第28話「リボンとブリシャブ」


 【辰守晴人】


――音に聞こえし伊里江温泉は、実際行ってみると圧巻の一言だった。


 まず駅についてバス停に向かおうとしたところ、駅の前で高級車が待っていた。旅館も写真で見るよりもずっと豪華で、フロントでは女将さんと大勢のスタッフが出迎えてくれた。


 驚くことにこの旅館の女将さんはらしく、外見ではフーと年が変わらないように見える。着物に合わせた和風の眼帯と、口元からチラリと覗くギザギザな歯がとても印象に残った。


 感じのいい中居さんに旅館と周辺施設の案内をしてもらいながら、俺とフーは一番豪華な部屋だという鳳凰の間に通された。フーは終始大はしゃぎで、見ているこっちが楽しくなってくる。


「それにしても凄いなここ、本当にタダで二泊もしていいのか」


 正直な話、福引で一等が出た時は掃除機を惜しむ気持ちも僅かながらはあった。なにせこんな至れり尽くせりの温泉旅行だとは思ってもみなかったし。


「見て見てハレ、机にお菓子が置いてあるよ! 食べていいのかな?」


「食べていいけど、食べすぎると飯が入らなく……ならないか」


 フーはなかなかの食いしん坊だ。一食あたり俺の三倍は軽く食べるから、お菓子をちょっと摘んだくらいじゃどうにもならないだろう。


「昼飯まで少し時間あるし、どこか行きたいとこあるか?」


「ハレ、私ワニを観に行きたいな!」


 温泉とワニ、全く関連性の無い話に聞こえるが、別にフーは急に動物園に行きたくなったわけではない。なんとこの温泉施設ではワニを飼育しているらしいのだ。


 なんでも女将とオーナーの娘がたいそうなワニ好きで、イリエワニとかいう種類のワニを何匹か飼育しているのだとか。


 ワニは施設内に特設された池にいるらしく。伊里江温泉の名物となっている。もしかして、伊里江温泉の伊里江ってイリエワニのイリエなのだろうかとか思ったり――


「よし、じゃあ名物ワニとやらを観に行くか!」



  

* * *  




 俺の目の前には、『ワニノ池』というそのまんまの名前が書かれた立て看板。


 池とはいうが、北側から南側へ抜けるように小さな川が通っている。そこから蒸気が立ち上っていることから、おそらく温泉の源泉から流れているのだろう。


 よく見ると立て看板にも詳しく書いてある。どうやら人工的に作った池に、温泉を混ぜる事で水温を調整しているらしい。ワニは暖かい気候を好むようだ。


 楕円の人工池は、周囲にワニの脱走防止と人の落下防止の二重のフェンスが設置されており、安全面は問題なさそうだ。


 俺は隣ではしゃぐフーから、池に作られた陸地に佇む生物に視線を移した。


「あんなのが脱走したら、湯けむり殺人事件どころじゃねぇもんな」


 陸地には巨大なワニが三匹、のそのそと動き回っていた。当たり前だが本物だ。池にはこれといって比較になる物が無いため、どれだけ大きいか正確にはよく分からないが、とにかくバカにでかいということだけは伝わってくる。


「ハレ、こっちの看板はなんて書いてあるの?」


 フーに呼ばれて見ると、少し離れたところにも同じような立て看板が設置されていた。


「あのワニの名前が書いてあるぞ。……『ワいち』『ワニ《に》』『ワ』、だとよ」


「へえ、可愛い名前だね!」


「『ワニ』以外不憫すぎじゃね? いや、まあ『ワニ』も大概か、そのまんまだし……なんか麻痺してくるな」


 女将の娘さん、ワニが好きなのかそうでもないのかはっきりしろよ。


 その後、フーがひとしきりワニ観察を堪能したところで、俺達は部屋へと戻ることにした。そろそろ腹も減ってきたし、久しぶりにインスタント食品以外の飯にありつけると思うと期待で胸がいっぱいである。




* * *   




 俺とフーが部屋に戻ると、すぐに中居さんが昼食の手配をしてくれた。昼間から豪華な懐石料理だ。


 目の前に並べられた料理は、お湯をかけて三分のやつに比べるとまるで宝石のように輝いて見えた。まあ、比べること自体おこがましい話だが。


 基本的にフーはカップ麺でも冷凍食品でも喜んで食べるが、やはり懐石料理を見る目は輝いている。ただでさえ輝いているフーがさらに輝くもんだから、もう眩しくて直視できない……何言ってんだ俺。


「すごい、テレビで見たのより豪華だよ!」


 はしゃぐフーを見て、料理の説明をしていた中居さんが、ありがとうございますと微笑んだ。俺も自然と笑みがこぼれる。


「フー、料理番組も観るんだな」


「ううん、湯けむり殺人事件で観たの!」


「ほんとそれ好きだな」


 なるほど、料理番組は観ないがサスペンスは観るらしい。そしてツボに入ったのか、中居さんが吹き出した。それにつられて俺とフーも笑い出す。


 ここ一週間でこんなに楽しい気分は久しぶりだ。気がかりなこともあったけど、やっぱり来て良かった。


 帰った後、龍奈に殺されるかもしれないが、とりあえず今はこの幸せな気持ちに浸っていたい。俺は目の前のご馳走に、そっと手を合わせた――

 


* * *



――俺達は昼食の後、腹ごなしに温泉街を訪れた。石畳で綺麗に舗装された道沿いには、旅行客向けのお土産屋や食べ物屋がずらりと並んでいる。


 フーが道行く店の食べ物を欲しがるため、結局腹ごなしどころか、ただの食べ歩きになってしまった。ちなみにここでの支払いもフーがゲットした魔法のチケットで実質タダである。


 温泉街には食べ物屋以外にも店がたくさんあるのだが、フーは花より団子……というか、何より団子という感じで食べ物以外には目もくれなかった。


 フーが楽しいなら別に構わないんだが、せっかく旅行に来たのに形になる物が残らないのも少し寂しいような気がして、俺は通りがかりに目についた赤いリボンをフーに買ってやった。


 ちなみにこれは自腹だ。福引で一等を当ててくれたフーに対して、ささやかでも俺からお礼がしたかったという気持ち。魔法のチケットの残高分は、心ゆくまでフーが自分のために使ってほしいところだ。


 可愛らしい包装紙に包まれたリボンをフーに渡すと、フーは思ったよりも喜んでくれて『ねえ、これ今付けて?』とせがんできた。


 しかし、買っといてなんだが俺はリボンで髪を結ったことなんてないし、もちろん正しい結び方なんかも知らない。それでも一応自分なりに悪戦苦闘しながら頑張ってみたのだが、かなり不細工な結び方になってしまった。


 本人は出来栄えとは裏腹に満足げな様子だったからよかったけど……要練習である。


 それにしても、女の子の髪を結ぶのって難しいのもあるが、それ以上に恥ずかしいというか、照れるというか、髪とかすごいサラサラだし、白いうなじとか見えちゃったりして、ほんとちょっと、……ごちそうさまです。はい。


 まあ、その後もお土産屋さんをぶらぶらしたり、で鯉に餌をあげたりして楽しんだ後、旅館に帰って各々お待ちかねの温泉に入った。


 伊里江温泉の大浴場は広く、露天風呂も開放的で気持ちが良かった。


 ただ、お湯の効能が記された表示版に、『当館飼育のワニも、温泉パワーでぐんぐん成長中、只今の体長九メートル二十センチと世界記録を更新しております』とかなんとか書いてあり、なんかやばい成分とか入っていないか少し心配になった。


 というかあのワニそんなにでかかったのか、もはや魔獣と変わらないのでは――



――温泉から上がり、浴衣に着替えてから部屋に戻ると部屋は伽藍がらんとしていて、豪華な内装の分かえって寂しく見えた。


 フーはまだ戻ってきた様子もないし、おそらく初めての温泉をゆっくり堪能しているんだろう。


 フーを一人で行動させるのは些か不安だったが、俺が女風呂に同伴するわけにもいかないし、こればっかりは仕方がない。こんな時に龍奈が居たら心強いんだが……いや、頼りっぱなしというのもよくない話か。


 ガチャリ、と部屋のドアロックが解除される音がして、襖の向こうから浴衣に身を包んだフーが現れた。


 浴衣、どちゃくそ似合ってて息が止まるかと思った。というか止まってた。


 透き通るような白い肌の頬は、温泉によく浸かったからか、いつもに比べてほんのり赤く染まっている。金糸のような髪は、俺があげた赤いリボンで綺麗に一つ括りに結われていた。


「遅くなってごめんね。リボン上手く結べなくて、旅館の人が教えてくれてちょっと練習してたんだけど……どうかな、綺麗にできてる?」


 今日久々に動き回って疲れたからか、温泉で少しのぼせたのか、はたまたその両方かは分からないが、いつもよりも落ち着いた雰囲気で話すフーは何というか、少し艶っぽく見えた。


「……ああ、綺麗だ」


 言葉が勝手に口から転がり出た。それは上手に結ばれたリボンに対してのことなのか、それとも俺があげたリボンを健気に練習までして使ってくれている、この少女に対してなのかと言われると、それはまあ――


「ほんと? よかったぁ、このリボン大事にするね。ハレだぁい好きだよ」


――こんなことは、出来るだけ考えないようにしてきたつもりだ。


 考えると、とてつもなく卑怯な気持ちになるから、自分自身の心を騙し騙し誤魔化してきた。


 けど、ダメだった。限界だ。


 俺はフーが好きだ。


 俺は、一人の女の子としてフーが好きだ。彼女に恋をしてしまっている。どうしようもなく、誤魔化しようもなく、大切に思っている。


「……俺もさ、フーのこと……」


 一度認めてしまうと、この胸の気持ちがとても尊い物に思えてきて、まるで自分だけの宝物のように思えてきて、世界中に俺はフーが好きなんだと、叫び出したくなるような衝動に駆られた。


 だからきっと、本人にこの気持ちを伝えたくなるのは、もはや仕方ないことなのだ……。


『……好きだ』


――そう言おうとした刹那、ガチャリ、とドアロックが解除される音が聞こえた。


「失礼します、夕食はブリのしゃぶしゃぶでございます。こちらも熱々なのでお気をつけて召し上がって下さいね」


 朝からお世話になっている中居さんだった。なんてタイミングで入ってくるんだ。思わずフーから身体ごと視線を逸らして黙り込んでしまった。


 フーは俺が何を言いかけたのか不思議そうにしたが、それも束の間。もう既にブリシャブに夢中である。机には既に温められた鍋と、お頭付きの立派なブリの切り身や旬の具材が並んでいる。


 料理を運んできた中居さんが部屋を出て行った後、フーにブリシャブのお手本を見せたりしているうちにだんだん頭が冷えてきた。


 俺も少し温泉に浸かりすぎたのかも知れない。もしくは伊里江温泉の謎の湯の効能とか……あんなことを言いかけるなんて――


 とりあえず、せっかくのご馳走だし気を取り直して今は食べよう。


 俺はいくらか冷静になって、ブリを口に運んだ。思ったよりも熱くて、少しびっくりした。


 不意にさっきの中居さんの言葉が頭をよぎった。『ブリのしゃぶしゃぶでございます。こちらも熱々なのでお気をつけて召し上がって下さいね』


 さっきはそれどころじゃなかったけど、よく考えると熱々なのでって、あの中居さん……。


 なんだか無性に恥ずかしくなってきて、俺はご飯を猛烈な勢いでかきこんだ――

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