3.プリフライトチェック
「事務所の二階に住んでるおっさんが近所に居てな」
ハンガーの二階、会計用のAIを走らせているブレードサーバが金網ごしに唸り声を立てているその部屋の執務机で飯を、マッケンチーズと味噌汁とかいうある種嫌がらせのような取り合わせの食事をとった後、藪から棒に峯宇は口を開いた。
「どうしたんだよ、峯宇」
「よっぽど家に帰るのが嫌なんだなとか考えてたんだが、実は違うんだな、あれ」
「どう違うんだ?」
「めんどくさいんだ。単に」
そういって、仮眠室というラベルがついてはいるが、実質的に峯宇の私室になっている部屋に入っていく。よっぽどの事でもない限りは既に業務の受付を終了しており、さて俺も帰るかラフマンも考えていたが、結局同じように面倒になって、自分の部屋扱いになっている仮眠室に入って寝てしまった。
朝になって起きると、峯宇がアクリルの飾り箱に入れてあるものをしげしげとみている。なんだこれは、と言わんばかりの態度であるが、何か嫌な予感がする、などとつぶやいている辺りで、おお、予測通りだと思うぞ、と言いそうになっていた。
「これ、どうしたんだ」
F-104の部品の入った飾り箱を弄びながら、不信の目で問いかけてくる。そら来た。という所感。
「F-104の部品だよ」
「部品は分かってるが、どうして買ったんだ?」
「記念品さ」
「タスキーギからメールがあったぞ。F-104DJの胴体が買えるかもしれないって」
「あのボケ。送信先ミスってやがる」
ラフマンは毒づき、うえ、という顔をする。
「会社の金で買ったわけじゃない、ってのはだいたいわかるが、秘密にしておけるとでも思ったのか?」
峯宇はため息をつき、にやり、と笑う。
「良いじゃないか。俺もそういうのは好きだ。どっちが操縦するか、ってのは議論の余地があるがな」
「創業時の時のセリフみたいな事を言うな。お前が言ったんだったか?」
それを聞いて、相変わらずだな、と言わんばかりの表情で峯宇は言った。
「お前だよ。まったく、そういうところだぞ」
わざとだよ。と返す。実際、覚えているに決まっているのだ。人生の道行が決まった日なのだから。
仕事が終わり、さて、とばかりに二人でつなぎを着て、整備用のARグラスをかけなおして下に降りる。翼を休めている自分の会社の持ち物の奥に行くと、あるものが見えた。
「青写真だのTOだの、手に入るのは良い時代だな、おい」
「まあ数ドルあればネットワークごしに手に入るからな。完全な分解状態から戻す手順とかもあるわけだし」
そうして、今回手に入る機体の来歴すら分かった。ネットワーク上に最終的にどうなったか、まで含めて全機体が記録に残っているのである。
「C/N5417、アメリカから輸出されて日本に送られ、最終的には台湾空軍に所属していた機体か」
峯宇はそう言うと、うんざりしたような表情を作る。ハンガーに転がされている筒状の何か。生き残ってきたことそのものが何かの間違いのようながれきを見て、うめくように言う。
「しかしまあ、ひどいもんだな」
「さすがに1000年まえの機体じゃな。しょうがねえよ」
使用されていたアルミ合金は白錆が浮き、ところどころに孔食まで存在している。ステンレス鋼が使用されていた場所は朽ちる寸前で、チタンの使用箇所のみ無事。垂直尾翼とそのうえにマウントされているはずの水平尾翼は下に落ちていた。
「これ、どこから見つかったって? ラフマン」
「モハベだそうだ。地下で保管されてたところから出土したらしい。これでも崩れてないだけ相当状態がいいものをガメて来たそうだ」
「タスキーギに感謝だな」
「まあ、それなりに弾のあるF-104にしても、複座はそこそこ珍しいからな」
「……で、どうするよ」
「どうするって、なんだ」
「とぼけるなよ。これ、使えるところあるのか」
「使うに決まってるだろ!」
そう言い切ったラフマンをにらみ、つかつかと機体に歩み寄り、革手袋をはめた上で孔食の開いた部分を殴りつける。大きな穴が空き、梁の部分まで損傷してしまっている。言うまでもないが、セミ・モノコック構造である以上骨組みにまで経年劣化のダメージが行っているのは致命的だ。
「何をするんだ!」
つなぎの襟首をラフマンが掴む。峯宇は、心の奥が冷えていくのを感じる。
「これを使うのか?」
自分の喉から出たとは思えないほど冷たい声が出ていることに気付く。そう、これを使う、これを使って『飛ぶ』という事は、それ自体が命懸けになってしまうのだ。
空を飛ぶのは命懸け。それは当たり前であるが、だからと言って賭けなくていい所で命を懸けるのはただの自殺である。
「当たり前だ!こんな……こんな貴重なものがあるか!1000年前からやってきたんだぞ! 復元は元通りにするのが当然だろう!」
「お前正気か!これで飛ぶんだぞ!」
「そうだ! 飛ばすんだよ!」
「どうしようもないだろうが! 飛ばす、飛ばすって、こんなものに乗って飛ぶのは自殺行為だ」
ごん、という音。星が散る。激昂したラフマンが頭突きをして来たのだ、という事がわかったと同時につかみかかっている腕の間接を曲がる方向に殴りつけ、腕を外し、引き倒す。
「上等だてめえ! このメイプル野郎! 毎回毎回パンケーキにだらだらかけやがって!」
「ふざけやがって、このエセサムライ! マッケンチーズに味噌汁とか地獄みたいな食事を作りやがって!」
「安いんだよボケ!」
「塩分過多で死ぬわ!」
「おめえプーティン好きなんだろうが! あの心臓発作コンボ!」
「てめえ! 言いやがったな!」
殴り合うたびに一瞬星が散り、ブラックアウト。容赦のない拳の応酬を交わすが、言っていることはただの食事の不満である。
激しく殴り合う。そう言ってみたとはいえ、かつては若かった30男。体力がなくなっている。つまりはぜえ、ぜえ、と荒い息をついていた。
「……明日にしよう」
「……そうだな」
くそ、思いっきり殴りやがって。とお互いに毒づき、それぞれ別々のものを作って食って、顔を合わせずに寝てしまった。30男のやる喧嘩ではないが、とはいえいつもの事である。
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