第6話 半澤玲子Ⅱの1
2018年8月29日(水)
やっと過ごしやすくなった。30度以上に慣れ切っていたので、肌寒く感じるほどだ。でもまた暑さがぶり返すんだそうだ。
今日は仕事のほうも比較的楽だった。午前中は受注と売り上げの情報をコンピュータの会計システムに取り込む。午後はいつも通り伝票を整理してエクセルで出納処理。
お昼に同僚のさくらちゃんといつものスパゲッティ屋へ。
さくらちゃんはまだ30代前半で未婚。鼻がちょっと上向いてて可愛い。屈託のない子で、わたしのことを慕ってくれている(と思う)。
「半澤先輩、いつも若いですね」
「何言ってるのよ。もう先のないおばあさんよ」
「もしかしてお花とかやってます?」
「え? どうして」
「いつか、エントランスで花瓶にお花活けてたじゃないですか。あれ素敵だったから」
「ああ、あれね。うん、母がお花の先生しててね。わたしも若い頃ちょっとやってたのよ。」
「ええそうなんですか。いいなあ」
「でも今はやってないわ。時々気が向くと買ってきて家で活けたりするけど」
「趣味のある人っていいですね。私なんか……」
「え? さくらちゃんてアウトドア系じゃなかったっけ。まえスノボーの話とかしてなかった?」
「よく覚えてますね。でも、ちょっとそれがらみで失恋しちゃったんですよ。それ以来、触る気もしなくなっちゃって、収納スペースの片隅で埃かぶってます。」
「あ、そうだったんだ。ごめんなさい」
「いえ、いいんです」
さくらちゃんは少し気持ちを切り替えるというふうに間をとった。それから真面目に心のうちを明かすようなやや重い調子で、
「でもやっぱり彼氏ほしいな」
わたしは、この率直な言い方にとても好感を持ったけれど、まずは茶化すほうが雰囲気が軽くなる。
「こら、わたしの前でそれを言うな。」
「え? 先輩、つきあってる人いないんですか」
「いないなんてもんじゃないわよ。深刻なシングルババアよ」
同僚や部下とはプライベートな話はしないように心掛けているが、さくらちゃんの真面目さに思わず釣り込まれて、言ってしまった。
「さくらちゃんなんてまだまだこれからよ。ほら、人事に大村さんっているでしょう。あの人ちょっと素敵じゃない。彼、独身よ」
「大村さん、大村さん、と。ああ、あの人ね。うーん、でもちょっとタイプじゃないかなあ」
「そうっか。じゃ、しかたないわね。それに最近、社内恋愛ってあんまり流行らないみたいね」
「特に男性が、セクハラの疑いかけられるの、恐れているんじゃないですか」
「ああ、なるほど。それは気づかなかった。そういえばここんとこ社内の空気が乾いてるわね。わたしはただ、最近の男の子って草食系になっただけなのかって思ってた」
「ここ一、二年、なんかそういうの感じるんですよ。わたしなんかもっと声かけてほしいなあなんて思うんですけどね」
「ことにウチは生活用品扱ってるんだから、男女のコミュニケーションが大切よね。世の中であんまり騒ぐもんだから、男の子たち、おびえちゃってるのかもね」
「そう言えばアメリカで『Me Too』なんて運動が盛り上がりましたよね。先輩はああいうの、どう思います?」
とっさに聞かれて答えが出なかった。これまでほとんど考えたことがなかったからだ。ハリウッドの有名監督や俳優なんかが次々にやり玉に挙げられて、反トランプ・デモにも利用されていたっけ。西海岸とトランプって水と油じゃなかったのかしら。
「難しいわね。アメリカの事情、よく知らないし。ただ、日本人と違ってアメリカ女性って、すごくはっきりものを言うでしょう。日本じゃそんなに盛り上がらないんじゃないかしら」
これでは答えになっていないなと思いながら、ごまかすようにアイスティーのストローに口をつけた。ここのアイスティーは、なかなかいける。
「それがそうでもないみたいですよ。日本でもけっこう相談件数が増えているんですって」
「そうなんだ。私たちも男性研究が必要ね。でもそういう情報があんまり独り歩きして、男性諸君が委縮しちゃうのも考えものね」
そろそろ戻らなくてはならなかった。何となく年下の女性に対してオバサンやっちゃったかなと思った。つまり、自分には関係のないことについて感想を述べるみたいな言い方になっような気がしたのだ。これじゃいけないのかもしれない。
「あの……」
オフィスに戻る途中で、さくらちゃんがちょっとくぐもった顔つきで言った。
「え?」
「今日、よかったらお夕食、一緒にしません? さっきの話ししているうち、ちょっと先輩に相談したくなっちゃって」
「いいけど、でも、恋愛相談なんて、わたし、できないわよ。未経験ババアだから」
「だけど、先輩って、なんか頼りになる気がするんです。女どうしとして」
女どうしとしてという言葉に、心の中で苦笑してしまった。くすぐったいがうれしくないこともない。素直に約束して部署に戻った。
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