第11話 昔取った杵柄
うっすらとした月明かりの中、虫の音すら聞こえないほど辺りは静まり返っている。民家は少なくともここからは一キロは離れていて、いずれも明かりすら点っていない。
大きな黄色い屋敷の片隅で、歳の割には背の高いジミーは壁に背中をくっつけて、上方からかかる想定外の重みに思わず唸って言った。
「は、早くしてくれ……ぅぅ。重いよ」
ジミーの肩の上に背の低いピーターが立っている。グラグラとアンバランスに揺れる土台、それに肩にかかる足の裏が揺れる度に食いこみ、ピーターは両目をギュッと絞って耐えていた。
「お願いだよ。早く上がって! 肩が痛いんだ! もう骨が折れちゃってるかも」
ルディは足元の二人の苦情に耳を貸さず、塀の上から屋敷内部を覗き見ていた。
羽虫が群がる街灯が辺りを照らし、植えられた植物が花を広げている花壇の傍には男が二人、腰に剣を帯びて門番をしている。
ルディは足元で悶えている影の形にしか見えない二人にポーチから取り出した手紙を落とし小声で言った。それでもシンと静まり返った辺りにはその声がうるさく聴こえる。
「おい……おい、お前ら。もしおれが今日中に戻って来なかったら、貝殻旅館にいる生意気な女にそれを渡せ。いいな。絶対だぞ」
それだけ言うと、ルディは塀を乗り越え、屋敷側に飛び降りた。
踏み越えた勢いでジミーとピーターはついにはバランスを崩して草むらに倒れ込んだ。
ジミーとピーターは草むらから顔を出し見合わせた。
「……生意気な女って?」
「さあ……」
***
ルディは屋敷の植垣の傍にしゃがみ、気配を殺して門番の動きをじっくりと様子見た。
建物の端からアーチが八つ並び、その内側に座する通路がある。その真ん中に大きな正門が構えていて、その前には黒い服の門番が二人微動だにせず、まるで石像のように立っている。
生きているのか死んでいるのか、はたまた寝てるのかなっと。
「うーん、隙がないんでやんの。こっちは無理だな」
独り言を言って、ルディは広い屋敷の庭を腰を屈めたまま息を潜めつつ進んだ。
屋敷の裏側に回ると、花壇はあるが、表のように華やかな印象はない。レンガ造りの花壇には萎れた花が腐り落ちているだけだった。切り開いただけの森を背にした屋敷は、心無しか妙に気持ち悪い感じがして立ち止まった。
見張りは居ないようだ――ルディは鼻をヒクつかせる。おいしくなさそうな、何かの甘い匂いがする。腕に這い登ってきたアリを潰したときのような臭いだ。
ルディは自分が忍び込めそうな場所をイメージしながら、建物を見た。
〈窓……と、高すぎる。木扉のあるアーチ型の裏口はどうだ? いやいや簡単に見つかるだろ。後は……〉
ふと見た先には、塗られたレンガの黄色〈悪趣味な色だ〉を基調とした屋敷の一角に木を組んだ梯子が見えた。
ルディは窓から見えないよう壁に背中をくっつけ、身を低く近寄って行った。
なるほど。なにかが爆発したような穴があって、レンガが新しく組み直されてるな。屋敷の黄色に塗り替えようと梯子が立てかけられているようだ。
ルディは辺りを注意深く見渡し梯子をズラして登った。その先には一段低くなっている青い屋根がある。そこへと足を乗せたルディは音を立てないように細心の注意を払いながら踏み上がった。
虫のように静かに屋根伝いを進んでいくと窓の一つが開いているのが見えた。
〈へっへっへ~〉
ルディはニヤッと笑い、そっと窓から中を伺った。
顔色の悪い召使いが一人、高そうな絨毯が敷き詰められた通路を歩いて行くのが見える。
〈おっと〉
ルディは一旦顔を引っ込め、通路を過ぎ去った頃に再び覗き込んだ。
壁にかけられたロウソクが心許ない灯りを踊らせ、静まり返った通路を照らしていた。
ルディは窓から身体を滑り込ませて通路に降り立った。
〈さてと、どこかな?〉
ルディは通路の先で十字に分かれている通路の先をチラチラと確認し、手始めに人の気配がない手前にある扉の一つをそっと開けて覗き込んだ。
〈ここは……物置部屋か?〉
四方を棚が囲み、さらに中央にも棚が所狭しと並んでいる。そのどれもに埃を被った白い大きな布がかけられていて、不気味な雰囲気を醸し出していた。ルディは布を少し持ち上げて中を覗いた。
〈……なんだ? これは瓶詰め?〉
水中の中に何かが浮かんでいる透明な瓶が並べられていて、中には平べったい果物のようなものや、なにかの植物の球根のようなものが沈められている。
ルディは目を皿のようにして見ていたが暗くてよく見えない。ポケットをまさぐり、ある事実に気がついた。
〈ああ、そうだ。火打ち点火器は……〉
あの吸血鬼たちとの戦いの中で無くなったんだと思い出され、少し寂しい気持ちになった。ルディは目を瞑り……やがて見開いて絆創膏のある鼻を啜りあげた。
〈さあ、こんな所で道草なんて食ってられないぞ。リンクスと仲間を助け出すんだ。いったいどこにいるだろうか?〉
ルディはその場にあぐらをかいて座り、腕を組んで考え、そしてやめた。
〈ダメだ。やっぱり分かんねぇ。こうなりゃ片っ端から調べてやる〉
ルディは不穏な空気に蝕まれているかのような通路へと戻っていった。
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