凩(こがらし)

三毛猫

1 クラスメイト

 都内郊外にあるこの学園の学園祭が今年もまた一つ片付いて、中学校では退屈ともいうべき二学期中間テストの時期に近づいた。

 教室にはまだお化け屋敷や模擬店、クラブサークルのためにところどころへ移動していた机やら椅子が散々として置かれている。浅葱あさぎは後夜祭と称して催される内輪のお祭りを抜け出して、ひとり教室の隅で帰り支度をはじめていた。午後の明るい時間を過ぎようとしている。体育館に集まるクラスメイトたちと、話しながら唄いながらともに過ごす時間は、浅葱にとって耐え難い。一刻も早く家へ帰り、ここ二三日の苦痛とオサラバして、もとの退屈な日々に戻ってしまいたかった。

 学校にいて楽しいことはひとつもなかった。勉強のできる奴らは塾通いで、本当の実力で学校を楽しむことをしない。先生はできる生徒には微笑ましく話をするけれど、浅葱みたいに金のない家に生まれて、勉強もできずに先生の話もロクに理解できない連中は無視された。そういう奴らはクラスで目立たない――いわゆる大人しい生徒という――ことを演じるのに必死だった。バカをしたり目立ちたがりはすぐにはやしたてられてツルされた。そんな恥だけはかきたくない。この学校にいる生徒はそんなどうでもない人ばかりだった。面白みを求めている連中がいくら粋がってみたところで、学校を荒らしていくような下劣なことしかできない。だから浅葱は、なにをするのも面倒で、できるだけみんなと一緒にいることを避けていた。

 カバンに学習道具一式をしまって、それを肩に担ぐとそのまま扉の前まで行き、のそのそと教室の扉を開けて出た。が、思わぬ人がそこにいて、浅葱は立ち止まった。目の前にはクセ髪の体格の良い青年がひとり、学ランに雪駄という奇妙なかっこうで、机の天板を重ねたまま、二脚一緒に持ち上げて立っていた。

「あの、これ。そっちのクラスの机……」

 そう言って浅葱を見た彼は瞳をおおきくパチパチさせ、驚いた表情を浮かべた。

 浅葱がはなだあおいと知り合ったのは学園祭の中日に当たる店番もないし、こんな外の学校の生徒も来ないようなくだらない祭りの自由時間だった。女生徒たちと楽しそうに会話するクラスメイトたちから離れて、水飲み場近くのピロティに出た。ほこり臭い校舎から出て晩秋の少し寒くなった風を吸いこむのはこのごろの浅葱の日課だった。クラスメイトであるウツボシがそれを見つけてはやし立てた。

「なにカッコつけてんの?」

 浅葱は少しムッとして、それから何とも言えない恥ずかしさを感じた。それはウツボシの後ろにもうひとり、浅葱の知らない生徒がニタニタと視線を向けて笑いかけてくるからだった。ウツボシみたいなテイの知れた輩はひとつ睨めばどうにでも気がおさまるけれど、そんな姿を他の人に見せるのはどこか恥ずべきことだった。

「バカみたいだな」

 ウツボシはそれだけ言ってすぐにどこかへ行ってしまったが、ニタニタと馴れ馴れしい彼は気安い面持ちで浅葱に寄って、話しかけてきた。


「なにしてるの?」

 彼があまりのも陽気であったので、浅葱は視線を逸らした。

 彼は柵に手をおいて寄りかかったまま話し続けた。浅葱を見ながら何でもわかっているとでもいうような口調で語るその話し方は、浅葱と同様、学校のクラスメイト達に慣れないこと、授業がつまらないこと、学園祭よりもピロティで暇を持て余している方が面白いということなどだった。彼は片手にテニスボールを持っていた。クラスの店番をスッポかして数時間ボールを投げ合いながら、好きな音楽や映画の話をした。疲れてボールを持つのも嫌になれば、ふたりとも柵に寄りかかって、あの先生はどうとか、あのクラスメイトはあれだとか話し、お互いに普段の鬱憤を晴らすのだった。浅葱は学校の中で同じ思いを抱いている人がいたことに喜びを感じ、縹も「そうか!」「ホントか!」などと驚き叫びながら同じことを思っていたと話した。


 浅葱は扉の前に立った縹を大げさな身振りで迎え、教室に招いた。机はそこらに適当に置いたままにして、昨日話題に出た音楽のCDを手渡した。

「これ、オレ持ってる」

 彼は収録されている楽曲の一覧を見てからそう言うと、自分の家の本棚には沢山のCDや映画ビデオがあること、自分の部屋がしっかりとあって、テレビも独占したひとつのものがあり、CDプレイヤーも置いてあると話した。そして浅葱はそれを羨ましくも思い、憧れもした。

「今度、家へ行ってもいいか?」そう訊くと〝今度〟と言って一応は返事をした。やはりまだ一度や二度しか話したことのない人間を家に招くのはどうなのか、わからないという感じで、彼は苦い顔をしていた。

 しかし浅葱は少しばかり縹を不審に思っていた。縹はピロティで話したこととは違い、多くの友人がいるようだった。彼は学校の授業からぬけ出してはその友人たちと校舎内にある更衣室やトイレに隠れて遊び、ガラス窓や扉を破り、非常階段で煙草を吸っているような不良だった。普段の浅葱であるならば、そんなことをしている輩を相手にもしないのだが、縹の話を聞いた彼は、ワルをする彼をどうしてだろうと考えていた。浅葱の中では彼のしていることが不良の真似事ではないかと思えた。それは少しばかり彼に気を許していたからともいえる。というのもどこまでが彼の本音になるのかは浅葱にはわからなかった。別段浅葱が考えている彼についての理解はピロティでの数時間にわたる会話の中でのことだった。その話の意に反して彼が不良仲間から手を引かない理由も良く分からなかった。しかしピロティで彼から聞くその仲間の印象は、彼自身の言葉から受け取っても良い関係ではないと断言するほどのものだった。――そして彼は早く手を切りたいとも話していた。


 ⁂


 テスト週間に入り、クラブ活動が全面禁止になったころ、縹とその仲間たちが縹の家に行く相談をしていた。浅葱はその話を聞きつけて、僕も連れて行けと言った。しかし彼は「事前に言ってくれ」と言い、浅葱が同行することを拒んだ。それは彼の仲間たちと浅葱を引き合わせたくないという彼自身の思惑にあったようだ。しかし真意の彼は不良仲間たちとの間にあって、縹にとっての浅葱は、彼の悪戯な感情の行き場にあるのではないだろうかというような疑念に彼はかられていた。縹の不良行為が本当に楽しくてやっているのであれば、彼が仲間たちの悪態をつくことはないはずだった。浅葱は彼自身の本当の心境を理解する術を持っていないことを感じていた。

「そしたら明日はどうだ?」

 突然の浅葱の申し出に縹はひどく躊躇したが、ここまで言われてしまうと仕方ないように思ったみたいで、軽くうんともいやともわからない表情のまま頷いたのだった。それはこの時の浅葱にとって、何の回答にもならない反応であった。


 翌日、テストが迫っていることもあり、教師の話も非常な焦りを見せるようになっていた。彼らはまるで怒りをぶつけるように浅葱たちに話していた。彼らかすればその講義は迷惑にしか思えなかった。声には怒気も感じられるようになり、まじめな生徒たちはそれに応えようと顔尾を赤くして一生懸命ノートを写しているようだった。しかしそうしたクラスメイトの焦りをよそに、浅葱自身は縹の人間性について思うことばかりで、授業はウワの空だった。

 休み時間、珍しく縹の方からやってきて、今日のことを話した。

「親がいるけど、大丈夫だ」

 浅葱は親という言葉にすこし体をこわばらせた。それは人の家に行くのだから親がいて当然なのだが、彼の言い方には何か得体の知れない動物を見せつけられたような嫌な気分のするものがあった。浅葱は縹に対するひとつの不信のほかに、それを解明する以上の恐怖心を彼に持たなければならなくなった。

 放課後、縹のところを訪ねた。一つの不信感を覚えて、声をかけられず立ちすくんでいると、彼は浅葱に気づいたらしくどうしたんだと言った。それに少し笑い返して緊張も何やら遠退いたが、不信感があるのはどうも仕方なかった。

 彼の家は学校から10分もしないところにあって、あまりの近さに複雑な気になってきた。浅葱には彼の家へ着く前に、彼自身が口にした親について訊くことにした。

 縹は浅葱の質問に対して、戸惑いながらも数年前から祖母の家に下宿して学校に通っているのだといった。両親は彼が幼いころに別れて、父親に引き取られたのだが、父親は仕事で転勤を繰り返しているので、それでは彼自身が不憫だろうということになり、祖母の住まうこの街に10歳のころから暮らしているのだともいった。

その話を聞いて浅葱は、なんだか今まで縹に対して、無理に迫って近づこうとするやり方をしていたのだと思い情けなくなった。しかしそれで何度か謝ったりすると縹は〝いいンだ、いいンだ〟と変に励ますように返事をした。浅葱の心境はそれでいっそう複雑になった。しかも今日その家にいるのは母親の方だというのだ。「せっかくじゃないか」と、浅葱が少し遠慮しはじめると、今度は表情も変えずに〝僕らのような年齢は、親に反抗するものさ〟とマセたようなことを彼は言った。しかし浅葱はその台詞に驚くというよりは可笑しくなって笑った。それから彼にそれ以上親の話をするのはよすことにした。何ら浅葱自身、まだ彼のことをよく知りもしないのだから――。そして彼はそれからしばらく黙ったままであったし、浅葱もそれ以上何を話すべきなのかも分からなかった。



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