5.V1、ローテート。V2!
「……意外と小さいな」
「まあ、当時からしても大きな機体じゃなかったからな」
ハンガーから引き出されたF-104を見て、二人は、峯宇吉国とラフマニ・ラフマンは感嘆の声を上げる。矢のような機首に、超音速飛行に耐えるショックコーンを備えたエアインテーク。刃物のような薄い、薄い主翼に、尻がきゅっと上がったように見えるエンジン。垂直尾翼の上方にマウントされている水平尾翼は、ラフマンの熱狂的な「カナダ風の塗装でなければ友情を鑑みて今すぐお前を殺す」との主張により、真っ赤に塗られている。エンジン部には更には急上昇のためのロケットがついて居た。大気圏上層での操舵のための追加の化学ロケットも装備している。
急遽仕事を放りだしたのは、該当の3万メートル以上を飛んでも安全な空域が使えるのは勤務時間中ゆえであった。お互いに星間戦争時代の与圧服を身に着けている。
そして、二人が嫌そうな顔をしながら、じゃんけんを始める。
「あ、クソ」
そう言って、毒づいた峯宇はにやついているラフマンからフラッシュライトを受け取る。そう、飛行前点検が必要なのだが、しかし。
エンジン点検が必要なのだ。だが、エンジン空気取り入れ口から入る必要があり、狭いを通り越して閉所恐怖症の人間は死にそうになるくらいのレベルであり、一度詰まってしまって、ラフマンに死ぬほど笑われながらエンジンを外して出てくる羽目になったのである。問題ないことを確認し、毒づきながら出ていくと、ラフマンが露骨な舌打ちをした。
「黙れ、何か言ったらライト投げるからな」
「何も言ってないじゃないか」
畜生。とぼやきながら、さて、とばかりにお互いに顔を見合わせる。
「俺が操縦する」
「バカ言え、俺に決まってる」
当たり前の話だが、どちらも「自分が操縦したいからF-104をレストア」していたのである。自然、俺が俺が、式の状況になるのはやむを得ない。操縦できるのは一人だ。どちらもパイロットである。
「何で決めるよ」
「殴り合いとか?」
「バカ、次の日に飛ぶことになるだろ」
「じゃ、古式ゆかしくコイントスにしよう」
そう言って、表なら俺、と言い放ってラフマンはぴん、とはるか昔の10セント硬貨を跳ね上げた。ぱしん、という音とともに、左手の甲に張り付く。右手をどけると、そこには。
裏。つまり、峯宇が操縦することになる。
「あ、クソ……お前かよ」
「なんだ、イカサマしなかったのか」
そういうと、ラフマンはにやり、と笑った。
「俺が操縦するとなるとタスキーギを乗せなきゃいけなくなるだろ。ま、お前に任せるさ」
「そういやそうか。いや、厄介な約束をしたもんだな」
そう言って、タラップをかけ、にやりと笑う。
「フライトプランを出さない違法飛行だ。降りたらどうなるだろうな?」
「ま、こってり絞られるだろうさ」
拳を撃ちつけ、ヘルメットをかぶり、シートに体をうずめ、ハーネスを締める。メンテナンスを担うボットが各種の安全ピンを引き抜き、機体が生き返り始めた。計器の電源は別系統で、燃料水素電池を含め、簡易レーダー機材を含め、本来は何もない機首にパッケージングしている。燃料水素電池を含め、航法機器をボットが起動。三菱・レイセオンエアクラフツの汎用航空機用リアルタイムOSが立ち上がり、F-104用の油圧系センサ、サブのワイヤー類の破断を検知するチェッカ等のドライバを読み込む。油圧系動作確認。
ラダーを踏み込み、作動油圧系を確認し、ボットからラダーの動作確認応答が帰ってくる。
かつてのTACネーム、サムライを思い出し、ラフマンのカナディアンを思い出す。
「こちらサムライ。ラダー、チェック」
「こちらカナディアン、コピー。ラダー、チェックOK」
「トリムを点検する。エルロン、スタビ、ラダーを動作させる」
「コピー。……動いている。OK」
そう言って、ラフマンは言葉を切る。
「夢のようだ」
「さあ、醒める前にチェックを終わらせちまうぞ」
オートピッチコントロールを確認する。これもOKであるが、なぜそのような機構が必要なのか、というと、F-104は迎え角が大きくなると、つまり機首を上げると揚力が増大し、更に機首が上がり、失速しかねない状況になってしまう、という機体の欠陥がある。そのため、操縦桿にシェイカーがついて居るのであるが、今回はシェイカーに合わせ、ヘルメットのHUDに警告を表示するようにセットしてある。
そののちにフラップを確認、レバーを離陸、着陸、離陸と動かして正常に動作しているのを見、エマ―ノズルクロージャ系統、これはスロットルをアイドル位置にした後にENCハンドルを引き、動作を確認後、ハンドルを押し込んだ。
「滑走路に侵入する。いやあ、ぞくぞくするな、カナディアン」
「サムライ。違法行為だぞ」
「まあ何、帰ったら面白いことになるさ。お互い、バカをやれる最後あたりのトシだろ」
「おお、お前の中年の危機は空で違法行為か。車の方がナンボかかわいいな」
ぬかせ、と毒づいて、機体を滑走路の端に進める。エンジンのパワーを上げ、車輪のブレーキを切り、速度をぐい、と上げていく。
悲鳴。機体の悲鳴。エンジンから響く金切り声。しかし、それは二人には別種のものに聞こえていた。喜悦の声。歓喜の叫び。もう一度空を飛べるという、魂の絶叫。
「V1!」
「V1、コピー!」
もう戻れない。その叫びとともに、機体が滑走路を滑る。
「ローテート!」
「ローテート、コピー!さあ行くぞ、サムライ!」
機首が上がる。ふわり、という浮揚感。
「V2!」
「V2、コピー!」
喉の奥から湧き上がる衝動。脚をしまい、ズーム上昇。ロケットに点火。ぐい、とシートに体が押し付けられる感覚。
「1万、1万3千、おい、すげぇな!」
「まだまだ、もっと高くに行くぞ!」
1000年前のエンジンとは到底思えないパワーをJ79は捻りだし、F-104を押し上げていく。空へ、空のその向こうへ。
市街地が下に見える。轟音はきっとそこにも届いているだろう。おそらくはとっくに通報されているだろうが、しかし。
俺はもっと高く飛べる。飛べるのだ。F-104DJがそう主張しているように聞こえた。
「2万9000!おい、おいおいおい!」
「引き返すなら今のうちだぞ!」
「だれが!」
そして、HUDの高度計は、3万メートルを指示した。さらに上昇。思わず、目を閉じそうになる。しかし。
なにも、やってこない。砲撃も、警告も、何もかも。
「……応答せよ、繰り返す、応答せよ」
「こちらサムライ。どうぞ」
息をのむ音。ためらいがちに、続く。
「貴機は3万メートルを超えている。直ちに降下せよ」
「こちらカナディアン。いやだね」
周囲を見回す。空が青い、などという言葉は、この領域には通用しない。鉄紺から黒に近い、暗い、暗い青。10年間、人類が肉眼で見ることを許されなかった領域。天の圧政ゆえに、見上げるしかなかった空間。地球の丸さが視認できる、高みの領域。
「こんな光景を独占出来るんだ。燃料が無くなるまではここに居てやるつもりだ」
どちらともなく、そう口に出して言う。今、この瞬間は。この鉄紺の空は、たった二人だけのモノであった。
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