父の日(夜光虫シリーズ)

レント

第1話

 「父の日」なんて言葉を聞いたの自体、スタントマンを始めるようになってからだった。

工場で働いていた時はは周囲の年齢層が高く、むしろ貰う側ではないかという人も多かった。

なので、父の日はなにをあげようかな、なんてそんな会話を聞くだけで、ふと不思議な気持ちになった。



「江白さんはなにを貰ったら嬉しいですか?」

「え!?」



 突然女性陣から話を振られ、なんだかドギマギしてしまう。



「いや、江白さんにプレゼントするって意味じゃないですよ」

「わかってますよ、そのくらい」



 いつものヘアメイクはからかうように笑った。



「江白さんも一応父親なんですし、父親って何が欲しいのかリサーチさせて欲しいなと」

「一応なんて言う人に答えたくないですね」

「あー、意地悪〜」



 数人がキャピキャピと笑った。

この明るい空間が養成学校の頃と重なるような気がして、大人になってしまった自分はその外側にいるような気分で見つめていた。



「……俺は別になにも欲しいとかないですよ。元気に暮らしてくれてたらそれで充分じゃないですか?」



 おおー、と歓声のような声が上がった。



「善人過ぎて参考にならないですね。ありがとうございます」

「なんですか!本気で答えたのに」



 言った後に自分でもその恥ずかしさに気がついて、俺はそっぽを向いた。

女性陣はまだキャピキャピとなにか言っている。

男性陣も父の日の事が気になるのか、その会話に耳を傾けているようだった。

あげる側の人もいれば、貰う側の人もいるのだ。

俺は貰う側になったんだな、と、どうしても不思議な気持ちに包まれていた。


 6歳で京劇の学校に入った。

それまでは父親は生きていたし、物心の着いた4歳の頃にはなにかをプレゼントしたような気がする。

その反応はどんなだったろう。

薄情なことに自分にとって一番父親に近いのは、京劇学校の先生だった。

だからといって、やはりなにかしたこともないのだけれど。


 ずっと自分には無縁の日で、これからもきっとそうなんだろうと、勝手に思っていた。

チョコとバニラが父の日を意識してる姿など想像も出来ない。

ただ元気でいて欲しいとしか、本当に思えなかった。



「いよいよ今日は父の日ですね」



 当日。またどうでもいい話に巻き込まれる予感がした。

俺はそそくさと隠れるように「父の日」から逃げた。

あいつらの父親になろうと決めたのは自分の意思だ。そしてエゴだ。

あいつらに、それにまつわる重荷など背負わせる気もなかった。


 ため息をつきながら仕事を終えて、トロリーバスを待つ。

親とは、父親とはなんなのだろう。

自分はとことん向いてないよな、なんて情けなく項垂れていた。

厳しくもなれないし、なんだかじゃれあってばかりの気がする。

むしろ、俺があいつらにお礼を言いたいくらいなんだ。


 余計なことを考えているうちに、バスは到着しぼんやりと乗り込んだ。

実の父親のことはもう、本当に思い出せない。墓の場所さえも知らない。

母親は元気にやってるだろうか。それも知る由もない。

養成学校の先生は…………今年も線香だけだろうか。

なんにせよ「父の日」なんてキラキラした言葉は、自分には分不相応だと感じた。


 バスは段々と見慣れた道へと進んでいく。

空はもう暗く、いつも二人の小さな子供の安否が頭をよぎった。

まぁ、あの二人なら大抵のことには対処できるだろうし、強盗なんかもおっぱらえるだろうけど。

不謹慎だろうか。子供二人に追い返される強盗の姿を想像して少し笑った。

なんかうまいもん食わせてやりたいな、なんて、むしろそう思った。


 バスはしばらくして、自宅の最寄りのバス停へと停まる。

ここから数分の道のりだが、寄り道してなにか買っていこうかなんて、ふと思った。

が、それよりも早く帰りたいなとも思って、足は真っ直ぐと家を目指す。

あの二人がいるから、家へ帰るこの道も、この一歩も大切なものになった。

自暴自棄でふらふら歩いてた時とは一歩の重みが全く違う。


 たどり着いた四合院には、今日も明かりがついていた。

それだけでこんなにほっとするのはなぜだろう。

「父の日」なんてワードをふられてしまったせいで、今日はなんとなくナイーブだ。

そのせいで全てがじんわりと優しく染みていくようだった。


 けれど、そんなことをいえば二人にからかわれるだろう。

気合を入れて、意味もなく平静をたもって、扉を開けた。



「ただいまー。すぐメシ作……る……!?」



 なにかおかしな気配を感じた。

次の瞬間、待ち構えていた子供たちは儀式のように「父の日!」と連呼するのだった。

重荷でもなく、単なるエゴでもなく、きっと俺たちは親子だから。

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