隣人の女

中学二年生の僕・浦島栄太はこの夏休みに都内に引っ越した。

思春期真っ盛りの僕は、「引っ越したくない」と駄々をこねたが、半ば強引に引っ越しをする事になった。

「今日からここが俺達が住む家だ」

築五年の若干新しい家に住む事になるのか。

前の家はなかなか住みやすかったが、この家はどうだろう。

住みやすいといいな。

そう思いながら、僕は引っ越し屋と協力して荷物を搬入する。

テレビ、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジなどの家電を搬入した後、テーブル、タンス、観葉植物などの荷物を運ぶ。

「ふう〜こんなものかな」

「お疲れ様」

お父さんは、近くの自販機で買ったジュースを僕に手渡してきた。

「ん。ありがと」

「前の家の方が良かったか?」

不服そうにしてるのを感じたお父さんは、唐突に質問してきた。

「ん〜前の家は築二年の新居だったから、前の方が良かったかな」

「ハッハッハ! そうだな」

本音で答えた僕に対して、お父さんはただ笑っていた。

「大体リビングは大丈夫だから後はゆっくり休んでろ」

「ん。分かった」

お父さんの言う通り僕は、暫しの休息を取る。


ブロック塀に背もたれながらジュースを飲んでいると、

「栄太、お隣さんに挨拶でもしとけよー」

お父さんが、ダンボールを持って二階に上がろうと階段を上りながら言ってきた。

「ん。分かったー」

多少面倒臭いけど、隣人の挨拶は大切だ。

飲みかけのジュースをブロック塀の上に置いて、隣人の家を訪れる。

隣人の家は、見たところずっと建てられているような少し古めな感じだ。

庭と思しき場所には、雑草が生い茂っている。

そのまま放置しているのだろう。


ピンポーン


「すいませーん。今日から隣に越してきた浦島という者なんですけど──」


ガチャ


早く気付いたのか僕が言い終わる前に隣人はドアを開けた。

隣人と目が合った瞬間、僕は一目惚れをした。

中から出てきたのは、白いワンピースを着た若々しい女性だった。

「あ、あの。よろしくお願いします!」

つい裏声で挨拶をしてしまった。

「うん、よろしく。私の名前は竜宮姫乃よ。あなたの名前は?」

「う、浦島栄太ですっ!」

「栄太くんか。ふふっいい名前ね」

ふんわりと笑う彼女を見て、僕は更に緊張する。

しかも、ラベンダーのような花のいい匂いが鼻腔をくすぐる。

「隣人同士仲良くしましょう」

「は、はいっ!」

緊張と気持ちよさが入り混じったこの感情、変だな。

彼女の笑顔を見るだけで、気持ちが昂る。

「あ、そうだ! お近づきの印として私が今つけてる香水をプレゼントするわ」

そう言い、彼女は家の中に戻り、香水一式を持ってきた。

「はい。どうぞ」

僕の元に歩み寄り、香水一式を手渡してきた。

「い、いいです」

流石に悪いと思った僕は、それを受け取らない。

「そんな事言わずに。私はあなたともっと仲良くなりたいの」

「で、でも……香水をつける人がいなくて……」

「お母さんはいないの?」

「お母さんは、僕が中学入学と共に他界しまして。今は……いないんです」

「そうなの……。色々と寂しい思いをしたわね」

「だからあなたみたいな女性に会えてとても嬉しいんです」

僕がそう言うと、彼女は強引に香水一式を僕の手に持つように迫り、僕の低身長に合わせるように屈んだ。

「栄太くんは素直でいい子ね」

と、褒めながら僕の頭を撫でてくる。

思春期真っ盛りな僕は、彼女の行動に焦る。

「ひ、姫乃さん!?」

「姫乃って呼んで」

「で、ですが、年上には敬語──」

その瞬間、彼女の匂いはさっきまでと違い、気持ちよくなり頭がポワポワという謎の感情になった。

「姫乃」

まるで酒に酔っ払ったような気持ちよさのまま、僕は彼女を呼び捨てで呼んだ。

「それでいいのよ。栄太くん。ふふっあなたはずっと私のも・の」

それから僕は、彼女──姫乃の虜になった。


いつの間にか夕方になってしまった。

辺りを見回すと、姫乃は居なくなり、ただ姫乃の家の前で香水一式を持ちながら佇んでいた。

「おーい栄太ー。やけに遅いな」

お父さんは、僕の存在に気付き、近付いた。

「それ、どうしたんだ?」

と、香水一式を指差して言った。

「お隣さんに貰ったんだ」

「お隣さんが? 普通逆じゃないか? まあいいや。で、中身は何だ?」

「香水だよ」

「香水? 参ったなー。じゃあ、仏壇に供えるか」

そう言い、お父さんは、香水一式を奪おうと僕に手を伸ばす。

「ダメだよ!!」

「な、なんでだ? 香水は女性がつけるもんだろ?」

「僕が持っておく」

「栄太は使わないだろう。さあ、貸せ」

「嫌だっ!!」

僕は、香水一式を持ちながら新居に入る。

「ったく。あの香水、一体どうするつもりなんだ?」


一目散に新しい自分の部屋にやって来た僕は、早速箱を開け、中から香水を取り出す。

「これが姫乃がつけていた香水……」

ゴクッと喉を鳴らし、香水を部屋中にばら撒く。

「アハッ僕の部屋が姫乃の匂いまみれに……」

クンクンと犬のように匂いを嗅ぎ続ける。

「やっぱりいい匂いだなあ」

敷布団にも香水をかけて匂いを嗅ぐ。

「これでいつでも姫乃と眠れる……」

その後、「姫乃」と連呼しながら僕は、深い眠りについた。


ハッ!

今何時?

時計を見ると、深夜12時を超えていた。

ヤバい……何もご飯食べてない。

そう思い、自分の部屋を出て、階段を下りリビングに行く。

すると、

「どんどん食べてください♪」

「姫乃さんありがとうございます」

お父さんと姫乃の声が聞こえてくる。

「お、お父さん?」

目の前の光景を見て僕の頭は真っ白になる。

「栄太じゃないか。どうしたんだ?」

「それはこっちのセリフだよ! 姫乃と何してるんだよ!」

「こら栄太。年上なんだから姫乃"さん"って呼びなさい」

「いいえお父さん。私が呼び捨てでいいって言ったので」

「……。姫乃さんが言ったのなら別に呼んでいいですけど──」

「それで何してるんだよ」

お父さんが言い終わる前に僕は怒ったような口調で言った。

「お隣の姫乃さんがお祝いに手料理をご馳走してくれたんだ」

テーブルを見ると、豪勢な料理が並べられていた。

「栄太くんも食べる?」

先程までお父さんに対し怒っていたのだが、姫乃の勧めで怒りは収まった。

「もちろん食べるよ」

僕もテーブルに座りお父さん同様に料理を食す。

「美味しい」

「良かった〜♡」

心からの『美味しい』に甘い声で一安心する姫乃。

彼女の笑顔を見るだけで僕は嬉しい。

「これで料理の心配は無いな」

お母さんが他界した事でちゃんとした料理を食べていなかった。

いつもはコンビニ弁当やカップラーメン、料理できないお父さんがたまに作るチャーハンだった。

その影響で久々の手料理を食べられて僕は泣いてしまった。

「栄太くん泣いてるの? そんなに美味しかった?」

「だって……お母さん以外で女性の手料理がまた食べられるなんて思ってなくて……グスッあまりに美味しくて……」

「栄太くん。うん、分かったわ。私が母親になってあげる」

「え? 姫乃さんが母親代わりに?」

「えぇ。私がこれからも料理を作ってあげるし身の回りの世話もするわ」

「本当にいいんですか?」

「本当よ。ならお父さんもタメ口で私のこと姫乃って呼んで。今日から私がお母さんよ」

「お母さん……!」

「あぁ。今日から姫乃は俺達の家族だ」

美しい美貌の隣人の女性・姫乃がお母さんになった。

これからも一緒に暮らすのか。

何歳なのか分からないが、そんなの気にしない。

だってこんなにも惹き込まれる女性なのだから。


それからというもの姫乃はまるで本当のお母さんのように僕達の生活に馴染んでいた。

朝昼晩の食事はもちろん。毎日美味しいお弁当も朝早く起きて作っていた。

掃除・洗濯などのお母さんがいつもやっている身の回りの世話も完璧にこなしていた。

「いやーいつもありがとう。毎日大変だろう」

「いいえ。私はとても楽しいわ。大変だからこそ楽しい。これがお母さんという仕事」

「んーでもなぁ。たまには休んでもいいんだぞ?」

「私の体の心配をしてくれてありがとう。でも大丈夫。空き時間はちゃんと休んでるわ」

「そうか。ならいいんだが……」

「ふふっあ、そうだわ。お父さん。ちょっとお話が──」

「ん? 何だ?」


「ただいまー」

友達と遊び終わった僕は、ドアを開け自宅に入る。

「ちょっとお父さん聞いてよー。最近なんか白髪とか抜け毛とか出てきてさ」

いつもならお父さんか姫乃が返事するのだが、今日は何かと静かだ。

「二人とも?」 

あまりの静かさに不思議がる僕は、自室に行かずリビングへと向かった。

「帰ってきたんだけど……」  

「あら。栄太くん。帰ってきたの? ごめんね、返事できなくて」

「今日はどうしたの? 何かあったの?」

周りにはお父さんの姿が見えず、姫乃だけが座っていた。

「あれ? お父さんは?」

「あそこにいるわ」

姫乃が指差した先を見ると、キッチンにある椅子にぐったりとお父さんが座っていた。

「お父さん、なんで返事しなかったんだよ〜」

僕はお父さんの元に駆け寄り体を揺する。

しかし頑丈だったお父さんの体は、まるで骨のような体になっており、お父さんは揺すった反動で倒れた。

「お父さん!?」

予想外の事で頭がパニックになる。

「あぁ……」

お父さんの顔を見ると、やつれていて、全体的に老けていた。

今朝会った姿とはまるで違い、別人になっていたのだ。

すると僕の手も何気なく見たらシワシワで痩せこけていた。

「何だこれ!?」

有り得ない状況で更に頭が混乱する。

「え……い……た……」

お父さんは掠れた声で僕の名前を言う。

「に……げ……ろ……」

「それってどういう──」

「は……や……く……」

僕の背後に感じる嫌な悪寒。

後ろをチラッと見ると、姫乃がニコニコと笑っていた。

あれ? 姫乃ってこんなに若かったっけ?

大人の女性とは程遠い美貌の姫乃。

そして僕はやっと最悪な事態だと気付き、お父さんの言う通り逃げようと試みる。

「あら、栄太くん。逃げるつもり?」

「くそっ!」

ドアの前に姫乃がいる為、逃げられない。

「うふふっ私、お父さんと結婚するわ」

「結婚!?」

唐突な結婚宣言に僕は戸惑う。

「えぇ。私は浦島家の家族になったしお母さんになったから結婚してもいいかなって思ったの。祝ってくれる?」

「祝うにしてもお父さんは許可したの?」

「許可してくれたわ。私がお母さんに見えたから結婚しようねって」

確かに姫乃はお母さんそっくりだ。でも姫乃とお母さんは全くの別人だ。

「そんな筈はない。ずっと好きだったお母さんのことお父さんが忘れる訳がないんだ」

そう言うと、姫乃は

「じゃあ栄太くんは私のこと嫌いなの?」

しょんぼりとした表情で言った。

そう言われると、嫌いじゃないと答えてしまう。

「き……嫌いじゃない……」

「じゃあ結婚してもいいわよね。やった♡ 私達結婚したからお父さんとキスしちゃった」

「ふふふっ」という姫乃の妖艶な笑い声を聞きながら僕は身を潜める。

「キスした代償にお父さんの養分も頂いちゃった♡」

養分……?

「は〜♡ この家とても居心地がいいわ〜。私の家はもうボロボロだから一生ここに住むわ〜」

姫乃は目を瞑って腕を伸ばしながら呼吸をしつつ言った。

よし、今の内だ……!

ダッ!と駆け出し、ドアノブを回した時、片腕に手の感触が。

恐る恐る見ると、姫乃が逃さないようにぎゅっと強く僕の腕を握っていた。

「栄太くん。これからもここで楽しく暮らしましょ〜。私が本当のお母さんよ」 

しまった……! つい姫乃と目が合ってしまった……!

「え・い・た・く〜ん」

僕は、姫乃の目に奪われ、体が脱力し完全に取り込まれてしまった。

そして……


「姫乃お母さん。大好きだよ」

僕は、認めてしまった。


倒れていたお父さんは、何とか一命を取り留め虚ろな目で生活している。

僕は、お父さん同様に老け続け、姫乃は何故か若々しくなっていく。

「ふふっ完璧な私のお城の出来上がり♡」     

            

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