第28話 国見久子4

 国見久子は、その日は遅刻しないようにと頑張って起きようとした。だが、朝が弱いのは一日では、克服できなかった。彼女は母親に起こされ、遅刻気味に登校してきた。教室に着いた時間も、昨日とあまり変わらなかった。彼女の席は、やはり無かった。無かったのは、空いている席もだ。昨日空いていた席には、野に咲くすみれのように、ひっそりと宇野美月が座っていた。


「国見、どうした? 早く席に着きなさい」

 教室の後ろの扉の前で突っ立っている国見久子に、先生は親しげに声を掛けた。ちょっと馴れ馴れし過ぎる声が、彼女の気に障った。

「でも、座る席がありません」

「座る席が無いだと? そんな事ないだろ。ふう、本当だ。全部埋まっているな。どうしようかなあ」

 先生は一度、ゆっくりと教室を見回した。髭の濃い顎を撫でながら思案した。それが、突然考えるのを止めて言った。


「誰か、国見に席を譲ってやる奴はいないのか?」

 それは、突拍子もない提案だった。そんな事、聞いて欲しくなかった。誰も手を上げなくても仕方がなかった。みんな迷惑だろうし、そんなの私、嫌だと国見久子は思った。仕方がないことだから、余計に傷付いてしまう。

「誰もおらんのか?」

「……」

「あっ、はい。私が久子と半分ずつ座ります」

 彼女に救いの手を上げたのは、沢田貴子だった。真っ直ぐに伸ばした、右腕が頼もしかった。


「良かったな、国見。半分ずつ座るってさ」

 先生は不敵な笑みを見せた。教室が少しざわついた。蟻地獄に蟻がはまってしまったような、ざわめきだった。何か不穏な空気が漂っていた。


 国見久子は、沢田高子と二人で体をくっ付けて、一つの椅子を使った。尻が半分椅子からはみ出ていたから、尻が痛くなった。我慢できないほどではなかった。机の上は、普段より窮屈だった。狭い机の上に、教科書とノートを二冊ずつ置く場所がないから、一冊の教科書を二人で一緒に使った。ちょっと二人で悪いことをしているみたいで、彼女はドキドキした。


「国見、大変だったな」

「でも、お前の机と椅子、どこに行ったのだろう?」

「悪戯にしては、ちょっと手が込んでいるな」


 二人が同じ席に座っていることに気づかない先生もいたが、指名される時になって、先生は間違え探しのようにそれに気づいた。

「そこ、どうしたんだ?」

 授業が変わるたびに、先生に説明しなければならないのは煩わしかった。

「あの。私の机がないので、一緒に使っています」

「机がない。机はどうしたんだ?」

「分かりません」

 国見久子はそれ以上、答えることができなかった。先生も授業の進行を考慮して、あまり追求しなかった。追求したところで、彼女の様子から、何の進展もないと分かっていたからだ。


「それじゃあ、授業を進めるぞ。大事なところだから、しっかり聞いておくように」

 先生は頭を切り替えて、黒板に向かった。もう彼女の席のことなど忘れてしまったように、授業を再開した。


 小さな椅子を二人で使うのは、やはり無理があった。時間が経つに連れて、尻や腰、背中が我慢できないほど痛くなった。

「お尻が痛くなるから。貴子、もういいよ」

 国見久子は肩をつついて、申し訳なさそうに沢田貴子に言った。黒板の文字をノートに写すのを中断して、静かに振り向いた。

「でも、久子はどうするの?」

「ノートだけ置かせて、床にしゃがんで授業受けるから」

「そっちの方が大変だよ。それよりも、どこかの教室に机、余ってないか探してみよう?」

「そうだね。誰かが持って行ったとしたら、他の教室にあるかもしれない」


 国見久子は、ちょっと探偵になった気分で、沢田貴子と他のクラスに椅子を探しに行った。しかし、休み時間だから、生徒は席にじっとしているわけではないから、廊下から覗いても使っていない席があるか分からなかった。国見久子は、席にじっと座っている女子生徒を見つけて、こんな妙な質問をしてみた。


「ねえ、ちょっと尋ねたいんだけど。このクラスに、使っていない机と椅子ある?」

 国見久子の意外な質問に、尋ねられた女子生徒は困惑した。どういう意味、と反対に女子生徒に聞き返された。彼女は事情を簡単に説明して、同じ質問を繰り返した。一応教室を見渡して、それから「よく分からないけど、無いと思うよ」と、その女子生徒は素っ気なく答えた。


 それはどの生徒に聞いても、返ってくる答えは、似たようなものだった。その中には、妙なこと言う生徒もいた。

「誰にも気づかれなかったら、その机と椅子持っていってもいいよ」

 そんな事不可能だ。だったら、駄目だと言うことなのだろう。


「教室には無いのかもしれないね」

 国見久子は同じ学年の全ての教室を調べて、がっかりした。どの教室にも、余っている机も椅子も一つも見つからなかった。大きい物だから、そう簡単に隠せる物ではなかった。

「教室じゃないのかな。生徒も多いし、もし運んだとしたら、教室だと目立つからね」

 沢田貴子の言うように、机と椅子を運んできたなら、誰かが見ていて不審に思うはずだ。

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