2日目 いづみお姉さんとの同棲生活 ②

「話が弾んでるところすみませんが、当直明けのオイラはこれにて上がらせていただくッス!」

「お疲れさん。ゆっくり休みな」

 当直明けの村上さんが敬礼すると、平林所長が彼に労いの言葉をかけた。

「俺はパトロールに行ってきます」

「おう、よろしく」

 岩船さんは自転車に乗って颯爽と出かけていった。

「あの、私の当直についてですが」

 中条さんが思い出したように平林所長に問いかけた。

「今はこの状態で蓑田君もいるため、私を一時的にローテーションから外してもらえないでしょうか」

「既に外してあるよ」

「さすが、仕事が早い! ありがとうございます!」

 中条さんは頭を下げた。

「警察官でもない蓑田君がいるのに深夜業務はさせられないよ。手錠が外れるまで当直勤務は僕、岩船、村上で回していくから」

「皆さんには感謝の気持ちしかありません」

 中条さんは手を前で組んで申し訳なさそうな顔をする。

「私も早く当直勤務したいです!」

「平木田はまだ新人だから当面は日勤だけだよ。やる気があるのは結構だけどね」

「はーい」

 平木田さんは気の抜けた返事をすると再びパソコンへと向かった。

 坂町警部への対応と違って結構ユルいな。ここはそういう雰囲気の職場なのかも。

「そうそう、蓑田君。業務で得た情報は他言無用、ご内密に頼むよ」

「了解です」

 平林所長から神妙な口調で釘を刺された。

 当然か。犯罪や犯罪者関連の情報が入ってくることもあるだろう。情報漏洩は事故扱いだ。

 僕が頷くと、交番に残った三人も各々の仕事に取りかかるべく配置につく。

 僕が中条さんと横並びで事務椅子に座った、その瞬間。


「すみませーん。道を尋ねたいんだけど」


 七十代くらいの年配女性が道を聞きにやってきた。

「はい。どちらへ?」

 笑顔を浮かべた中条さんがおばあさんの元まで移動した。ついでに僕も。

鶴見寺つるみでらの場所を忘れちまってねぇ。年を取ると困るわぁ」

鶴見寺つるみでらですと、大通りをまっすぐ進んだ先の突き当たりを――」

 中条さんは地図を開いて親切丁寧に説明するけど、

「ごめんよ。いまいち分からなかったよ」

 おばあさんは渋い顔だ。口頭での説明だけでは一人で目的地まで辿り着くのは難しそうだ。

「でしたら、鶴見寺つるみでらまで一緒に行きましょう」

「いいのかい?」

 中条さんの提案に、おばあさんは申し訳なさそうな顔をした。

「もちろん。住民の皆様のお役に立つべく、私たちは存在していますから」


 というわけで、三人で鶴見寺つるみでらまでの道のりを歩く。

 当然だけど、僕も鶴見寺つるみでらまでの道はおろか、そのような存在すら知らなかった。

 歩くことしばし、おばあさんが僕を一瞥いちべつして、

「ところであんたは誰だい?」

 怪訝けげんそうな表情で問いかけてきた。

「あ、僕は――」

「この人は蓑田君って言ってね、お巡りさんじゃないんです。私のミスでこんなことになっちゃって。鍵もなくて、合鍵ができるまでの間は二人一緒なんですよ」

「ほほう」

 おばあさんはいたずらっぽく笑った。

 あっ、これ絶対よからぬことを考えてる顔ですわ。面白がってますわ。

「繋がった日々が、お互い晩年にいい思い出だったと振り返れる出来事になるといいねぇ」

 マジで何を言ってるんだ? 晩年? お互い? 思い出? もうそれ夫婦じゃん。

「あれま。坂が続くのかい」

 鶴見寺つるみでらは山の上にある。ここから坂道が続くようだ。

 ご高齢のおばあさんにはしんどいな。

「でしたら――」

「ここからは僕がおんぶしますよ。背中に乗ってください」

「おやおや、若い男の子のおんぶとは、ご褒美だねぇ」

 中条さんの言葉を遮って僕がおんぶを提案すると、おばあさんは嬉しそうに僕の背中に乗った。

「すみませんが中条さんも左手協力してもらっていいですか?」

 おぶるのはさすがに両手で支えないと危ない。右手も使いたいので必然的に中条さんの左手も拘束することになる。

「それはやぶさかではないけれど、大丈夫?」

「僕も何かお手伝いしたいと思ってましたから」

 自慢できる体力はないけど、きっとこれくらいなら平気だろう。

 せっかく警察官の業務を間近から見られるんだ。できることがあれば、微力ながら力になりたい。


「二人とも、ありがとね~」

 おばあさんを鶴見寺つるみでらまで送り届けた僕たちは道を引き返す。

 坂道は十分弱の間続き、お年寄りが登るにはきついものがあった。

 道は分かったし、下りはお一人でも平気とのこと。いい運動にもなる。

「ありがとう、蓑田君」

「お役に立ててよかったです」

「あなたは仕事じゃないんだからわざわざいいのに」

 中条さんは苦笑しているものの、穏やかな表情だ。

「見てるだけってのも落ち着かないので」

「ふふっ、優しいのね」

「無害なだけです」

 ばつの悪さにそっぽを向いていると、彼女は首を横に振った。

「無害と優しいは違うわ。無害はマイナスではないけれどゼロ。優しいはプラスだから」

 中条さんに褒められると素直に照れてしまうな。

「交番勤務での仕事って、泥棒を追いかけたりパトロールをしたり、忘れ物の届出対応だったりのイメージが強いけれど、一番多い仕事は今のように困っている住民の皆様をサポートすることなんだ」

 中条さんは交番勤務の仕事について解説してくれる。

「泥棒も忘れ物も困りごとと言えばそうなんだけど、もっと日常感溢れる内容が多いわ」

「さっきのような道案内とかですか?」

「そう。他にも迷子とか、横断歩道を渡ろうとしている小さなお子さんやご年配の方をお手伝いすることもあるわ」

 正義の味方というよりは街のサポーター的な役割なんだな。

「平木田さんがやっているような事務処理もある。アニメやドラマと違って、華はない地味な仕事よ。凶悪事件を追いかけるのは基本的に刑事課の所掌しょしょう。私たち交番勤務の地域課が担うことはほぼほぼないわ」

 事件の謎を追うぞ! というよりも縁の下の力持ちの要素が大きいみたいだ。

「けれど小さなことでも積み重ねていくと充実感があるわ。誰かの力になれたと実感すると、私も心が満たされる」

「そんなものですか」

 僕は仕事で充実感を味わったことがないので分からない。学生の単発派遣バイトしか経験してないからだろうけど。

 単発だと日雇いで終わるので人間関係を気にせずに済むし気楽なものだ。

 ……こんなんで社会に出てやっていけるか不安だけど、今は考えないことにする。

「だから、仕事でもないのに私たちと同じことが躊躇ちゅうちょなくできる蓑田君は優しいわ。もっと胸を張って」

「そ、そうですか」

 穏やかな声音こわねで褒められると顔が熱くなるばかりだ。

 会話をしているうちに山道から街中まで戻ってきた。

「結構距離がありましたね」

「えぇ。ご年配の方が一人で行くにはハードね。帰りはまだマシだけれど」

 交番まであと五分くらいで到着するだろうというところで――――


「ドロボーッ!」


 女性の甲高かんだかい叫び声が届いた刹那せつな、黒いバイクが僕たちを横切った。

「あぁっ、お巡りさん! あのバイクに乗ってる男にバッグがひったくられて――!」

「緊急事態ね――すみません、バイクとヘルメット、お貸しいただけませんか?」

 中条さんは丁度バイクから降りたカップルに嘆願たんがんした。

「え、えぇ。いいですよ」

「ご協力感謝します!」

 なんて巡り合わせだ。中条さんの日頃の行いの賜物たまものか。ベストタイミング。

 中条さんは戸惑いつつも了承してくれた二人に敬礼してバイクに乗り込んだ。

「蓑田君、後ろに乗って!」

「は、はい!」

 ヘルメットを装着して後部座席に乗る。

「必ずあの男からバッグを取り返すから、私を信じてここで待っててね!」

「は、はい! お願いします!」

 中条さんは被害女性から僕に視線を移して、

「少しばかり乱暴に飛ばすからしっかり私に捕まっててね!」

「りょ、了解です」

 言葉の通りバイクを飛ばした。

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