第22話 異変

 計画の正しさが証明されたのは数日後のことだった。夜、房を抜け出したヴァンは食堂すぐ近くの路地にいた。活気のある鉱山内の昼とは違い、物音一つしない。

 約束を交わしたにもかかわらず、看守はなかなか姿を現さなかった。しかし、ヴァンは慌てることはしない。必ず、奴はやって来る。自分の見込みに自信があった。

 微かな足音がして、ヴァンは目を細める。暗闇を動く人影がこちらに向かってきた。洞窟内に吊された灯りが人影を露わにする。

 看守だ。性格を表したような規則正しい歩調で、ヴァンに近づく。

 やはり、俺は正しかった。ヴァンはほくそ笑んだ。

 看守は警戒心を解かないまま、黙って服の内側に手を入れ、鍵をヴァンに差し出した。

「一度きりだぞ」

「分かってる」

 看守の言葉にヴァンは短く返した。一度で充分だ。その一度で鉱石を保管している場所を探し出し、盗み、持ち帰る。鉱石が機能するかは分からないが、まずは手に入れることが先決だ。活かし方を考えるのは手に入ってからでも遅くない。看守の疑念の眼差しを受けながら、ヴァンはそんなことを考えていた。

 そのときだった。

「こんなことだと思ったぜ」

 耳障りな声が聞こえ、看守は鍵を持った手を引っ込める。ヴァンが看守の向こうを見やると、別の看守がいた。灯りを携え、ヴァンたちの顔をよく見るために頭上に掲げている。

 見覚えがあった。広場でヴァンと男の喧嘩を傍観していた看守。チーノに似た看守が、今ゆったりと余裕のある足取りでこちらに近づいてきた。

 謀られた、と思った。だが、協力者の看守の様子がおかしい。「カイゴ……」と、呻くような声を呟いたかと思ったら、狼狽えながら後じさりする。

 暗がりのなかから、カイゴと呼ばれた看守の笑みが零れた。「着けてきたんだ。どうも様子がおかしいからな。お前、この囚人の協力者なんだろう」低い声でいった。

「違う。俺はただ……」

 すると、カイゴは「嘘つけ」と笑った。「おいおい、よしてくれよ。惚けても無駄だぜ。お前が懐から出した鍵を、コイツに渡そうとするのを俺はしっかり見ていたんだ」

 協力者の看守が項垂れる。「脅されてたんだ……俺は……協力する気はなかったんだ! 信じてくれ」

「よくいうぜ」と、カイゴは訝しむ。「お前、コイツがクズとやり合ってるとき止めたよな。俺はよーく覚えてるぜ。あのときからお前はおかしかった。クズどもの喧嘩なんていつものことじゃねえか。なのにお前ときたら哀れんで助けてやがる。ピンと来たね、怪しいってな。お前を着けてきて正解だったぜ」

 看守はその場にへたり込んだ。もはや弁解の余地などないと諦めているようだった。

「さて、用は済んだ。俺は戻るとするかな。バルザイ様に報告しないと」

 嬉々とした口ぶりで話すカイゴは、ヴァンたちに背を向け歩き出した。

 ヴァンは呆然とその背中を見つめる。マズい。何とかしないと……。鍵を手に入れたのだ。このまま看守を行かせたら、計画が水の泡……いや、それよりもっと酷い。待ち受けるのは死あるのみ。チーノの悲惨な死に方は忘れようにも忘れられない。

 俺は絶対にコイツを止めなければならない――。

 ヴァンは看守の前に立ちはだかった。

「何だ」看守はいった。

「待ってくれ。話し合おう」

「あ!? 囚人が気安く話しかけてんじゃねえよ!!」

 ヴァンは洞窟の壁に叩きつけられた。強い背中の痛みに息ができない。だが、ヴァンは立ち上がる。

「……俺たちは協力できる。俺をここから逃がしてくれ。そしたらアンタにも見返りが……ぐはっ」

 最後までいえなかった。ヴァンは思い切り、腹を蹴り飛ばされる。「見返りだって? 笑わせるなよ。お前ら囚人にどんな約束ができるっていうんだ」蹲ったヴァンの頭に、カイゴは足を乗せた。「俺は看守、お前は囚人。分かるか? この違いを。お前らは使われる側なんだよ! 天と地ほど立場が違うんだ。そんな地の底にいるお前らが俺らに約束できることって何だよ。一日休まずに働いて稼いだクズ金か? 冗談きついぜ。そんないい加減なことをいうから、移民はみんな虐げられて当然なんだ。お前らみんな死ねばいいんだよ!!」

 その言葉を聞いたヴァンは制御が効かなかった。ヴァンは勢いよく起き上がり、カイゴに飛びかかった。カイゴは大きな音を立て倒れ込んだ。

 カイゴの顔を、ヴァンは殴った。痛みが残り、不快な感触が広がる。けれども冷静になろうとしても、頭のなかに消えない炎があるようで、抑えきれない。サリュのこと、両親のこと、故郷のこと、あらゆることがヴァンの頭で弾け飛び、めちゃめちゃになっていた。

 カイゴは足をジタバタとさせ抵抗していたが、ヴァンは殴るのをやめない。それからのことは覚えていなかった。一瞬かもしれないし、もっとずっと長い時間だったのかもしれない。飛び散る血、耳障りな音。やがてカイゴは動かなくなり、最後の記憶は協力者の看守が自分の手を持っているところで止まった。

「やめろ! やめるんだ」

 はっとして、ヴァンは手を止める。看守がヴァンを乱暴に引き剥がす。すでにカイゴは動かなくなっていた。看守はカイゴの脇に屈み、顔を近づける。

 その傍らでヴァンは息を整えた。どうしてこうなったか分からなかった。ヴァンは壁に寄りかかり、尻餅をついた。カイゴはバルザイに密告しようとしていた。俺は止めようとしただけだ。なのに、カイゴは地面に倒れ頭から血を流している。

「もう死んでる」看守は力なくいった。「最初に押し倒したときの一撃が致命傷になったんだろう……」

 死んでる……だって? ヴァンは立ちすくむ。冗談であってほしかった。しかし、カイゴはだらしなく頭を横にして一向に動く気配はない。横たわったカイゴを見て、取り返しのつかない事態になったことを理解した。

「そんなつもりはなかったんだ」ヴァンは狼狽えた。「俺はただコイツを止めようとして――」それから、ヴァンはカイゴの胸元を見る。銀色のペンダントがちらと覗いている。「そうだ。あと、この鉱石があれば……」

 そうしてペンダントを開いたヴァンは絶句した。ペンダントのなかに鉱石はなかった。代わりに入っていたのは小さな絵。ヴァンはその絵に描かれている木をよく知っていた。自分の故郷に生えている大木だった。特徴的な枝の曲がり方を利用して、町の子供たちはブランコにしていた。

 ヴァンは一つの可能性に思い至った。屍になったカイゴのそばに跪き、恐る恐るカイゴの服をまくった。

 そのときのことを、ヴァンは一生忘れることができないだろう。思わず叫びそうになって、口に手を当てる。服に隠れたカイゴの肌には、ヴァンと同じ町のタトゥーが刻みこまれていた。「何だよ……これ」ヴァンは看守の顔を見た。「どういうことだよ」

「見たまんまだ」看守はいった。「カイゴはお前の同胞だ。それ以上でも以下でもない」

 ヴァンは声を荒らげる。「それじゃ分かんねえよ! 俺の同胞だって? 信じられるかよ」

「信じなくてもいい。だが、これが真実だ。この鉱山の、決して表になってはいけない秘密だ」

「嘘だ……」

 ヴァンは静かに呟いた。

 人を殺しただけではない。その殺した人物が故郷の同胞だったなんて。信じられなかったし、信じたくなかった。そんなとき、向こう側から灯りが近づいてきた。見回りの看守に違いなかった。しかし、ヴァンにもう立ち上がる気力はなかった。もう捕まってもよい、そう思ってしまった。

「おい、行くぞ」そんなヴァンを無理やり立たせたのは、看守だった。「早くしろ。逃げるんだ」

 ヴァンは引きずられるように歩き出し、やがて走り出した。

 灯りがだんだんと集まっていき、ヴァンたちのいた場所が慌ただしくなってくる。カイゴの死体が見つかったのだ。きっと、これから犯人捜しが始まる。だが、ヴァンには今後のことなど何も考えられなかった。

 激しい声や足音の数々。その度に洞窟の隙間に体をねじ込みながら、ヴァンは看守とともに進んでいく。看守は洞窟内の構造を熟知していた。ヴァンにとっては初めて通る道ばかりだった。彼がいなかったらヴァンはとうに捕まっていたはずだった。

 どうして、そこまで助けてくれるんだ。俺はコイツを利用したというのに……。

 看守の横顔からは感情を読み取ることはできなかった。

 看守が足を止めた。「ここから道なりにいけば房に戻れる」

「アンタはどうするんだ」

「俺は持ち場に戻る。これだけの騒ぎになってるんだ。人員を集めて状況を調べているところに、俺がいないのは不自然だろう」

「でも……もしバレていたらどうするんだ。囚人を匿ったと知れたらアンタは……」

「ああ。バルザイ様に処理されるだろうな。だが、お前と行動したとしてどのみち変わらない。死ぬのが少し遅れるだけだ」

 ヴァンは黙って看守の乾いた笑みを見ていた。カイゴを殴って殺してしまった上に、看守まで巻きこんでしまった。看守は自分たち囚人に辛く当たるから、どうなってもいいと思っていた。しかし、茫然自失のヴァンを助けてくれたのは他ならぬ看守なのだ。何もかも浅はかな考えであると、ヴァンは自分を恥じた。けれど、そのことを告げる前に、すでに看守は自らの持ち場に向かうため暗闇のなかを駆けていくあとだった。

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