第6話「この街に家を買うから、俺と一緒に住もう。責任を取らせて欲しいんだ」

 ――俺が、こんな少女の身体になったのは2週間ほど前のことだ。

 

 冒険者ギルドが出した直々の依頼。

 通常時よりもダンジョンの深い領域へと潜るという仕事をこなしていた。

 危険はあるが、年に1度は行うような作業。

 慣れという慢心がなかったと言えば嘘になる。


 その結果、つまらないトラップに引っかかってこのザマだ。

 生半可な方法では殺すことのできない不定形のスライムに襲われ、俺はバッカスを逃がすことしかできなかった。あの液体とも固体ともつかないゼリーに呑まれて死ぬことを覚悟した。


 だが、実際にはそうはならなかった。

 意識を失っていたから、何が起きたのかは分からない。

 ただ助けを連れてバッカスが戻ってきてくれたときにはスライムは消え、見知らぬ少女が倒れていた、らしい。


 目を覚ました時に「フランクという男を見なかったか?」と聞かれたのを覚えている。いったい何を言っているんだ?と思ったが、その疑問を口にしたときに異変に気が付いた。


 ――脳みそがとろけるような甘い声。


 とても自分のものとは思えないそれが、自分の声帯から出ていることに気づいて身体が軽くなっていると分かった。

 いいや、頼りなくなったという方が正解か。


 魔術師とはいえ冒険者として平均的には鍛えていた筋力が失われ、背も縮み、肌がすべすべになって体温が少し上がった。胸は殆どないが、自分の髪の柔らかさに驚かされ、女に触れる機会が殆どない俺はしばらくそれだけでドキドキしたが、所詮は自分自身のものだ。手に入ってしまえば感動は長くは続かない。


「しかし、保険が降りないとなると、いよいよ身の振り方を考える時か」


 冒険者アパートの一室、バッカスの部屋。

 ひとつのテーブルを囲み、ウィスキーを傾ける。

 酒はバッカスの趣味でこいつの選んだ酒はどれも旨い。


「ああ。いつまでもお前の部屋に厄介になってるわけにもいけないからな。

 保険金が降りれば、ちょうどいい引っ越し費用になると思っていたんだが」


 女人禁制の冒険者ギルド、冒険者業界。

 そのアパートで、女になった俺が暮らし続けるのは危険が多い。

 先ほどみたいに絡まれることも多いし、いやらしい視線を感じてばかり。

 自分の部屋ではなくバッカスの部屋に入り浸っているのもそれだ。


 冒険者として戦士として、そのデカい図体で見るからに強そうなバッカスの傍に居れば舐められることはない。夜1人で寝ていて不安ということもないからすっかりバッカスに頼りきりになっている。


「俺は別に構わないさ。ただ、お前の方が嫌だろう。

 こんなところに住み続けるのは。家くらい安心できる場所でなければな」


 バッカスの言葉に頷く。

 これで2週間、しばらくは医者のところに居たからここで生活したのは1週間と少しだけど、とにかく息が詰まる。

 自らの生活圏で緊張を解くことができないというのは、心にかかる負担が想像以上に大きいのだ。


「――なぁ、フランク。家を買おうと思うんだ」

「は?」


 こいつはどうして俺が言うようなセリフを言い出しているのだろう。

 アパートに住めなくなったから家を買う、というのは俺のセリフのはずだ。


「この街に家を買うから、俺と一緒に住もう。責任を取らせて欲しいんだ。

 元はと言えばお前がそうなった責任は俺にあるんだから」


 っ――??!!?!


「ど、どうして? お前、酒を買い過ぎて貯金ないって言ってたじゃねえか」

「流石に頭金くらいはあるさ。あとは借りればいい」

「持ち家に興味ないんだろ? お前が買うことはねえよ、バッカス」


 驚きすぎてウィスキーを一気に飲み込んでしまった。

 喉が焼けるように熱い。


「いや、言ったはずだ、フランク。これは責任だと。

 俺はお前に助けられた。剣士である俺が、魔術師のお前を助けられなかった。

 あの日のことはすべて俺の責任だ。詫びのしようもない」


 ――だからその責任を、ひとつだけでも取らせて欲しいんだ。


 そう言葉を紡ぐバッカスの顔がやたらと美しく見えた。

 いや、そもそも出会った時から健康的な美青年だったのだ。

 けれど俺が女になってから、こいつに守ってもらうことが増えて、日に日に実感していく。これほど誠実で顔の良い男がこれだけ近い距離に居れば女は心惹かれていくということが。


 そもそもこいつに女っ気がないのがおかしいのだ。

 まぁ、冒険者稼業だから仕方ないのかもしれないが……。


「……ま、まぁ、待てよ、バッカス」

「当てにしていた保険が降りなかったんだ。もう待つこともないだろう」

「いや、とにかく待ってくれ。流石にデカい話だ、少し考える時間をくれ」


 渋々ながらもバッカスを納得させる。

 このまま放っておくと「家を買ってきたんだ」とか言い出しそうなのが怖いが。


「あと、間違っても勝手に家を買ってくるなよ?」

「流石にそんなつもりはないが、どうして?」

「そりゃ自分が住む家だ。俺も選びたい」


 こちらの言葉に頷くバッカス。

 これで大丈夫だろう。しばらくの時間は稼げるはずだ。


 ……しかし、バッカスに家を買ってもらって同棲か。

 何が怖いって、それを悪い話ではないと思い始めている自分が怖い。

 現状が既にバッカスと同棲しているようなものだし、そこに大きな不満は感じていない。だからこの冒険者アパートを出てしまえば問題は解決する。


 だが、冷静に考えて、バッカスと同棲なんてしてみろ。

 俺はどうなる。ただでさえ身体が女になってしまったというのに、バッカスに養われた日には名実ともに嫁になって妻になってしまうではないか。


「……うーん」


 ウィスキーを傾けながら、ゆっくりとウィスキーを飲み進めるバッカスの顔を見つめる。じっくりと酒を飲むだけでこいつは本当に幸せそうで、そんな顔が昔から好きだった。


「気に入らなかったか? 今日の酒は」

「いや、旨いよ。相変わらず良いセンスだな」


 こちらの言葉に笑みを浮かべるバッカス。

 今のところ毎日違う酒を出してくるあたりが、本当に趣味人なんだよな。


 ――たわいもない話をしてしばらく。

 今日もまたベッドに入る。

 しかし、バッカスの嫁になってしまうという連想をしてから、こいつと同じベッドに入るのは問題だな。

 ようやく慣れてきたところなのに妙にドキドキしてしまう。


 それもこれも冒険者アパートのベッドが備え付けなのが悪いのだ。俺の部屋から上手く持ち出せなくて、どうせ数日のうちで出るから布団を買い直すほどではないと判断した。その結果がこれだ。


 今日の今日まで毎日同衾している。

 バッカスの筋骨隆々で男らしい身体を横にして寝ているのだ。

 すっかり女になってしまったこの俺が。


 ……しかし、これが結構悪くないのが困る。

 こいつは全然いびきはかかないし、寝ぼけていても俺の身体に触れてこない。

 寝返りは打つのだけどそれも最小限で、緊張させてしまっているんじゃないかと悪い気分になるほどだ。


(本当に、たくましい背中だよな――)


 ――父親を知らない俺だが、こんな男が父親でいてくれたのなら、子供は真っ直ぐに育つのだろう。俺みたいにならずに。


「どうした? フランク」


 無意識にバッカスの背中に触れていた。


「いや、触ってみたくなっただけ」

「ふふっ、俺の筋肉は良いだろう? 好きなだけ触って良いぞ」

「今日はもうやめとくよ。明日から色々考えなきゃいけないしな」

「そうか。寝不足は体に良くないからな」


 そんな言葉からものの数回瞬きをしたくらいでバッカスが静かな寝息を立て始める。これだけ速く眠りに入れるのも才能というものだろう。つくづく健康的な男だと思う。


こういう男が適齢期なのに子供を持っていないのは、人類という種の損失だな。

なんてことを思ってしまいながら、自然とため息が零れた。


(……ヤバイな、このままだとメスになる)

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