語り手は主人公

るんAA

執筆1日目

 

 たしかに今日は暑い日だった。

 けれど、こめかみを滲ませていた汗は、確実に冷や汗へと変わっていった。

 目はあまりよくないほうだが、視線が交わったことはなんとなく、わかった。

 彼女は小ぶりに手を振りながら近寄ってくる。

「久しぶり」

 遠くからでも一目で気づいたよ。

「私のこと、誰かわかる?」

 わからないはずがない。君の面影をいつも探していたのだから。

「いま、なにしてるの」

 県外の大学に通ってるよ。前にも話したよね。

「……背、伸びたね」

 そうだね。君を見下ろすくらいには伸びた。


 僕と彼女の空間だけが、息をしていなかった。

「……ピアス」

 やっとの思いで出した言葉にも迷いが生まれる。

「……?」

「は……二十歳になったからピアスとか付けたんだ」

 僕が思うより、君の様が大胆だったから。

「うん。まあ、怖くて穴はあけられないんだけどね。冬にはあける予定」

 彼女は、はめる形のピアスをわざわざ取ってみせてくれた。

 黄金色で目立つ、大きい装飾だと思った。

「そっか」

「祐樹も着ければ?」

「いやいや! 僕はそういんじゃないし……」

「ふふふ。なにそれ」

 不意に取ってしまった両手を左右に震わせる素振りを眼前の彼女は、微笑みながら真似してみせる。

「あはは……」

 そういえば昔はよくからかわれたよね。

「あのさ、昔は――」

「それじゃあ、そろそろ私……」

 チラリと出入り口に目を向けた。

 待ち人がいるみたいだ。

「……なにか言った?」

「いや、なんでも。わざわざありがとね」

 すんなりと言葉が出た。

「こちらこそ」

 買い物をする様子もない。本当に僕と会話しに来ただけらしかった。

「じゃあね」

「うん。またね」

 すると彼女はまた、今度は真っ向から手を振った。

 それにつられて、僕も恥ずかしげもなく手を振った。

 出入り口で待ち人と合流したことを後ろ姿で目視する。

 彼女はこちらに振り返ると、最後にもう一度、今度は大きく手を振った。

 僕も振り返した。

 微かな苛立ちを覚えながらも、手を振りつづけた。

「……今度、会えるのは成人式か」

 それからはどうしようもなく、使いどころのない嬉しさを胸に仕事に勤しんだ。

 とめどなく溢れ出る、計り知れないほどの嬉しさを胸に――。


『久しぶりだった?』

 そうだな。服装を確認できなかったのが残念で仕方ない。

『あの約束ぶり、だったね』

 ……そうだな。

『顔ばっかり見てたね。他の客のときはバストとヒップしか見ないのに』

 卑猥な言い方で構わない。僕はおっぱいとお尻しか見てないから。

『ああ、そう……』

 けど、本当に後悔はしてるんだ。

『彼女は特別?』

 特別だよ。一生、記憶に残り続ける。

『そう。なら、逢えてよかったね』

 そう……だね。




 昔は、友達と遊ぶのが好きだった。

 夕陽を浴びながら、小汚い駐車場のアスファルトの上でカードゲームをしたり、

 親に内緒で勝手に家に連れ込んでみんなで最新のゲームをしたり、

 思い返せば、そこそこに楽しかった。

 昔から、人見知りが抜けなかった。

 近所付き合いにおける軽い挨拶程度であれば『だれでもこなしていること』として捉えることができ、難なく愛想よく振舞うこともできた。

 が、初めて会話を交わす人に対してはめっぽう、対応力に欠けていた。

 回数を重ねていけばそこそこ話せるようになる。そう理解していても、相手から行動してくれないと、何もできなかった。

「おまえ、本当に話せなくなるのな」

 小学一年生から付き合いのある腐れ縁の友人にもよくそう言われていた。

「うるせえよ」

 いつものノリでそう返すけど内心、悩んでいたり……いなかったり。

 あくまで、彼女はその中の一人というだけだった。

「となり、よろしくね。挙動不審くん」

 隣りに座った少女は、ごく自然に真っ先に僕に声を掛けた。

 異性、転校生、幼げを少し含んだ整った顔立ち……終いには隣り合わせで密着する机の上で、女生徒は握手を求めてきた。

「えっ……えっと、よろしく……」

「うん。よろしく」

 春の訪れを感じるには十分な条件が揃った、齢十一歳の四月。

 作中の主人公である末吉祐樹にとって、天口糸里の第一印象は、

『距離の縮め方が異様に早い、僕にとって苦手なタイプの人間』だった。


     * * *


「あ」

 思わず声が漏れた。

 筆箱を取りに教室に戻ると、そこには机に小さく収まった一つの影。

 影はこちらに視線を一瞥浴びせると、即座に目線を戻した。

 不審な眼差しを送ったつもりなのに、『転校生』が動じることはなかった。

 僕には関係のないことだ。構う必要はない。

 急ぎ足で廊下に足を踏み入れると、ちょうど授業開始を告げるチャイムが校内に鳴り響いた。

「あ、天口さん……」

「……どうかしたの?」

 突然踵を返した僕を不審に思っているらしい。どうかしたはこっちの台詞だ。

「いや、その……次、移動教室だから、教室にいても意味ないよ」

「そう。でも、先生は昨日、教室でやるからって……」

「黒板見てないの? 今日は実験するから理科室だって」

「黒板……?」

「ほら、うしろ」

「……知らなかった」

 女生徒は背後を向くと、しばらく唖然としていた。

 図太いのか、抜けているのか……握手を求められたときの印象とはまるで違って見えた。

「誰もいないのによくずっと待ってたね。おかしいと思わなかったの?」

「私が戻ってきたときには、誰もいなかったから」

「着替えるのが遅かった?」

「スクール水着、レンタルしてたから」

「職員室に返しに行ってたのか」

 加えて、前授業である水泳はいつも時間が押し気味だ。

 着替える時間を合わせたら、不慣れな転校生が遅れるのも無理はないか……。

「……ってこんな呑気に話してる暇ないんだった。先に行くからね」

「ちょっとまって」

「ど、ど、どうしたの?」

「理科室ってどこ?」

 今年は猛暑が予想される夏草茂始めの六月中旬。

 天口糸里は、転校して二ヶ月経った現在いまでも、学校生活に馴染んでいない『転校生』のままだった。


 授業が終わると、糸里はすぐさまこちらに駆け寄ってきた。

「どうしてとなりに居なかったの?」

 不服そう……ではなく純粋な質問として訊いてくる。

「教室以外の授業はだいたい名簿順だよ」

「そうだったの……?」

 まるで、移動教室が初めてみたいに言うな……。って、実際に初めてか。

「そうだったでしょ。あんたがどこに座ってたのかは知らないけど」

 それは言い過ぎたが、視界の隅に入れるくらいはしていた。

「今日やったところって、テストに出る?」

 理科室を出ると、多方からの視線が余計に痛く感じた。

 ただでさえ、授業に遅れると目立つというのに……二人なら尚更だ。

「出るらしいよ。まあ、直前に勉強すれば大丈夫でしょ」

「それは確実性に欠けないかな。それこそ、画竜点睛を欠いている」

「……なんだって? 難しい言葉じゃなくて、もっとわかりやすい言葉を使ってよ」

「前日にする勉強は、あくまで最後の仕上げであるべきだと私は思うんだ」

「つまり、一夜漬けはおすすめできないと」

 糸里が横目に祐樹を捉えると、

「確実性に欠けると私は思う、かな……。いや、個人の意見……だけど……」

 引っ込むように、自身ありげな声量は次第に小さくなっていった。

 廊下で歩きながら会話しているだけというのに、妙に注目されている現状に今更ながら気づいたのだろう。

「そっかー。でも、面倒なんだよなぁ……」

 透かす程度の反応を示しておく。そんな正論、誰でも知ってることだ。

 そして、

「まあ、僕は僕なりに努力してみるよ」

 当たり障りのない断り方で会話を終わらせようと図る。これ以上、変に目立つのはお互いメリットがないはずだ。

「あ……その」

 糸里はどこか言いづらそうにして、目線を横にずらす。

「どうかした?」

「いや……その、もしよかったらでいいんだけど……」

 妙に勿体ぶるな……

 そう思っていると、ふと昨日のテレビからデジャヴが蘇る。

 しまった。こういう場合、転校生と友達になるのがベタな展開だよな……

「ノート、見せてあげようか?」

 まんまと斜め上の煽りをされた。




「最近はどうなの?」

「……どうって?」

 その後はたしか、友達を作れと助言をしたはずだが……。

「みーちゃん。そろそろ一年経つよね?」

「……逆に聞くが、友達である浅田はなにか聞いてないか?」

 違う話だったらしい。

「私は知らなーい」

「帰るバスも方向も同じなのに、俺のことについて何も聞いてないのか?」

「……その聞き方、癪に障る」

 浅田は機嫌が良いとはとても言えない声色で冷たく言い放つ。

「で、どうなんだ?」

「……っ聞いてないし、話してもない! あんたのこと嫌いって言ってたから‼」

 浅田は言葉一つで声を荒げ、席を立った。これだから単細胞女は困る。

「前も言った通り、俺は受験で忙しいんだ。ごめんな」

「そればっかり……」

 浅田は舌打ちすると、窓の方へそっぽを向いてしまった。

『いい奴』ってのは損するもんだな。


 中学に上がり、その三年もあっという間に終わりを迎えようとしていた肌寒い季節のころ、短所であった人見知りは克服できていた。

 その半分というのも、大多数の男子とはどうにも反りが合わず、弄られキャラで定着してしまったことから発生した必然的、および偶然的に女子の方が交友関係を多く持つようになった経緯があったからである。

 つまるところ、末吉祐樹のなかでは『女友達』というのが主流になっていた。

 異性に対して抵抗があったわけではないが、彼女がきっかけとなり、それに似た何かを植え付けられたのは間違いないだろう。

「また、はぐらかしたんだって?」

 そして、そんな君はいつもどおり、気さくに話しかけてきた。

「いともグルか」

「グルもなにも……祐樹がをしていることには違いないでしょ?」

 悪は罰せよ。どこかのアニメでそんな台詞聞いた気がしたな。

「親にケータイを没収されたんだ。仕方ないだろ」

「学校で話せばいい」

「それは……そうだけど」

 なんとあっけない。

 言葉を詰まらせた自分が証明したように、既に非を認めざるを得ない状況に陥っているのかもしれない。

「半年前までは廊下のど真ん中でお姫様抱っこをするくらい、ラブラブだったよね」

「あれは罰ゲームでやらされただけで……」

「授業中、互いの恥部を触り合ってたのに?」

「…………」

 どこからその情報を……はともかく、追い打ちをかけるように過去の日々が正気の沙汰じゃないことを単語の一文字一文字が表していた。

「彼女さんのなにが気に入らないのさ」

 そう。説明し忘れていたが、俺には彼女がいた。共通の話題で盛り上がることができる、はにかんだ笑顔が素敵で明るい彼女。

 いつでもどこでも見せる彼女の満開な笑顔は、人を幸せにすることができる。

「なにも気に入らなくないよ。ただ、俺の都合が合わないだけ」

 そんなありもしない理想に酔っていたのかもしれない。

 実際、浅田と関係が悪くなったのは、その『彼女』のせいだった。友達想いもいいことだが、想いが強すぎると少々冷める。

「最近、塾に通い始めたんだっけ? ご苦労なことだね」

「推薦で余裕ぶってるやつに言われるとイライラが凄いなこれ」

「勉強しない方が悪いんだよーだ。私は祐樹が遊び呆けてた一年生からずっと真面目だったんだから」

 そう言われてみれば、小学生の頃と比べると、一年生のときはあまり会話をしなかったような気もする。

「昔は、授業中によく起こしてもらってたな」

「それはいまでも」

「バレたか」

 予想通りの返しに頬がほんの少し緩む。

 消しゴムを頭に投げたり、二の腕をつねったりと、起こすにしてもやり方はどうにかしてほしいものだが。

「でも、俺がいとに校舎を案内してなかったらずっとぼっちだったんじゃないか?」

「そんなこと……ある、かも」

「いや、ないだろ」

 あれは偶然でしかなく、俺である必然性はない。

「それと宿題もよく手伝ってもらってたよなー」

「夏休みの宿題ね」

 ましてや、あの天口糸里だ。

「あー。そういえば手伝ってもらってたかも……」

「かもじゃない、ちゃんと手伝いましたー。まあ、あれはだね。私は祐樹と違って、昔からだからね」

 友達も交友関係も勉強もすべてが出来すぎている完璧優等生。

 糸里はここらへんでは有名な進学校への入学が早々に決まっていた。

 だから、だろう。

「今日さ、どこか寄ってかない? あ、祐樹んち久しぶりに行きたいなー」

 血眼になって毎日勉強している受験生をわざわざ呼び出してまで、こんなふざけたことがほざけるのは。


「久しぶりもなにも、行ったこと……ないんじゃないか?」

 溢れ出るフラストレーションは、言葉にも混ざりそうになった。

「あれ、そうだっけ。あ、昔は恥ずかしがってあんまり話してくれなかったもんね」

 最低限の言葉だけをその場に残し、扉に手をかける。

「そんなこともあったかもな。それじゃ、俺はもう行くよ」

 外はもう暗くなり始めていた。

「ちょっと待ってよ。もう少し……」

 今回ばかりは、置いていく。

 そんな意志も彼女の制止の一声ですべてが裏返る。

「……ねえ、祐樹」

 背後から近づいてくる声に、俺は、一度だけ振り返った。


     * * *


 気怠げに下駄箱を開け、取り出した靴を地面に放り投げる。

 外は暗い空模様。ちょうど雨が降り始めていたから傘を探した。けれど持ってきた傘は、既に誰かの肩を濡らさなかったらしい。

 こんな時期に大量の雨粒にあてられたら、体調を崩すのが目に見えている。

 体調管理は基本だ。雨宿りするしかないか……

「傘、入りますか?」

「……ああ」

 傘地蔵が恩を返しにでも来たのか。とにもかくにも、二つ返事で都合のいい女生徒の傘に相席させてもらった。

 女生徒は「家まで送るね」と自分の口にしていない要望に快く従ってくれた。

 道のりの間、他愛もない会話をいくつかしたはずだが、どれも相槌を打つ程度しか反応できなかった。

 どうして、だろう。

「ここ、だよね」

 本当に家まで送ってくれた。学校から十五分もかかるのに。

「ありがとう」

 そう返すと、心優しい女生徒はそれに反応して、なにかを呟いた。

 離れて数秒。道路一つの距離でもう一度、耳を傾けるけど、二度目に発した言葉も、雨音ですっかり掻き消されてしまっていた。

 それがどんな言葉か、何を伝えたかったのか、到底予想はつかない。

 脳裏にはいつまでも、天口糸里の言葉が残り続けた。






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