第三章「つかの間の生活」

第65話「つかの間の日常」

 ケインはいつも通り朝ご飯を食べて、薬草狩りに出かける準備をする。

 近頃はいろいろと慌ただしかったが、平穏な日々がまた戻ってきた感じがする。


 変わったことといえば、ケインを慕って毎朝のように来ていたキッドが領主の館に行ってしまったことぐらいだろう。

 それはキッドにとっては良いことなのだが、少し寂しくもある。


「ケインいってらっしゃーい」

「……いってらっしゃーい」


 出かけるケインを見送るのは、猫人族ケットシーの血が混じっている女の子ミーヤと、長い黒髪の女の子ノワだ。

 猫耳のミーヤは、キッドがいなくなってからより頻繁に来るようになった。


 孤児院より豪華な朝ご飯が目当てかもしれないが、優しい子なのでケインが寂しがっているのを感じ取って来ているのかもしれない。


「だめ! お見送りは、奥さんのあたしの仕事だから」

「ノワはケインの子!」


「ノワちゃんはケインの子供なの?」

「うん」


「じゃあいいか。えっ、でもあたし、八歳でもう子持ちになるのか、甘い新婚生活もなく?」

「うん」


「なんかそれ微妙……」

「うん」


 ずっと聞いてたら子供同士で何を言ってるのかと、ケインは笑いが堪えきれなくなってしまう。

 おままごとなんだろうけど、会話に妙な現実感が混ざったりするのでおかしい。


「見送りありがとう、ミーヤちゃんノワちゃん。じゃあ、行ってくるよ」

「ケイン、あたしのために、たくさん稼いできてね!」


 おやおや、これは手厳しい。

 稼いでこいとは、まるで怖い奥さんみたいだな。


 まったく、子供はどこでこんなセリフをどこで覚えてくるのだろう。

 ミーヤたちに美味しいものを食べさせるためにも、せいぜい稼いできますよとケインは苦笑して出かけた。


 いつも通り冒険者ギルドに行って手続きを済まし、クコ山に向かう頃にはどこからともなく使い魔のテトラも姿を現した。


「今日も行くか、あるじ」

「ああ、よろしく頼むよ」


 街中やギルドでテトラが目立つと、そのたびに騒ぎになるので気を使っているらしい。

 みんなもそろそろ慣れてきたから、気を使わなくてもいいのにとも思うのだが。


 そういえば、妙に街中を歩く見知らぬ兵士の数が増えたような気がするし、騒ぎは避けたほうがいいのだろうか。

 ケインの周りを警護しているテトラのおかげでモンスターに襲われることもなく、クコ山で袋いっぱいに薬草を集め終わる。


「なあテトラ、そんなに警戒しなくてもいいんじゃないか」

「あるじは、狙われているのだ」


 ベテランの斥候のように警戒するテトラの動きは、クコ村を越えてエルンの街に近づいても変わらなかった。


「このあたりに、そんな恐ろしいモンスターはでないはずなんだけどな」

「ふわぁ!」


「どうした!」


 街の門を越えて中に入ったところで、テトラが全身の虎の毛をブワッと逆立てて震えあがるので、何ごとかとケインもびっくりしたのだが……。


「なんだ、ノワちゃんがいるだけじゃないか」

「いってらっしゃーい」


「ノワちゃん、帰ってきたときは『いってらっしゃーい』じゃなくて『おかえりなさい』だよ」

「おかえりなさい」


 ケインは、抱きついてくるノワちゃんを優しく抱きしめた。

 なんとなく、触れるノワちゃんの白い手が冷たいのが気にかかった。


 子供は体温が高いものなのだが、もう秋も深まってきているので手が冷えてしまっているのだろうか。

 ケインが手で包んで温めてあげると、ノワちゃんの手も温かくなってきたのでホッとする。


「あ、あるじ。その薬草と倒したモンスターを、我がギルドに換金しに行こう!」

「えっと、できるのか?」


「できる! ギルドには我一人で行ってくるから、先に帰っててくれ!」


 薬草の詰まった袋をひったくるようにして持っていくと、テトラは脱兎のごとく飛び出して行ってしまった。

 テトラだけで行って、受付のエレナさんが困らないかと思うのだが、慣れてもらういい機会かもしれない。


「まあいいか、ノワちゃんお家帰ろうか」

「うん!」


 ノワちゃんの手を引いて、歩いていく。

 途中の道で、酒場『バッカス』のマスターから声をかけられる。


「おー、ケイン。いいところにきたな!」

「手伝いましょうか」


 マスターが何やら大きな荷物を抱えているので、ケインは店まで運ぶのを手伝うことにした。


「上物の酒が入ったんだ。ちょっと寄っていけよ」


 ケインが、ノワちゃんを見ると「そっちの嬢ちゃんにも、なんか食わせてやるから」とマスターが言うのでそうすることにした。


「店、凄い流行ってますね」

「おう、お前らがくれたビーストボアーのおかげよ。Aクラスの魔獣の肉なんて他所で食べられないだろ」


「そりゃそうかもですね」

「縁起がいいってんで評判になって、たんまり金を持った上級ランクの冒険者もやってくるようになったんだ。おかげで大繁盛よ」


 店はいつにも増して活気に溢れて、客が行列待ちまでしていた。

 いつもは、マスター一人でやってる店なのだが、手伝いを雇うほどに繁盛しているらしい。


「で、金持ちの客に合わせて仕入れてきたのがこいつよ。まあ、いっぱいやってみてくれ」


 言われるまま、グラスに注がれた少しとろみがある赤い液体をひと息に飲み干すと、強い酒精が喉を焼く。

 ほどよく強いのに、後味はすっきりとして爽やかだった。


「どうだ上物だろう」

「おいしいですね」


 甘酸っぱいワインの味だけではなく、どこか花の香りが立ち上がるように感じる。


「古の森から仕入れてきた月見草のワインよ」

「へー、これが」


 月見草というのは上級の回復ポーションにも使われる高価な薬草だ。

 高級酒と名高い月見草のワインは、エルンの街から北東にある古の森のエルフの里からの輸入品である。


「エルフってやつは、高慢ちきな連中だが作る酒は良い」

「うーむ、上品な味わいですね」


 上質のワインに、フレーバーとして月見草を混ぜてあるのだ。

 薬草狩りのケインとしても興味深い一品で、疲労回復効果もあると感じた。


 一杯飲むだけで、肩が軽くなって一日の疲労が抜けていく。


「ケイン、それ飲みたい」

「あ、ノワちゃんにはこんな強いお酒はダメだよ。マスター」


「ホイホイ、ほら嬢ちゃんにはこっちだ」


 ちゃんと子供に合わせて、木苺のジュースを出してくれる。


「美味しい」

「そうだろう、お砂糖いっぱいいれたからな。さてと、そろそろ食うものも……」


 その時、カランコロンと扉についてる鈴の音がして、店に新しい客が入ってきた。


「おい店主、ここではビーストボアーの肉を出してると、ぐわぁあああ!」


 店に入ってきたのは、Aランクパーティー『流星を追う者たち』の一行だったのだが、入ってくるなり流星の英雄(自称)のアベルが絶叫して、腰を抜かした。


「ちょっと、どうしたのよアベル」


 仲間の女盗賊キサラは、いきなり酒場の入り口で座り込んでしまったアベルを迷惑そうに見る。


「そ、それどころじゃねえ! お前ら何も感じないのか! これは悪神の瘴気だぞ!」

「はぁ?」


 和やかな酒場にいきなり入ってきてこれである。

 あまりのことに、何が瘴気だよとみんなは笑い始めてしまった。


「アベル、酔っ払いすぎでしょ」

「まだ酒なんて一滴も飲んでねえ。クソ、どこだ、どこにいる悪神!」


 自慢の流星剣を引き抜いて、油断なく構えるアベル。


「ちょっと、リーダー。こんなところで、剣を振り回したら危ないですよ」


 瓶底メガネの魔術師クルツが、さすがにシャレになってないと止める。


「お前らなんでわからないんだ。これは、あのときと同じ……わかった。そこだ、ケインさんの横の女の子!」


「えっ?」


 突然アベルに名指しされて、ケインはびっくりして腰を浮かす。


「この子が悪神ですか? ケインさんが連れてるのは、ただの可愛い女の子じゃないですか」

「アベル、あなた疲れてるのよ」


 もはやアベルは笑われるのを通り越して、クルツとキサラに可哀想なものを見るような目で見られている。


「いや、違うって、確かにいまそこから、尋常でないおぞましい気配が」

「リーダー。わかりましたから、今日はもう帰りましょうよ」


 そうみんなが止めるのも聞かず、前に出たアベルだったが、ノワと目があった途端「ぎゃぁあああ」と叫んで倒れてしまう。

 白目を剥いて泡まで噴いて気絶している。


 慌ててケインが手当したのだが、気絶したアベルの意識は戻らず、「うーんうーん」とうなされたまま担架で教会まで運ばれていった。


「ごめんねマスター、なんかうちのバカが騒がせてちゃって」

「いいってことよ。また来てくれよ」


 酔客が起こす騒ぎには慣れっこのマスターである。


「ほら、できたぞ。ケインにはビーストボアーのステーキだ。嬢ちゃんには、食べやすいようにハンバーグな」


 さすがは、マスター。

 あの騒ぎの中で、我関せずと普通に肉を調理していたらしい。


「うまい!」

「美味しい!」


 この前食べたビーストボアーの焼肉も美味しかったが、それよりもさらに肉の味がしっかりしていると感じる。


「だろ、やっぱり肉は熟成させてなんぼだよな。今日は俺のおごりだ。店を繁盛させてくれた礼も兼ねて、たくさん食って飲んでいってくれよ」


 ケインとノワは、芳醇なビーストボアーの赤身肉をたっぷりとごちそうになると、家で待っているテトラにもお土産として肉料理を持って帰ってあげることにした。

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