File.5 黎いグラスにランプの明かり

黎いグラスにランプの明かり

眠らない街———そう形容される都市がパークには2箇所存在する。一つはパークで最初に建設された市街、カントーエリア・セントラル。もう一つがセンたちが住む計画学術都市、サンカイエリア・シティである。まもなく午前0時を過ぎようというのに、シティを南北に走るメインストリートは今夜も活気に溢れている。並ぶ居酒屋の看板やダンスホールのネオンが天の川のように瞬き、中央は浮足立った夜行性のヒトやフレンズの雑踏でガヤガヤと喧しい。

しかしメインストリートから一本横道に迷い込めば喧騒は遠のき、薄暗い閑静な住宅区域に迷い込む。そんな場所に、コバシフラミンゴの営む小さな喫茶店はあった。


時刻は真夜中。普段であればとっくに閉店し、店は真っ暗になっているのだが、今夜はまだカウンターのランプが一つ二つ灯っており、店主のコバシフラミンゴはその下にいた。

これから一人、客が来るのだ。眠気覚ましに淹れた、ぬるくなったエスプレッソをだらだら啜りつつ、フラミンゴはその客がやって来るのを待っていた。



ギイと軋む音を立てて扉が開き、冷たい外気と一緒に、ベージュ色の外套を着た客が店に入ってきた。フラミンゴは入り口に目をやり、そこに立っているのが自分が呼んだ客であることをみとめると、


「おや来たね。ここに座りな、セン嬢」


と古ぼけたランプの灯るカウンター席を指差した。来客のセンは小さく頷くと、つかつかと店の中へと入って示された席に腰を下ろし、口元まで覆っていたマフラーを取って丸めてカウンターの上に置いた。


「夜中に急に呼び出して悪かったね。なにか飲むだろう?」

「……体が温まるやつ」


寒さで顔が凍ってしまっているのか、小さくこもった声でセンが答える。


「なら、アレを作ってやるよ。白湯でも飲んで少し待ってな」


フラミンゴは素っ気なく言って、コップにヤカンに入っていたお湯を注いでセンの前に出すと、冷蔵庫から材料を取り出して飲み物を作り始めた。



白湯を二口飲み、ようやく人心地がついたセンはほっと息をついた。


「ああ、生き返る…………おっと、だらけている場合じゃないですね。何か私たちに依頼ですか、マダム?」

「ん……そうだよ。全く、あんたは本当に仕事熱心だねえ」


カウンターに背を向けているフラミンゴの肩が小さく揺れる。


「折角久しぶりに来たんだ、少しは肩の力抜きなよ。頼み事の方は酒でも飲みながらやってくれりゃいいから」

「そんな適当な」

「適当くらいがちょうどいいんだよ。何事ものめり込み過ぎれば、必ず身体に無理が出てくるもんさ。ほれ、あんたが左肩のケガで入院したのもそういうことだろう?」

「うっ……確かにこの間はちょっと無茶をしてしまいましたが……というか、どこでその話を?」

「年寄りの情報網をあまりナメないことだね。フフフ……」


フラミンゴは湯気の立つグラスをセンの前に静かに置き、ニヤリした笑みを投げかける。


「ほら、アイリッシュ・コーヒー」

「ありがたいです。頂きます」


センは温かいグラスに口をつけて一口分だけ啜ると、ぐいと飲み込んだ。


「……はーっ……」


ほろ苦くも甘いコーヒーの風味と、熱いブランデーが放つ芳醇なアルコールの蒸気に包まれて、たまらず大きく息を吐くセン。その顔をフラミンゴは優しく見つめて、


「どうだい? 美味いかい?」


と尋ねる。センはコクリと頷き、また一口啜った。


「そりゃ良かった。そう、適当といえば、そいつのレシピも適当よ。目分量」

「でも、旨い」


グラスから顔を上げてセンが答えると、カウンターを挟んで正面に立つフラミンゴと目が合った。フラミンゴはセンの顔を不思議そうな顔でしばし覗いていたが、やがて目を閉じ、可笑しそうに肩を揺らして言う。


「そうだろう?」


それを見てセンも同じように肩を揺らし、もう一口酒を啜った。


一杯目のアイリッシュ・コーヒーを飲み干して、すっかり身体が温まったセンは、着ていた外套を脱ぎ、丸めてカウンターの上に置くと、


「ねえマダム。そろそろ用件を教えて下さいよ」

「ああ、そうだね。2つあるんだ」


フラミンゴはのんびりと応じると、食器を洗う手を止めてセンの方を向いた。


「あんた、パソコンとかそういう方面に強かったよね」

「ええ、まあ」

「じゃあさ、ちょいとレジを診てほしいんだよ」

「レジですか?」


フラミンゴが指差したレジは、センのいるカウンターの上、店の入口に近いところに置いてあり、


“レジが こしょう しています。おしはらいは げん金で おねがいします”


という手書きの張り紙がされていた。


「それなんだけどね……」


レジをじっと見ているセンの横でフラミンゴは事情を話し始めた。


「今日の夕方に突然おかしくなってね。おかげで電子決済が使えなくて困っているんだ」

「ああ、勘定と機械苦手ですもんね。マダム」

「本当に、レジの電子決済頼りだったから勘弁してほしいね。シティの運営部に問い合わせたら、混み合っているから修理に行けるのは早くて3日後だってさ。全く……

というわけだ。直せるかい、セン嬢?」

「ちょっと見てみましょうか」


センがレジの電源スイッチを押すと、レジの画面がぱっと光り、システムが立ち上がったかに見えた。しかしそこで画面はフリーズし、先に進まないようであった。


「どうだい?」

「多分ソフトウェアの問題かなと。この型のレジは直したことがあるので、できると思います。物理的な破損だと直せませんが」

「いいよ。お願いできるかい」

「わかりました」


センはカバンから取り出したパソコンをカウンターに置くと、レジとパソコンをケーブルで繋ぎ修理に取り掛かった。しばらくの間黙々と作業していると、バックヤードに引っ込んでいたフラミンゴがサンドイッチと飲み物の入ったグラスを2つ持って戻ってきた。フラミンゴはサンドイッチの皿をセンの横に置くと、自分も隣の席に座り、黙々と作業をするセンを面白そうに眺めた。


「診断は終わり。さてと……」


センは息をつき、フラミンゴが持ってきたグラスの酒を一口飲むと、パソコンに何やらコマンドを打ち込み始めた。するとレジの画面がフッと消えたかと思うとまた点灯し、機械の音声がレジのスピーカーから発された。


“Welcome to the Japari-Park. How may I help you?”


「おや。これってラッキービーストの声だよね」


フラミンゴがびっくりして尋ねると、センはそうだと頷いた。


「シティで使われているレジのシステムは、ラッキービーストのAIが流用されていて、定期的に自動でアップデートされているんですよ。どうやら今回はそのアップデートに問題があって、システムがおかしくなったみたいです」

「ほう……ええと、つまり?」

「システムのおかしくなったところを直せば、元通り使えるようになるはずです」

「そうかい、それは助かるよ。今晩中に終わるかい?」

「ええ、やってしまいましょうか」


そう言うとセンは再び黙々とキーボードを叩き始め、カフェの中はキーボードの打鍵音と柱時計の歯車の音を残し、静かになった。

フラミンゴは酒を飲みながら、しばらく真っ暗な窓に映るセンの背中を見ていたが、ふとグラスをコトリと置くと、言葉を噛みしめるように呟いた。


「ホント、世の中どんどん変わっていくねえ」

「どうしたんですか、急に?」


パソコンから目を離し、センがフラミンゴの顔を覗き込む。


「私みたいな年寄りのフレンズにゃ、もう到底追いつけない世が来ているんだなって、あんたを見て思ったのよ。私の若い時分は、あんたのようなお利口さんなんてほとんどいなかったし、この場所だって、船着き場があるだけの荒れ地だった」

「へえ、当時はなんにも無かったんですか」

「そうよ。でもそれが今はどうだい。土地はキレイに均されて、でっかい建物が幾つも建った。ヒトと、利口なフレンズも増えたね。みんなみんな、すっかり変わってしまったよ。そのままなのはうちの店と、あと私くらいなもんかな」


フラミンゴはため息まじりにそう言って自分とセンのグラスに酒を注ぐと、グラスの液面に浮かんで揺らめく橙色のランプの明かりを、遠い目をして眺めるのだった。

フラミンゴは普段このように追憶に浸る姿は見せないため、センにとって今のフラミンゴの表情はとても不思議で、新鮮に見えた。これはきっと酒がそうさせているだろう。


「ねえマダム。折角だから昔の話、もっと聞かせてよ。私、昔のシティとかフレンズのこと、あまり知らないんだ」


センが話の続きを催促すると、フラミンゴは顔を上げてちょっとの間考えこんだ。そしてグラスの酒をぐいと一気に飲み干して深く息を吐くと、


「いいよ。あんたの眠気覚ましと酒の肴になりゃ丁度いいや」

「何だっていいんですよ。何にも知らないんだから」


センの返事を聞いたフラミンゴはやや嬉しそうに頬を赤らめた。


「何か飲むかい?」

「じゃあ、マダムのオススメのカクテルがいいな」

「はいよ」



2つ並んだカクテルグラスに注がれたのは、よくシェイクされた白い色のカクテル。フラミンゴはその片方を手に取り、カウンター越しにセンの手前に置いた。センが作業を止めて、置かれたグラスをまじまじと見つめていると、


「それはホワイト・レディっていう古いカクテル。うちで昔から出してる」


と、カウンターの向かいからフラミンゴの声が届いた。


「綺麗な白ですね」

「そうだろう。まあ飲んでみな」


そう促されてセンはグラスを手に取り一口飲む。


「―――キリッとしてて旨い。目が覚める」

「だろう? こいつは昔からウケがいいんだ」

「昔からっていうと、マダムが若い頃から?」

「そうだとも」


フラミンゴはもう片方のホワイト・レディを手に、カウンターの後ろの壁にそっと寄りかかる。


「私がフレンズになるより前は、ここは何にも無かった。そこに突然パークスタッフたちがやってきて、船着き場といくつかの小さな店を建てたんだ。そのうちの一つがこのカフェだよ。

フレンズになった私がこの店で働き始めたのがだいたい30年前。当時パークで賑やかだったのは東のセントラルと西のキョウシュウエリアだけで、ここに観光客が来ることなんて滅多に無かった。ただ、他に店も無かったから、ここに通りすがった人やフレンズはみんなうちに寄って行ったよ。そんな生活をやって20年経った10年前、シティの建設計画が持ち上がったんだ。そこから先はもう、全てが変わったよ。海を埋め立てて荒れ地を均してさ、その上に建物を沢山建てた。いやはや、ヒトって凄いなと思ったよ。たった10年で荒れ地をロンドンみたいにしてしまうんだから。

そんな中、この店と私だけは往時から何一つ変わらなかった。いや、変われなかった。その結果私は自ずと見ることになったのさ。時代が進むにつれて、朝焼けのようなヒトの文明のまばゆさに魅せられて、変わっていくフレンズたちの姿をね」


柱時計がボーン、ボーンとベルを鳴らした。フラミンゴは話を止めて時計を見ると、針は午前2時を指していた。


「セン嬢、作業の方はどうだい?」


皿のサンドイッチを一つ手にとってかじりつつフラミンゴが尋ねると、センは軽く首をかしげた。


「多分もうちょっとで終わると思います。それで、時代とともにフレンズはどう変わったんです?」

「そうだねぇ、自然よりも文明のなかで生きようとするハイカラ志向な子が増えたかな。シティにいる子たちなんて、そんなのばかりだろう」

「そりゃまあ、“フレンズとヒトの交差点”ってのがこの街のスローガンですから」

「でもその一方で、文明を嫌ったり、文明に馴染もうとしたけど馴染めなかった子たちが、シティから去っていくのも沢山見てきた。きっと文明側と自然側のどちらで生きるかで、フレンズが二極化しつつあるんじゃないかね」

「その区分でいくと、マダムはどっち側になるんですか?」

「どっちでもいいさ」


フラミンゴはつまらなそうに吐き捨てて言う。


「どう生きても良いってのが、ここジャパリパークの良いところだよ。ヒトに憧れて生きるも良し、動物らしくありのまま生きるも良し。全然違う生き方を選んでも良し。単に私はこの場所に30年前に腰を下ろしてしまって、今更生き方を変えるのが億劫なだけだよ」

「……すみません。変なことを聞いてしまって」


センがしおしおと肩をすくめると、フラミンゴは気にしていないと言って首を振った。


「……ただ。ひとつ今も昔も変わらないものがあるね」


フラミンゴは飲み干して空になったカクテルグラスをランプにかざし、しみじみと呟く。


「それは……?」

「そうだね。セン嬢、あんたはパークの外に出て、外の国を見てみたいと思うかい?」

「……? それは、行ってみたいですよ。ロンドンとかパリとか憧れるなぁ」

「生意気だねぇ。自分の足元でさえ分っていないことが沢山あるというのに」


少しムッとしたセンを見てフラミンゴはニヤリと笑みを浮かべる。


「でもそう言えるのは、あんたが若いって証拠さ。若さってのは好奇心なんだ。いつの時代の若い子たちも、好奇心に溢れているから若いのさ。反対に、好奇心が枯れてしまえば年寄りの仲間入り。私のようにね。

あんたやアルマー嬢はこれからを生きていくフレンズだ。どうか好奇心と、命を大切にして生きていってほしいね。くれぐれも危ない仕事に首つっこんで、なんていうことはナシにしておくれ」

「うっ……本当に、一体どこでそんな情報を……」


ギロリと睨まれてすくみあがったセンを、フラミンゴは遠くから微笑ましそうに見つめた。それからそっと背中を押すように、小さいが力のこもった声色で言った


「それが、老い先短い私があんたたち若者に願うことであり、あんたを呼んだもう一つの理由だよ」


ぽかんと口を開けてしばらく固まっていたセンだったが、やや遅れて頬が紅く染まっていくのに気づき、きまりが悪そうにはにかんで、


「……心配してくれたんですね。相変わらず素直じゃないですね」

「あんたよりはマシだと思うけど?」

「ええー、そうかなぁ」


皮肉っぽく笑うフラミンゴに向けてセンは口を尖らせた。そして何か思いついたようにキーボードをカタカタと叩きだした。


「どうしたんだい? 突然」

フラミンゴが不思議そうに尋ねると、センはパソコン越しにクスクスと笑い、Enterキーを強く弾いた。するとレジからラッキービーストの機械音声が鳴った。


“You are much appreciated. I hope you stay around for a long time.”


「……こいつは今、なんて言ったんだい?」


目を丸くしてレジを指差すフラミンゴを見て、センは可笑しそうにケラケラ笑いながら答えた。


「カリフォルニア・レモネード。2つもらえるかしら。私のおすすめ」


それを聞いてフラミンゴもなんとなく察したようだった。フラミンゴはシニカルに舌打ちすると、


「全く、そういうとこだよ」

「えへへ……長生きして下さいね。マダム」

「はいはい」


素っ気なく言って、呆れた笑みを浮かべるのだった。



ギイと軋む音を立てて扉が開く音が聞こえ、フラミンゴは顔を上げて店の入口に目を向けた。いつの間にか窓やドアの隙間からは白い朝日の光りが差し込んでいる。柱時計を見ると午前8時を回ったところだった。


「おはよー。センちゃん来てる?」

「ああ、そこにいるから連れて帰んな」


やって来た客の元気な声を鬱陶しそうにあしらうように、フラミンゴはあくびをしながらカウンターを指差した。


「それにしてもぐっすり寝ちゃってるね。顔も真っ赤」

「そうだね、昨日は大分酒が回っていたようだし」

「……折角だし、起きるまでここで待ってようかな。マダム、コーヒーちょうだい」


いつの間にかカウンターに突っ伏して寝息を立てているセンの隣にちゃっかり腰を下ろし、コーヒーをしつこくねだる来客を、フラミンゴはほんの少しだけ愛おしそうに見つめながら、面倒くさそうに舌打ちした。


「全く、相ッ変わらずうるさいねぇ……あんたたちは」



File.5 おしまい

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