第14話元は元町の馴染みの店で、ピアノを弾く

港の見える丘公園に人が増えて来た。

「カップルばかりだ」

「馬鹿馬鹿しい」

元は、そそくさと逃げ出し、山手方面に歩き出す。


外人墓地を過ぎ、教会を過ぎたあたりで、元町の坂を下る。

坂を下りながら、空腹を感じ、昔馴染みの店を、思い出した。

「あの店なら飯を食えるかもしれない」


元は、坂道沿いの、昔馴染みの店に入った。

看板を見ると昼は洋食ランチ、夜はバーと書いてある。

客は、20人から30人くらい。

全員が何かを食べている。

広めの店の奥にはステージ。

グランドピアノが置いてある。


出迎えたのは、中年の太り気味のマダム。

「おや、元君、お久しぶり」

「ピアノを弾きに来たの?」


元は、ぶっきらぼうな返事。

「まずは飯を食わして、腹減った」

「飯代払うから、弾かないかも」


マダムは、その言葉には対応せず、元の顔や身体を観察。

「顔色悪いしさ」

「ねえ、あんた、痩せてない?」


元は、それには答えない。

「そんなのどうでもいい、簡単ですぐできるものでいい」


マダムは、少し笑う。

「相変わらずだね、愛想がない」

「わかった、何か作る」

「気が向いたら、ピアノを弾いて」

「ゆっくりしていって、話も聞きたいしさ」


元は、横を向く。

「美味しかったら弾く、それでどう?」


マダムは、そんな元が面白いのか、元の肩をポンと叩く。

「ああ、じゃあ、勝負しようじゃないか」

「負けないよ、料理ではね」


実際、料理が出てくるのは早かった。

カレーピラフと甘めのアイスティーだった。

元の口に合ったらしい。

あっという間に、一皿平らげてしまった。


マダムは、その大きな胸を張る。

「どうだ、まいった?」

「元君の好みは、ちゃーんと知ってるのさ」


元は、マダムから目をそらし、「腹が減っていただけ」と一言。

そのままピアノの前に進む。


弾き始めたのは、「ラウンド・ミッドナイト」。

深く沈むようなイントロ、弱目の音が店全体に響きだす。


マダムは、目を閉じた。

「これは霧雨?都会の深夜、静かな霧雨に濡れて歩く」

「いいなあ・・・過去も未来も、わからないけど」

「しっとりと、この瞬間だけの甘美にとろける」


マダムが目を開けると、少し騒がしかった客たちが、食べるのをやめている。

「わかるなあ・・・」

「咀嚼の音も、食器の音も聞きたくない、立てたくないもの」

「元君の呼吸にまで耳を澄ましているよ」

「みんな夢見心地で、ぼおっとして」

「はぁ・・・別世界だ、沁みる・・・心の奥底にまで」


元が弾き終えると、大きな拍手。

アンコールの声も、あちこちから、かかっているけれど、元はぼんやりとしている。

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