第15話

 四角く切り取られたそれに写る家族は平和そのもので、ごくごく平凡に見える。

 一般家庭の肖像という題材で提出されても問題ない、そんな写真だ。


 だがリリアンの家庭環境を聞いていると、この『一般的』にどうにも違和感を覚えてしまうことが多かった。

 写真をじっくりと観察しその違和感を一つ一つ数えて、ヒオリは唸る。


「リリアン女史は家族に辛く当たられて姉妹間で差をつけられていたんですよね?この写真ではそうは見えませんが……」


 両親を後ろに、そして三姉妹を手前に写っている写真は『普通』過ぎた。


 それどころか真ん中に写っているリリアンと思わしき少女は、姉妹の中で最も華美な服を着て髪の毛も綺麗に結い上げられている。

 体格も他姉妹と変わらず、生活環境に問題があるとは思えない。


 もちろんたった一枚の写真で家族の何がわかるのかと言われれば、その通りだと頷かずを得ないが……。

 釈然としないものを感じながら、ヒオリは視線を写真からヴェロニカに転じる。


 彼女はちょっと困ったように眉をたれ下げながら、「そうなんですの」と唇をつり上げた。


「他にも彼女の家族写真を入手したんだけど、そのどれもリリアンさんの生活に不足があるようには見えなかったわ」

「写真が多く残っているという点でもご両親が彼女に関心がある照明ですもんね」

「ええ。だけどね、ご家族の近所に住む方々はリリアンさんが確かに虐げられていたと証言しているの」


 本人だけではなく、他人……しかも近所の住人が見ているのか、とヒオリは再び視線を写真に向ける。

 ということはやはりここには映らない場所で、姉妹格差をつけられていたということだろうか?


 首を傾げる己にヴェロニカはまた少し笑みを深めて、「でもねえ」と唇を開いた。


「少し奇妙なこともわかりましたの。リリアンさんの同級生に話を聞いたのだけど、彼女は酷く自分勝手で断罪癖がある娘だったらしいわ」

「断罪癖?」

「ええ。クラスでは気に入らない生徒を悪人だと決めつけて、酷く攻めたてるのですって。反論されると自分は被害者のように振舞うことが多かったらしいの。もちろん子供の演技だから見破られてはいたらしいけど、彼女を信じる人もいたらしいわ」

「……」


 その話に今のリリアンの姿が当てはまり、ヒオリはつい口を閉ざしてまじまじと写真を凝視してしまった。

 相変わらずどこにでもいる普遍的な家族がそこに写し出されている、平和そのものの一枚である。


 じっくりとそれを眺めていると、リリアンだけ綺麗なワンピースをまとっている理由がふと頭にひらめき、ヒオリはぽつりと口を開いた。


「近所の住民たちには自分が虐待されているように見せて、逆に家族に自分を優遇するように仕向けたんでしょうか?」


 幼少期の彼女も妖精のような魅力はそのまま、ずいぶん愛らしい。

 この少女が親や兄弟にいじめられているの、と悲し気な顔をすれば、正義感や下世話な好奇心も相まって真実だと思う者もいたかもしれない。


 叱ればさらにリリアンは泣くだろうし、困った両親は彼女を特別扱いせざるを得なくなる。

 両親も姉妹たちも、彼女が満足するだけの愛情と品物を与えていたとしたら……。


 ヒオリと同じ考えだったのだろうヴェロニカはこくりと頷いて、「その可能性はありますわね」と話し始めた。


「話をしてくれたクラスメイトは彼女をよく思っていなかったらしいから、偏見があったのかもしれないけれど。今のリリアンさんを見ると、ね」

「ご家族からは話を聞けなかったんですか?」


 当時のリリアンを一番よく知る人間に話を聞くのが手っ取り早いとは思うが、しかしヴェロニカは首を横に振った。


「彼女の家族はこの土地にいられなくなって、何処か遠くに引っ越してしまったらしいのよ。今の住居はわからないわ」

「よほど評判が悪くなってしまったんでしょうか。それはそれで心配ですね」


 リリアンと歳の近そうな二人の姉妹もいることだし、彼女らがそれから憂いのない人生を送れていることを願う。

 願う……が、ここまで聞かされた話が今回の聞き取りと何か関りがあるとは思えず、ヒオリは少しだけ眉間にしわを寄せてしまった。


「しかし、これだけではリリアンさんが信用に足らない人物だというだけで、温室の件とは……」

「あら、慌てないで。こちらを見てくださいな」


 言ってヴェロニカは再び端末を操作し、別の写真を画面に映し出す。

 どうやらそれは住宅街に建つ一般家屋のようだった。

 少々年期が入っているレンガ造りの建築物で、周りの庭には植物が生い茂っており、手入れがされているようには見えない。


 先ほどの家族写真以上に見せられた意図がわからず、ヒオリは首を傾げながら「何です?」と呟いた。 


「これは聞き込みをした時に撮って来たご自宅の写真なの。リリアンさんが一人で管理しているらしいけど……ここに見覚えのあるものが生えているでしょう」

「……ん?」


 画面の端、ヴェロニカが指さした場所を見つめると同じ植物が群生している一角が写し出されている。

 目を凝らして見つめると、その植物は深い緑色で葉の先端は黄色っぽいツル性植物であった。


§


 その植物の色合いと形は、見覚えがある。

 間違いなくつい最近温室でメルが発見したものだと察し、ヒオリは思わず声を上げる。


「これは、温室の植物と同じもの……?」

「ああ、やっぱり貴女もそう思う?どんなものだったのかメルさんに確認しに行ったのだけど、私の思い込みじゃあないみたいですわね」


 「困りましたわ」と悩まし気にため息をついたヴェロニカは、写真へと視線を向ける。

 口調とは裏腹に、その表情はあまり困っているようには見えなかった。それどころか凍てつく北風のような眼差しでリリアンの家を見ており、ヒオリはぞわりと背筋が冷える。


 獲物を狩る肉食獣か、家臣を見下す女王陛下か。この女性博士にはその威圧感がある。

 本能的な怖気を押し隠し、ヒオリは努めて冷静にヴェロニカへ言った。


「やはりリリアンさんが自宅で種をつけて来た可能性は高いですね。お手数ですがこちらの写真、送っていただけますか?」

「もちろんよ。何かのお役に立てるなら幸いですわ」


 瞳の温度を元に戻したヴェロニカに己のアドレスを教えると、彼女は端末を操作し始める。

 ほどなくしてヒオリの端末に件の写真が送られてくる。画面を開いて確認し、「確かに」と頷く。


「この画像は今後の調査に使わせていただきます。ヴェロニカさんのお名前は出さないようにしておきますので」

「ええ。お願いしますね。あの方に聞かれたらきっと厄介なことになりますから」


 『あの方』と言うのはリリアンかクロードか、どちらのことだろうか?

 確かに彼らはヴェロニカが自分たちの不利になりそうな証言を持ち込んだと知ったら、どんな暴走を起こすかわからない。


 ヒオリ自身もそんな面倒ごとは回避したいので、素直に「わかりました」と頷いた。


「情報提供ありがとうございました。他に何か気付いたことはありませんか?」

「いいえ、大丈夫よ。こちらこそ話を聞いてくれてありがとう」


 綺麗な笑みを浮かべるヴェロニカに、その後はボイスレコーダーを起動して形式的な聞き取りも行った。

 温室への入室目的と研究内容の確認、野外の外出頻度など、内容は差し当たりなく特筆するようなこともない。

 ヴェロニカへの調査は数分で終了した。


「それでは調査頑張ってくださいね。今回の件、早期の解決を願いますわ」


 優雅に微笑み赤毛の女性博士は椅子から立ち上がる。

 靴音を響かせて扉へ向かって歩いていく彼女だったが、ふと何かを思い出したように立ち止まり、肩越しに振り返った。


「ねえ、ヒオリさん。ニールさんは信用に値しますの?」


 赤い紅が引かれた唇がその男の名前を呼んだとき、ヒオリは思い切り眉を跳ね上げてしまう。

 怪訝な眼差しで彼女を見つめると、その目は何かをたくらむかのように光っていた。


「あの方が研究所に来た途端に温室に異変があったように感じませんこと?……偶然とは思えませんわ」

「それは……考えすぎでは?だいたい温室の植物がリリアンさん経由で持ち込まれた可能性を出したのは貴女でしょう」

「あら?あらゆる可能性を考えるのが研究者ではなくて?それにこの中途半端な時期に赴任されてくるなんて、妙だとは考えなかったのかしら?」


 確かにそれは一番初めに考えた。

 もしかしたらニールは何か問題を抱え───例えば以前勤めていた場所にいられなくなるような事件を起こし、この研究所にやってきたのではないか。とも想像した。


 だがそれらはあくまで己の『下世話』な想像に過ぎない。

 可能性として議論する必要もないと、ヒオリは首を横に振る。


「確かに彼には不自然なところもありますが、今回の件と関りがあるかという明確な証拠にはなりません」

「……ふふ。貴女はそう思うのね。でもそれは、個人的な感情で疑惑に目をつぶっているのではなくて?」

「どういう意味でしょう?」


 ヴェロニカの言いたいことは察していたが、あえて冷徹な表情を作り平坦に問い返す。

 彼女はしばらく肩越しに振り返ったままじっとヒオリを見据えていたが、やがてくすりと声をたてて笑った。


「いいえ、無礼だったわね。ごめんなさい。今言ったことは忘れてくださる?」

「……これもオフレコ、ということでよろしいですか?」

「ええ、そうね。そうして頂戴。では、ニールさんによろしくね」

「……」


 無言で返すヒオリから顔を背け、ヴェロニカは再び歩き出す。

 扉を開けて退出する際、ちらりと一度だけこちらに目を向けて微笑み……ぱたんと音を立てて扉を閉めた。


 彼女の気配が完全に扉の前から消えるまで、ヒオリはそのままじっと動かずにいた。

 頭の中に件の青年の顔がふわりと浮かび、慌ててかき消すように首を横に振る。


 ものすごく疲れた───。

 どっと襲ってきた倦怠感とともに、小さくため息をついて背もたれに体重を預けた。

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