第24話 だから言ったでしょ?
カインは拳銃をアルノルトの後頭部に突きつける。撃鉄を起こす音で、アルノルトの呪言詠唱が止まった。
アルノルトはカインの方にゆっくりと振り返る。カインの目は赤い光を灯している。
「答えろ、お前は誰だ」
「アルノルト・パウル、吸血鬼だ」
言ってアルノルトは唇を引っ張って尖った牙を見せた。ご丁寧に爪でコンコンと叩いてみせる。
「本物のな」
「パウル……くっ!」
カインの脳裏に真実だと信号が走る。
「なぜシスターをさらった!」
「神聖なものを穢すのに理由なんか必要か? こいつを吸血鬼にしてやるのさ。今はこのクソ十字架が守ってるが、もう少しで十字架に込められた神聖力を穢し尽くせるんだ。そうしなきゃ熱くて敵わんからな。こいつはな、僕らのように自我なんて持たさせやしない。癒されることのないただただ血を求め続ける卑しいものにしてやるのさ。心も身体も穢して穢して穢して! ジャックの前に放り投げてやるのさ。ハハハハハハハ!」
アルノルトの目が狂気に歪んでいる。
「せっかくの機会だ。教えてやるよ、小僧」
アルノルトは間を開けて、楽しむようにカインを見つめた。
「神聖なものほど、強力な吸血鬼に出来るんだよ。この僕のようにな」
アルノルトは鋭い爪でシスターを指さし言った。
「それにな、こいつみたいな純潔な血を吸う事でも、僕たちはもっと強力な力を得ることも出来るんだ。まさに捨てるところがないのさ」
「だからって、なぜ……なぜシスターなんだ!」
アルノルトはカインを見つめて思案している。
「知らないのか? お前達が父さんと呼ぶあいつは、狼男だ」
アルノルトは今思い出したように狂い始めていく。
「僕の……僕の僕の僕の!」
アルノルトは自分の顔を爪で引っ掻き、傷つけ始めた。
「あの狼男のクソ野郎は美しい妻を食いやがった野郎だ! 産まれたばかりの息子さえもだ! 僕は許さない! 絶対にな! 僕は誓った! 奴に、あいつの大事なものを一つ残らず壊してから殺してやるとな! そのために吸血鬼に魂を売ったんだ!」
アルノルトは悦に入り、仰け反りながら言った。
「これは復讐だ!」
***
どこかで大型の獣の叫び声が周辺一帯に轟く。アルノルトと対峙するカインは注意深く辺りを見渡す。――まさか新手?――カインの目に銀色のものが矢の如く飛んでくるのが見えた。
地響きをさせて、狼男はアルノルトの腹の上に着地を決めた。床を破壊し、両腕を押さえて大きな
透明なチカラで殴り飛ばされ狼男は地面を滑っていく。尖った爪が地面を抉って止まる。
狼男は頭上からの見えないチカラの攻撃を動物的直感で避ける。
地面が炸裂音をさせてチカラの形に潰れた。獣のような手? これがチカラの形か。
狼男は右へ左へフェイントをかけて地を蹴って飛び、アルノルトの顔面に爪を突き立てて引き裂いた。アルノルトは地面に倒れ込んだ。ドクドクと流れ出る血が地面に広がる。
パン、パン、パン、パン。
アルノルトは重症を負い、倒れたまま手を叩く。その身体が重力を無視して起き上がる。
「お見事。だが、こんなもんじゃあ死なんわなぁ」
アルノルトの顔に入った三本の爪痕が復元していく。
腕の怪我もいつの間にか治っている。
狼男は低く唸り、敵意を剥き出しにしている。
カインは狼狽えた。一瞬の攻防に見とれていた。
全身を覆う銀色の毛、長い爪に鋭い牙、金色の瞳。カインはその迫力に気圧されていた。
カインは一瞬、どちらに銃を向けるべきか迷った。
アルノルトはこの隙を見逃さなかった。アルノルトの見えないチカラで、カインの腕を拳銃ごと掴む。見えないチカラでジリジリと腕が握りつぶされそうだ。
「ぐあぁ!」
「形勢逆転だなぁ。さあぁ、ジャック。殺されてくれるんだろうな?」
狼男は微動だにせず、喉を低く鳴らしてアルノルトを見つめている。
アルノルトがゆっくりと腕を狼男に向ける。と、その腕に五本の鉄の棒が突き刺さった。アルノルトの意識が一瞬、カインから離れて呪縛が解けた。カインは後ろに飛んで距離を取る。
ニーナが崩れた瓦礫の上に立っていた。
「間に合った! なに勝手なことしてんのよっ! カイン!」
シャオが猟銃を抱え、息を弾ませ、走ってズレた眼鏡を上げながら言った。
「そうですよ!」
マリアは静かに怒っていた。
「……カイン、家に帰ったらゲンコツだからね。強めで」
「……ごめん」
「それで? 今度は狼男? 勘弁して欲しいわね!」
ニーナは木の杭を浮かび上がらせて身構えた。
「ニーナ、待って。それは父さんだよ」
カインは自分の頭をトントンと指で叩いてみせる。“チカラで読んだ”と言う事だろう。
ジャックは苦笑して、いつもより低い声で答えた。
「ああ、そうだよ」
マリアは驚いて口元に手をやって言った。
「父さん? 父さんもチカラを持ってたの?」
「チカラ……か。お前たちみたいに素晴らしいものじゃないさ」
ジャックは自分の手を、爪を見て、悲痛な顔で言った。
「これは……これはな、ただの呪いだよ」
ジャックはみんなに嫌われるかもしれないと思っていた。こんな化け物の姿だ。仕方ないさ。ジャックは少し寂しさに心を痛めた。そう、仕方がない。孤児院を去る覚悟は出来ている。子供たちの前から消える覚悟も。狼男なんだとバレたのだ。今までのように共に生活するという事には戻れないだろう。
カインはジャックに拳銃を向けて撃った。
ジャックは動かなかった。目を瞑り、着弾するのを待った。撃たれてもしょうがないだろう。それでも……それでもシスターだけでもこの子達の手に戻すんだ。
弾丸がジャックの横をすり抜け、背後に迫っていたゾンビの頭部に穴を空ける。外壁が崩れた事で、いつの間にかゾンビが集まって来ていたのだ。
ニーナはくるりと回り、スカートの下の棒手裏剣を五本飛ばして五体のゾンビを倒す。フワリとスカートが揺れる。
カインは言った。
「父さん、何ボサっとしてんのさ、悪の親玉をやっつけるよ」
ジャックはニヤリと笑って、前のめりに構えて答えた。
「ああ、そうだな」
ジャックは牙をむき出してアルノルトに向かって飛んだ。ジャックの爪がアルノルトの服を掠める。
ジャックの後ろを守るようにマリアが迫り来るゾンビの群れを剣で切り裂いていく。だが、すでに息が上がっている。
ニーナがすかさずスカートの中から棒手裏剣を飛ばしてアルノルトの脚を貫き、周りのゾンビをなぎ倒す。
未だに気を失ったまま運ばれてきたアンバーのそばに膝をつき、マリアを援護するようにシャオがジャックの猟銃を構えて撃った。反動で尻もちをつく。
アルノルトは後ろに飛んで、見えないチカラでジャックを地面に叩きつけた。
ジャックはガクガクと震える足を押さえて起き上がると、すぐそばまで来ていたゾンビの頭を殴り飛ばした。身体を残して飛んだ頭が壁を破壊する。
「グルルォォォォ!」
叫んだジャックは、目にも止まらぬ速さでアルノルトに肉迫していた。ジャックの爪がアルノルトの左腕を切り裂き、腕がちぎれ飛ぶ。
瞬間、見えないチカラに反撃され、横殴りに吹き飛ばされたジャックは爪を立て、地面を抉りながら耐えて、再度アルノルトに向かって跳躍する。
アルノルトのチカラがジャックの頭上から落下し、ジャックは地面に叩きつけられて右腕を潰される。勢いが余って地面を滑り、見えないピンに刺されているように急角度に曲がって止まる。ジャックは片膝をついて、折れた腕をブルりと振ったかと思うとボキボキと音をたてて再生していく。
アルノルトとジャックは睨み合い、隙を伺う。
「はぁ、はぁ、やぁっと追いついたぞ! たくっ! 重たいな!」
「ご、ごめん。チカラ使いすぎちゃって」
ルディはビリーに肩を貸してやって、半ば引きずりながらここまでやってきた。ビリーは疲れを
ルディとビリーは瓦礫の上で眼下で吸血鬼と対峙している銀色の狼男を見て固まった。じーっと見つめ、二人は同時に首を傾げながら言った。
「ネコ?」
反射的にジャックは言った。
「狼だわ! バカタレコンビ!」
「えっ! その声は父さんスか?」
「おぉー! カッチョいいじゃん!」
バカタレコンビは口々に言った。
ジャックは目を丸くした。〈それだけか? 〉
「お前たち、怖く……ないのか?」
ジャックは言うのも躊躇っていた。怖かった。出ていくのは覚悟しているが、嫌われたくはない。
ルディはビリーをその場に残して、瓦礫の残る土手を滑り降りて寄ってきた。
「うん? 全然怖くないよ? 父さんだもん。むしろ、かっけぇ!」
ルディは興味深々といった体でジャックの腕の銀毛を引っ張っている。
ジャックは呆気にとられた。心配していた全てがアホらしくなるほどだ。〈ああ、間違ってなかった。この子達の事をもっと信じればよかった〉
『だから言ったでしょ? あの子たちなら“大丈夫”だって』
不思議と、そう言って笑うシスター・リースの声が聞こえたような気がした。
ジャックは祭壇に横たわっているシスターの方を見た。祭壇から染みでるような黒い霧のようなものがシスターの手足を覆っていた。胸の十字架が弱々しい光で抵抗している。シスターの額には大粒の汗が浮かんでいる。辛そうな荒い息遣いだ。
「今、助けるよ」
ジャックはアルノルトに襲いかかった。鋭利な爪がアルノルトの右腕を切り落とした。が、両腕を失ったアルノルトのチカラの反撃でジャックが壁に叩きつけられる。
アルノルトの切り裂かれた両腕が生え変わるように元に戻っていく。
「なにあれ!? そういえば、あたしの足への攻撃も治ってる!」
ジャックは見えないチカラで壁に押さえつけられながら言った。
「き、吸血鬼の特性だ。アルノルトは“超再生”の特性を持った吸血鬼なんだ」
「へぇ~面白そうじゃん!」
ルディは不敵に笑って火の玉を投げつけた。
「オラアアァ!」
「ちぃっ! 」
アルノルトは火の玉を見えない巨大な手で掴んで止める。
「まだまだぁ!」
ルディは更に二つの火の玉をアルノルトに投げた。
腕の振りに合わせて、ルディとアルノルトの間で見えないチカラとぶつかり、火の玉が爆ぜて散る。
ニーナが左右から棒手裏剣を飛ばしてアルノルトを挟みこみ、脚や腕を捉えて射抜いた。
ルディはオマケと言わんばかりに両手の火の玉を投げつけた。
これは堪らんとアルノルトは、ジャックから意識を解くと両腕を前に突き出し、見えないチカラで火の玉を弾いた。
ジャックは解かれたと同時に壁を蹴ってアルノルトの肩口に噛みつき食いちぎる。
アルノルトはそのジャックの頭を掴んで地面に叩きつけた。
「グアァッ!」
カインはアルノルトを撃った。アルノルトのガードした左腕に穴が二つ空く。
カインの後ろに迫っていたゾンビが掴みかかる。ゾンビの大きく開けた口がカインの肩口に迫るが、気付いたカインはゾンビの頭を押さえてなんとか耐えていた。
破裂音が遠くで聴こえたかと思うと、カインの首元に噛みつこうとしていたゾンビの頭が吹き飛んだ。
瓦礫の上で猟銃を構えたシャオの指先がピンク色に光っている。再び尻もちをついたが、その手がボルトハンドルを引くと金属の乾いた音がした。これでまた撃てる。要領はジャックのやり方を見ていて覚えている。
「ありがとう! シャオ!」
カインはアルノルトに向かって拳銃を構えて撃ち、撃鉄を起こしてさらに狙い撃った。
一発が外れてアルノルトの太ももに穴が空く。
アルノルトが太ももを押さえて膝をつく。
「ぬうっ! 治りが遅い! なんだその銃は!」
ジャックはミシミシと軋む身体を起こしながら言った。
「懐かしいだろう? アルノルト。お前の回転式拳銃だよ」
「な、なんだと?」
「お前が司祭の時、悪魔祓いに使っていたものさ」
ジャックは咬みちぎっていたアルノルトの肩の肉を床にペッと吐いた。徐々にジャックの身体が再生していく。狼男は生命力、つまり再生に特化している。皮肉にもアルノルトと同じように。
「なぜお前が持っている!」
ジャックは眉根を寄せて答えた。
「忘れたのか? お前が神と決別した日、俺も居ただろう」
「忘れるものか! 貴様がすべて奪ったんだ!」
「そうだ! 俺が奪ってしまったんだ! 俺も子供たちからシスターを奪ったお前を許さない!」
「ああ! 僕も許すものか!」
二人は同時に飛んでぶつかり合う、ジャックの両手が見えないチカラと掴み合って力比べをする。
「グルルオォォォォ!」
「ガアァァァァァア!」
ジャックの腕からブチブチと血管が切れる音がするが更に力を入れる。皮膚が裂け、薬指がへし折れる。それでも構わず前へと力を込める。メキメキと音を立ててアルノルトの見えないチカラにヒビが入っていく。
すると、アルノルトの見えないチカラの全容が垣間見えた。巨大な透明な腕だ。それがアルノルトの腕から伸びるように太く大きくなっている。手の大きさは十メートルもある。それが二つ。
ジャックは語るように言った。
「アルノルト、俺は以前、お前と戦った。“サラ”が死んだ次の満月の夜だ。お前に殺されたフリをすればお前の復讐が終わると思っていたんだ。その銃で。お前の手に戻すものもあったからな。結果は重傷を負い、銃を奪って逃げ帰るだけになっちまったがな」
「ああ?」
「だが、お前は復讐に取り憑かれていた。俺が思っていた以上に。傷を負ったお前は吸血鬼に仲間にしてくれと懇願し、その主を噛み殺して支配権を奪った。そうやって吸血鬼の仲間を増やしていった」
「そうだ! 全てを奪ったお前に! お前を殺してやる! 殺して殺して! 八つ裂きにして! このガキ共の血を、目の前で吸い尽くしてやる!」
「すまなかった、アルノルト。お前の妻を、“サラ”を殺してしまった俺を許してくれ。どうかお願いだ。今ならまだ間に合う。シスターをこの子達に返してやってくれ」
「……ふ、ふざけるなぁぁぁ!」
アルノルトはひび割れた巨大なチカラの手でジャックを引き寄せながら前に飛んだ。
アルノルトは引いた頭を思い切り前に突き出し、ジャックに頭突きをした。
ジャックは完全に不意をつかれ、受け身もとれず地面に叩きつけられた。
アルノルトはカインの方に飛び上がっていた。
カインは拳銃を叩き落とされ、背後に回ったアルノルトに巨大な手で掴まれた。
「お前の全てを奪ってやる!」
「や、やめろおぉぉぉ!」
アルノルトはその鋭利な牙をカインの首元に押し付けた。
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