第15話 黒衣
「わ、ちょっと――。これから説明しますから、落ち着いてください」フロイは慌てていう。「まずはヴァンさんを見つけたところから話しましょうか。僕たちは――」
そういって、フロイは遠慮がちに話し始めた。フロイの話を要約するとこうだ。労働を終え、いつものように房に帰る途中、歩いていていると後ろから妙な音がした。しかし、振り返っても人の気配はない。空耳かと思いきや、同じ音が再び鳴るではないか。不思議に思ったフロイは音の出所に近づく。
「棄民の方がいたんです」フロイは驚いた場面を再現するようにいった。
「棄民?」
「えーと」とフロイは頭上を見上げ、「ヴァンさんの房に行くまでのところに、小屋がありませんでしたか? そこに大勢の人が収容されていたはずです。働けなくて捨てられた移民。その人たちをみんなそう呼ぶんです」
「ああ」ヴァンは神妙な顔で頷く。「彼らか」
ヴァンがわずかな食料を渡した移民。その彼らが助けてくれたというのか。
「本当は棄民っていう呼び方も好きじゃないんですが……とにかく、その方たちが僕を呼んでいたんです。おーい、おーいって。訛っていたから最初まったく分かりませんでした。それで何だろうと思って近づいていくと、そこにヴァンさんが」
「ヴァンだ。ヴァンでいい」
「でしたら僕もフロイで。とにかくそこに倒れてたんです。血だらけで……それはもうひどい状態でした。棄民の方に事情を聞くと、自分たちも見たわけではないが争い声が聞こえたっていってました。だからトラブルに巻きこまれたのかと思って。不謹慎ですが助からないかもしれないと思ってしまいました」
フロイはそこで言葉を切る。何か不足していることはないか、考えるように首を傾げている。
フロイの説明ではヴァンは遺棄された移民に助けられていたようだった。かつて、ヴァンがわずかな食料を恵んだ彼らに助けられるのは何の因果だろうか。ヴァンは自らの幸運を噛みしめて、同時に自らの不運を嘆いた。
チーノ。フロイの話を聞いていると、次第に記憶が蘇ってくる。ヴァンは自分が信じてきた友人に裏切られたことを思い出した。この痛みも悔しさも全部チーノのせい。もっといえばチーノを信じた自分のせいだった。そういうわけだから、ある可能性に思い当たるのも当然だった。
フロイがチーノとグルかもしれない。ヴァンがフロイを助けたときから、チーノは目をつけていたのではないか。だとしたら、二人の繋がりを考えるのは自然である。フロイとごろつきが演技をして、それをヴァンが助け、結果的にチーノに繋がる。ありえる話だと思った。
唯一、ヴァンが助けられたというところは不可解であるが、それだって説明がつく。リンチして絶命すればしてくれればいいものを、棄民に見つけられたのが想定外だったのだろう。棄民に偶然見つけられ、他の者の干渉に合う前にフロイが回収したのだ。真相は分からない。だが、いずれにせよ真意はいずれ分かるだろう。フロイの言葉を盲信するわけにはいかなかった。フロイが話している間もヴァンは決して警戒を怠らない。同じ過ちは二度としない――そう誓っていた。彼が真実を話しているか、嘘を話しているのか見極める必要がある。
「ヴァンさん?」
「あ、ああ」
上の空だったヴァンを、不思議そうにフロイが見つめる。ヴァンは慎重に、言葉を選びながら話した。「見つけてくれた経緯は分かった。棄民が瀕死の俺を見つけて、フロイに教えた。そうだろう」
「ええ」
「だが、俺はどうしてここにいるんだ」
「それは――」フロイが口を開いたところで、暗闇から何者かの声がした。「俺たちが運んだからだ」
その少年は音もなくこちらへ近づいてきた。黒い短髪に黒い服といった出で立ちはまるで闇そのものだった。普通、臭いや音をここまで隠すことはできない。なのに気配がまったく感じられなかったのはこの少年がただ者ではないことを示していた。
ヴァンは身構える。こいつは誰だ。もしやチーノの仲間がトドメを刺そうと企んでいるのか。ヴァンは呼吸を整え、相手の出方を待った。が、フロイの方は警戒する素振りもみせず、それどころか少年に自ら近づいていく。
危ない――。ヴァンは口を開きかける瞬間だった。
「レザル……」フロイは胸をなで下ろし、「いたんなら出てきてよ。僕、びっくりしちゃったよ」と次いで非難するようにいった。
「……」
「そうやって黙れば僕が許すと思ったら大間違いだからね」
フロイはまたしてもたしなめる。
レザルと呼ばれた少年は髪の毛を弄りながら、フロイの説教を聞いていた。反省の様子などないが、フロイはそれで不満があるわけでもなさそうだった。ヴァンは拍子抜けした。二人のやり取りを観察していると、どうやら彼らは旧知の仲のようだった。丸っこいフロイの目とは対照的に鋭く冷たい目をしていた。フロイは「どうしてそんなことするの」と親が子を叱るようにいっていたが、やがてヴァンを放置していたことに気づき、ちょこんと頭を下げる。
「あ、ごめんなさい。急に出てきてびっくりしちゃって。――こっちはレザルです。僕の友達の。ほら、レザル挨拶して」
だが、レザルは無言でそっぽを向く。束になった癖っ毛が揺れる。
フロイは困り笑いをして、「人見知りなんです」とごまかす。「誰が来てもこんなんで」
「歓迎されてないようだ」
「そんな……違います。ねっ? レザルも嬉しいよね」
「ああ」見かけより重みのある声にヴァンは少なからず驚いた。「そのままくたばっちまえばもっと嬉しかった」
レザルの皮肉に、フロイは「ひっ」と短い悲鳴を上げる。けれど、レザルは意に返さず、言葉を続けた。
「本当のことだろ。実際、とんだ迷惑だった。棄民は俺たちに懇願してきたんだ。お前を救ってやってくれって。自分たちでやればいいだろうと思ったが、奴らは力がないという。あのときフロイが棄民の声に気づかなければどれほどよかっただろうと思ったくらいだね」
レザルは呆れたようにいう。ずっと触っていた髪の毛が一本抜けたようで、それをつまらなそうに見つめてから、口で地面に向かって吹いて捨てた。
「その割には」とヴァンは口を開いた。「ずっと看病してくれていたみたいじゃないか」
「それはフロイがな。俺は違う。まったく……チャムチャムに限らず、新しいペットを連れてきてどういうつもりなんだか」
「ちょっとレザルやめてよ」とフロイ。「そうやって皮肉ばっかりいうから友達ができないんだよ」
「だがな、こいつは――」レザルはヴァンを指さして、「お前を押し倒したんだぞ。お前が説明できたからいいものの、こいつが離さなかったら」
これには溜まらずヴァンも口を挟んだ。「それは違う。俺はただ夢にうなされて」
レザルは「ふん」と鼻を鳴らし、「夢ね……。信用ならないね。俺にはお前が危険な人間に見える。とにかく、もう目覚めたことだし出ていってもらおう」
「ちょっとレザル! そのいい方はないでしょ」
フロイはレザルを制する。
ヴァンにはわずかな時間でヴァンはこのレザルという少年とは相容れないことが分かっていた。だが、房を出るという点ではヴァンはレザルと意見が一致していた。傷はまだ開いているが、休ませてもらったおかげで体力は回復している。手も足も動く。今のうちにヴァンはチーノを見つけようと思っていた。こいつらがグルであれ何であれ、奪われた鉱石を取り戻し、やられた分をしっかりやり直さないといけない。壁で体を支えながら、ヴァンは立ち上がった。
「そうだな。お邪魔したようだから去ろうとするか。フロイ、助けてくれてありがとう」
「そんな……ヴァンさん。ここを出てどこへ行くんですか」
「決まっている。俺をこんな目に遭わせた奴らに仕返しをしに行くんだ」
「その体で、ですか!? 死んじゃいますよ」フロイはヴァンを引き留める。「ね。レザルもなんかいってよ」
「本人が出たいといっているんだ。好きにさせればいい。俺は役目を終えた。あとは死ぬも生きるも自分次第だね」
ヴァンは歩きながら、レザルのいう通りだと思った。死ぬも生きるも自分次第。この鉱山も弱肉強食の世界だということはよく分かった。ならば、自分は狩る側になるのだ。狩られる側ではなく。ヴァンは足を引きずりながら、ゆっくりと房の出口に向かった。
そのときだった。
「どうしてそんなに素直じゃないの」フロイは急に大きな声を出す。「レザルが助けたくせに!!」
レザルはぎょっとした顔をした。「フロイ!」
「だってレザルいわないから」
フロイは眉間に皺を寄せ、怒っていた。いった、いわない――二人はヴァンそっちのけで口論しているなか、ヴァンはフロイの言葉を反芻していた。助けただって? この皮肉屋のレザルが自分を助けるなんて、そんなことがあるだろうか。ヴァンは俄には信じられなかった。
「本当なのか。助けてくれたのはフロイじゃないのか」ヴァンは口を挟んだ。
「ううん……。違うよ。僕は棄民の人についてっただけ。簡単な治療をしてくれたのも、ここまで連れてきてくれたのも全部レザルだよ。僕は非力だから……。なのにレザルは、絶対にフロイが助けたことにしてくれって、頑固で」
フロイは「ね」と隣で気まずそうにしているツンツン頭の少年を見る。少年は黙って口を閉じていたが、やがて観念したように両手を挙げた。
「ああ、そうだ。だがな、勘違いするなよ。お前を助けたのはフロイを助けてくれたからだ。借りは返したぜ」
レザルはぶっきらぼうにいって、ヴァンに背を向ける。そのままにしておけばいいものを、フロイはレザルの背中をつついてからかった。
「またそんなこといっちゃって、本当は心配なくせに」
「誰が、こんな! 房が狭くなる。早く出ていってほしいくらいだ」
フロイは、ふふんと笑う。
「レザルはここに来たときからずっと変わらないね。でも、いくらレザルがヴァンを追い出そうとしたって無駄なんだけどね」
「フロイ、それはどういうことだ」ヴァンが訊ねた。
「編成を変えてもらったんだ。僕がバルザイ様に頼んで」
「どうしてそんな勝手な真似を」
「だってそうでもしなきゃヴァンさんの行き場がないじゃないか。喧嘩にあったんでしょ? 同じ房に戻ったらまた傷だらけになっちゃう」
フロイの優しさに、ヴァンはため息が出そうになった。思えば、食堂でも自らのペットの身を案じていた気がする。つくづく、フロイは心根の優しい少年だと思う。そして、外見からは想像できないがレザルも同じくらいに。
フロイとレザルは対照的な二人であった。柔らかい物言いをするフロイに対して、物事を簡潔ではっきりと伝えるレザル。そして、素直なところと頑固なところ。もしも自分がルデカル生まれの生粋のルデカル人であったなら、地上で友人たちとこんな関係を築けていたのだろうか。束縛もなく自由に。ヴァンは夢想してしまう。そうして話は巡り、またしてもヴァンがトラブルに巻きこまれた話に及んだ。
「あの男はここでも有名さ」レザルはいった。
フロイも、苦い表情で頷き、チーノのことを評するのである。
チーノは鉱山でも有名であったらしい。新入りを装い、同じく新しく鉱山に入ってきた者に近づき親密になる。そして、自らが見込んだターゲットに高品質の鉱石を見つけさせ、仲間とともに奪還するのだ。その手口のずる賢さを、終始フロイたちは批判していた。特にレザルは顕著だった。食堂での恨みならばフロイが怒るべきであろうが、なぜだかレザルが怒っていた。レザルはフロイの代弁者のように見えた。とにかく総合的に判断するなら、二人はチーノと無関係なようだった。真実に迫った口ぶりではとても嘘をついているようには見えなかった。
疑ってかかっていたヴァンもだんだんと、この少年たちを受け容れるようになっていった。ただ重要なのは、あくまでそれはフロイとレザルがチーノとグルではないという点においてだけであった。
全てを信じるわけにはいかない。その教えをヴァンは身をもって学んでいた。この鉱山では何が起きるか分からないのだ。今日の味方が明日の敵。そんなことだってあるだろう。どうせまた裏切られるかもしれない。今笑っているフロイと、何を考えているか読めないレザルだっていつ裏切るかは分からない。線引きはしっかりしておいた方がいい。それに、自分の目的は鉱石を見つけて鉱山から脱出することである。自分一人が助かるのだから、お仲間ごっこなど無意味なのだ。ヴァンはそう思っていた。
「しばらくここにいさせてもらうことにする」
「本当に!? よかった」
ヴァンがいうと、フロイが明るく笑い、レザルが複雑な表情をしていた。
レザルの表情の意味は分からない。だが、きっとヴァンの真意が読まれているわけではなさそうだ。おおかた悩みの種ができたと嘆いているのだろう。
復讐をするのは後だ――ヴァンはそう考えていた。フロイがいう通り、体をしっかり休める。それから、チーノにはたっぷりお礼をしてやろう。
鉱石がないと鉱山から出られないのだから。
「よろしく頼むよ」
ヴァンは悟られまいと、慣れない笑顔で返す。
そう思ったとき、外から金属音がした。
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