第25話

 言葉を選び、ぱくぱくと迷うように唇を開閉させてから、ヒオリはニールに訊ねる。


「その発案者が、ヴィクトル前所長なのね……」

「そうです。そしてその情報が今回持ち込まれたものなのです。私は彼とリリアン女史を調べるためにここに来ました」


 真剣な顔をしながらも、ニールの瞳には冷たさを感じる光が宿っている。

 彼は語りながら何を考えているのか、その案件について詳しいのか……?更なる疑問が溢れて来たが最後まで話を聞くために、ヒオリはニールを真っ直ぐに見つめていた。


 青年もまたじっとこちらを見据えて、酷く無感情な声で話し続ける。


「脳をいじるという意見はもちろん却下されました。人体実験は危険すぎる、非人道的すぎると反対が出ましてね」

「当たり前よ。そんな実験は聞いたことも無いもの。100%生還できる保証が無ければ、被験者も集まりにくいでしょうし」


 脳は現代の魔法医学をもってしても解明できない部分が多い、未知の器官である。

 病気でもないのにそこにメスを入れるのはリスクが高すぎるうえに、命を落としましたと結果が出たら謝罪では済まされない。


 倫理的観念から忌避する者も多いだろうと言うヒオリに、ニールは「ほとんどの研究員たちがそう言いました」と頷く。

 だがすぐに彼は眉をつり上げて、低く静かな声で語り続けた。


「しかしヴィクトル殿を始め一部の研究員たちは、どうしても結果が欲しかった。国から与えられた資金と時間にも限りはありましたからね」

「……実行した者がいたのね、その実験を」


 実験で望まない結果を導き出してしまった者、金や時間の問題で頭を悩ませた者が暴走する。

 悲しいことにそれはよくある話で、現代魔法研究会でも実験の捏造や博士たちの横領がニュースのトップになることもある。


 道を外れた彼らへの怒りと、抱えているままならない思いにちっと舌打った。こういう話を聞くのは同じ研究者として、いたたまれない。

 ニールはそんなヒオリを見つめながら、険しい顔のまま話し続ける。


「持ち込まれた情報によると、幾人かの研究員たちが秘密裏に集まり、魔術師の子孫を確保したらしいのです。彼らはその子に手術を施し成功させたと」

「……その子供と言うのがリリアン女史、と言うことね」


 ニールはヒオリの言葉に、「恐らくは」と頷くことで肯定した。


 ───手術の成功。それは幸運なことなのか、不幸なことなのか。

 先ほどの演劇を見ていても明らかだが、ヴィクトル前所長もリリアン女史も自分たちは幸運だと思っているのだろう。

 しかしリリアン女史の今の様子を見ていると、魔法は彼女には過ぎた力だったのではないだろうか。

 あの力を手にしてしまったからこそ、リリアンは自分が世界の中心だとさらに思い込んでしまったのでは?


 ヒステリックに叫ぶ彼女の表情を思い浮かべ、そこでふと気になったヒオリはニールに訊ねる。

 

「リリアン女史は魔法で何をしているのかしら。アロマ研究室でメルたちを眠らせて、協力してくれるように説得していると言っていたけど」


 この劇場のような『夢』は何を意味しているのか?とそれも気になって、改めてあたりを見回して観察する。

 誰もが想像する「大きな街の大きな劇場」と言うのはきっとこういう場所を言うのだろう、と言う感想を抱いていると、ニールは声を潜めて低く呟いた。


「……恐らく彼女の得意分野は、人心を操ることだと思いますよ」

「は?」

「そのために必要なのが人形を作ると言う行為なのでしょう。操りたい人物そっくりの人形を作ってこの劇場で演技をさせる。そうしたらそれが現実のものとなるのではと私は考えます」

「どういうこと?」


 思わず、問い返して彼を振り返る。

 見つめるニールの顔は真剣で、とても冗談を言っているようには見えず、だからこそ再び背筋が凍った。


 そして同時に納得もする。

 リリアンの言動と先日見た彼女とクロード所長、そしてヴェロニカ女史出演の演劇。

 さらに息子が婚約者以外の女性に執心しているのに止めないヴィクトル……全てを合わせて考えれば、その見解も間違いではないように思う。


 しかしそれでも恐怖と混乱はない交ぜになっていった。信じたくない気持ちで、ヒオリは呻きながら腕を組む。


「じゃあ、まさか玩具研究室の博士たちはリリアン女史の魔法に操られているってこと?クロード所長も?」

「ええ。おかしいと思いませんでしたか?確かにリリアン殿には独特の魅力がありますが、それだけであれだけの人間が惑わされるものでしょうか?」

「それは、そうね……」


 リリアンの『騎士(ナイト)』状態になっている彼らは、何処かおかしかった。

 盲目的になっているのだろうと侮っていたが、自分の見解の甘さに頭をかきむしりたくなる。あの時もっと疑問に思えば良かったのか。


 眉間に出来た深いしわを揉むように手を当て、ヒオリは目を閉じて唸る。

 暗い視界の中に、床に倒れ伏した同僚たちの姿がくっきりと浮かんだ。


「……薬品部門の人間も今彼女の術中に落ちようとしているってことなのかしら。まずいわね」

「彼らの様子を見に行きましょう。今ならまだ操られていないかもしれません」

「そうね……」


 頷きかけてその時ふと、ヒオリの中に不安が過る。

 同僚たちは恐らく今頃、この夢の何処かでリリアンの『演劇』に出演しているのだろう。

 しかし万が一彼らが魔法にかかり思考を操られていたら……何か打つ手はあるのか?


 考えを巡らせても答えは出ず、ヒオリは部屋を出るためにドアノブに手をかけようとしていたニールの名を呼ぼうとし……、硬直する。

 むせかえるような甘い植物の香りが、ぬるりと鼻孔の中に流れ込んだのだ。


§


 はっと大きく息を吸った後、ヒオリは開きかけたドアを凝視する。

 においの元は間違いなくあの向こうに佇んでいる。


 ざわりと血液が足元に移動する冷たい感触とともにニールを呼び止めようとして───ヒオリは粘っこく甘い女の声を聞いた。


「ニールさぁん……見つけたぁ……!」


 瞬間、ニールが顔を歪め、一歩退いた。

 警戒が強まる二人の視線の先……僅かに隙間が空いていただけだった扉が、ぎいぎぎいと軋むような音を立てて開いていく。


 甘い香りは吐き出しそうなほど強くなる。

 うっと口元をおおうヒオリが見守る中扉は開き、そこからまるでタコの足のように太く長い蔦が入り込んできた。


「リリアン、女史?」

「ひどい、ひどいわ、ニールさん。どうしてその女を守るの?わたしの方が正しいでしょう?わたしを守りたくなるでしょう?なのに、どうして?」


 呼びかけに答えたわけではなかろうが、怨念のこもった恨みがましい声が廊下から聞こえる。

 その間にも蔦は室内を浸食し始め、やがてひと際大きな葉と果実の塊が部屋の中にずるりと姿を現した。


 ───否、それは植物の一部ではない。


 暗がりの中でも異様さのわかるその大きな物体は白く、つるりとした皮膚がある。その表面を植物が覆っており……いや、皮膚から直接植物が生えているらしい。

 目を逸らすことも出来ずにまじまじと見てしまい、ヒオリの喉は「ひっ」と引きつった。


 その白い皮膚の持ち主は、やはりリリアン女史であった。


 先ほど温室の床に、壁に、天井にまで渡っていた奇妙な葉と果実。それを繋ぐ蔦は、リリアンの体、主に頭部から髪の毛のように生えていた。

 一糸まとわぬ姿であるが、生憎まったく煽情的には見えず、むしろ所々みどりがかってしまっている体に恐ろしさすら感じる。


 体の中心と頭部のみを残し、手足は幾重にも絡まった太い蔦に変化しており、それをうねうねと動かして前へ進んでいる。

 顔だけはくっきりと見えており、らんらんと輝く目はニールへと向けられていた。


「ニールさん、わたしと一緒に行きましょうよ。わたしを守ってよ、ヴェロニカさんが悪いの。助けて」

「いいえ、遠慮しておきますよ。私は貴女とヴィクトル殿には賛同出来ないのでね」


 きっぱり言い放つ青年に、植物の中の美しい顔が歪む。

 そしてぎょろりと目を光らせて、ニールの背後にいるヒオリを強く睨んだ。


「その女がいいのね。でも、もう遅いわ。貴方もわたしの物になるんだから」


 言うなりリリアンは自分の頭から生え壁を伝っている蔦を揺らす。がさがさと葉が鳴り実が震え、ヒオリとニールは彼女が何をしようとしているのか悟った。


「ニールさん!」


 ヒオリが呼びかけた時、青年はすでに『力の言葉』を口にしかけていた。


 「【φλόγαフロガ】」と動いた唇、しかしそれが音になる前に、彼の動きが引きつったように止まる。

 どうしたのか?と慌ててニールの顔を見上げるが、表情は苦悶に歪み、目が驚きに見開かれていた。


 嫌な予感がした。彼の名前を呼ぼうとした刹那、リリアンのもとで揺れていた実がぱくりと割れて、中から粘液にまみれた人形が床へ落下する。


「ニールさん、貴方も私の劇で踊ってね……」


 囁くように甘い声でリリアンが言ったのと、落下した人形が気味の悪い音とともに立ち上がったのは同時だった。

 それに惑わされるように、ぐらりとニールの体が揺れる。

 何とか耐えるように彼は床に膝をつき、しかしそれでも耐えきれなかったのか途中でがくりと肩の力が抜ける。


 慌てて彼の元へ駆け寄り傍らで覗き込むと、ニールは額に脂汗を浮かべて頭を抱え始めた。

 

「ニールさん!?」

「ひお、り、どの……!離れて、下さい!これは……!」

「ニールさん!しっかりして!どうしたの!?いったい何が……!?」


 呻くニールの肩に手を置き呼びかけるが、ついに彼はこちらに声をかけることも出来なくなってしまった。

 二人を嘲るように、くすくすと笑う愛らしい女性の声がして、ヒオリは振り返る。


 体中から植物の蔦を垂らして微笑むリリアンと……その隣に立つ小さな人形のシルエットに、思わず息を呑んだ。


 黒い髪の毛と深く青い海のように美しい目。褐色の肌に上等なスーツをまとわせているその人形は、紛れもなくヒオリの隣で苦しむ男と酷似した姿をしている。


「それは、ニールさんの、人形……?」

「ええ、先ほど完成したの。これでようやくニールさんにも協力してもらえるわ……」


 うっとりとした恍惚の表情で語ってリリアンは、その人形に手……蔦を何本も伸ばして、人形の体を絡め取る。

 まるでそれは、糸に吊るされて舞台に立つマリオネットのようだった。


 その瞬間ニールのうめき声が大きくなり、ヒオリははっと振り返る。

 同時に愉快そうに軽快そうにリリアンが笑い、叫ぶような甲高い声が部屋の中に響いた。


「さあ、ニールさん。わたしのために、その女に罰を下して!」


 ヒオリの視界の外でリリアンが操り人形の糸を引く。

 呻いていたニールの声がぴたりと止み、彼はゆっくりと立ち上がりヒオリを見据えた。


 その瞳には己を見ていた暖かさは一切消え去っていた。

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