適当にあしらっているんですけどね」


「さくらちゃん、いまや『適齢期』だもんね。母親って、ごはんちゃんと食べてる? とか、彼氏いないの? ばっかり言うでしょう」


「そう。それしか言うことないのかって。しかも今回の場合、代理婚活までやったっていうんですね」


「ダイリコンカツ?」


「ええ。親同士が息子や娘のためにホテルかなんかに集まって食事して、自分の子どもをアッピールしあうんですよ。それで意気投合すれば、それぞれの子どもに紹介する。余計なことするなあって思ったんですけど、でもお金使ってそこまでしてるのかって思ったら、あんまり無下にもできなくて、相手の人と直接会うことにしたんです」


「それでどうだったの?」


「ええ。正直、ちょっと迷ってます。優しそうな人みたいだし、ちょっとイケメンだし、勤務先もしっかりしたところみたいだし」


あんまり細かいことを聞き出しても仕方がない。わたしの趣味でもない。


「まだお返事してないの?」


「ええ。向こうからくるの待っているっていうか。アラサーからも外れかけてるし、正直ここらで手を打ってもいいのかなとも思うんです」


「少しお付き合いしてみてってのはどうなの?」


「それも考え中です。正直その気がなくもないんです」


さくらちゃんは正直という言葉を3回使った。本気で迷っている証拠だな。失恋の痛手から立ち直るきっかけにしたいというのもあるんだろう。


「迷うよね。でもお見合いってみんなやらなくなっちゃったけど、わたしみたいに若気の至りで恋愛結婚して失敗するより、案外いいかもよ。恋愛と結婚生活って全然違うから」


そう言ってわたしは、ふっと苦い経験が頭をかすめるのを覚えた。慌ててその記憶を打ち消したが、いっぽうでは、年下の子に偉そうにアドバイスして、こういう言葉が自然に出てきてしまう自分の年齢を意識しないではいられなかった。


「先輩は、お見合いしたことないんですか」


急襲された。


「ないない。わたしの母親はあんまりうるさく言わないほうだから。特にバツイチになってからは、勝手にやれって感じね」


「それはいいですね。でも失礼ですけど、お仕事一筋ってわけでも……」


「あはは……ほかに生きてく道があればいつ辞めてもいいって思ってるわよ。でもそううまく行かないから、困ってるわけ」


さくらちゃんは考え込む風だった。彼女の年齢くらいが一番の分かれ道なんだろうな。わたしはもう遅いだろう。




しばらく食欲の充足に専念。なかなかうまい。


ふとこの間のエリの話をしてみようかな、と思いついた。自分にもかかわりがあるので少しためらいがなくはなかった。でも、さくらちゃんこそ、試してみてはどうなんだろうという親切心が勝った。さくらちゃんて、そういう風にさせるところがある。


「わたしの長年の親友がね、45歳なんだけど、この間、恋活サイトでお相手見つけたんだって。一つ年下で広林堂に勤めてるって言ってたかな」


「え、そうなんですか。すごーい。それでうまく行ってるんですか」


「まだ初デートだけど、まんざらでもないようだったわよ」


「あれって、私も考えなくもなかったですけど、出会い系みたいに危なくないですか」


「私もそう思ってたんだけどね、彼女に関する限りはそうでもないみたいね。わたしはやだけど」


「ふーん……選択肢の一つではあるかなあ」


「わたしもそう思うのよ。さくらちゃんだったら、きっと引きがたくさんあるわよ。お見合いの話も捨てないで、二股も三股もかけてやってみたら」


そう勧めている自分って、いったい何なんだろう。上がってしまったオバサン? それとも自分の無意識の気持ちを、他人に託している?


そう思いつくと、何となくはっとさせるものがあった。この後のほうの答えが的を射ているような気がしたのだ。


「ありがとうございます。考えてみます。」


さくらちゃんがさわやかに言った。




やはり帰りの電車の中で、それから自宅のドアを閉めてからも、これからの自分の身の振り方のことが気にかかっていた。じぶんでは「やだ」と拒否していながら、若い人に恋活なんか勧めているわたしって、いったい……。


考えても仕方がない。こういう時は、増田ユリさんのマンガ『ふーちゃん』みたいに、お風呂に入るに限る。でもなぜか、この前のように景気づけの歌は出てこなかった。

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