第32話
わたしが『楽園』での幸福に甘んじている最中でも、戦争は続いていました。『敵』は最前線に近い都市をいくつも陥落させており、戦況は大きく傾いていきました。わたしはそれを、ノーラの家のラジオで聴きました。いつの間にか和解し、すっかり打ち解けた義姉キンバリーとともに、お茶を飲みながら、他人事のように聴いていました。
四年。
長く長く続いてきた『敵』との戦争。四年なんて歳月は、数字だけ聞いていれば、大したものには感じないでしょう。
でもその四年は、この戦争において、歴史的な転換期でもありました。最前線である久我山基地ですら押すに押され、軍が誇る最強の機体であるセキレイも、何機も撃墜されました。
セキレイ撃墜の報が流れるたびに、わたしはほんの少しの間だけ『アレクサ』に戻りました。ジョシュアからもショーンからも逃れ、暗くした部屋のベッドの上で、『宝物』の紙袋を取り出しました。そして中を広げ、思案を巡らせました。今日、撃墜されたパイロットについて。もしかしたら、顔見知りの子かもしれないのです。わたしの近しい子どもたちの中で、あの時残っていたのはニコールとアイゼアだけでした。誰かが死ぬのは良くないけれど、それでもあのふたりでなければいいと、わたしは身勝手にもそんなことを思っていたのです。
わたしはこの四年間で、すっかり骨抜きになっていました。軍での生活のことを、わたしはほとんど忘れていたのです。だから軍もきっと、わたしのことなんて忘れたのだろうと、そう思っていました。
しかし戦況は大きく傾いていました。セキレイのパイロットの死亡率はどんどん上がり、パイロットの『製造』は間に合わなくなってきました。軍は藁にもすがる思いで、とある人物を探し回っていたのでした。
そう。それが、わたしです。
わたしひとりなんか取り戻して、いったい何になるのだろうと、わたしは思っていました。でも軍は本気だったようです。イーサンに次ぐ歴代二位の、わたしの撃墜記録。わたしは軍を脱走しましたが、死亡が確認されたわけではありませんでした。だから軍は、わたしを探しました。探し回ってある日、ようやくわたしのことを見つけ出したのでした。
あの日のことは、たぶん、生涯忘れることはないでしょう。
※
その轟音を聞いた時、真っ先に想起したこと。それは『懐かしい』という感情でした。
『心』のない兵器として過ごしてきたわたしには、『過去』とか『思い出』というものがありませんでした。でもあの轟音を耳にして、胸の内側から何かが込み上げてきたのを、わたしは無視することができませんでした。
戦争が戻ってきたという、『恐怖』。
そして四年の歳月の向こう側にある、たまらない『懐かしさ』。
わたしはショーンを抱えて、家を飛び出しました。外にはすでに火の粉が舞っていて、普段は静かでのどかな『楽園』が、どしん、どしんと沈み込むような足音によって、踏み潰されていくのを感じました。
顔を上げました。
巨神。
懐かしい轟音とともにやってきたのは、殺戮兵器でした。都市強襲用の砲撃機を装備した
「うそ……」
なんで?
わたしの腕の中で、火がついたようにショーンが泣き出しました。女の悲鳴が空を裂くと同時に、爆発音が一発、二発と大地を揺さぶります。
爆発音とともに土煙が上がり、わたしは身を伏せました。土煙の向こうで、何かが赤い飛沫を上げて吹っ飛びました。それが近所の農夫の腕だということに気づいて、わたしもまた、声にならない叫び声を上げていました。
殺戮兵器が、こんなにも圧倒的な力を持っていること。そしてわたしはその中でも最強の機体を操り、無慈悲にも『敵』を撃墜していたこと。生身の立場から見上げる、その兵器の恐ろしさと言ったら‼︎
「……」
迫り来る巨神を見上げると、イワヒバリもまた、わたしをロックオンしたようでした。わたしの『心』は『絶望』を知りました。
集落の広場はすでに壊滅していました。ふたりの男のひとりの女、それから一頭の馬の残骸が飛び散った地面の上に、イワヒバリは静かに膝を下ろしました。絶望に包まれたわたしの視界の端で、イワヒバリの手から、こぼれるように人が飛び降りてきて、サブマシンガンをかまえました。
わたしはショーンの体を、へし折るくらいに強く抱きしめました。
そして、襲撃者は言いました。
「アレクサを出せ」
アレクサ。
その名前を聞いた時、わたしの『心』は、今度こそほんものの絶望にぶん殴られ、失意の底に沈みました。広場に落ちている、ちぎれた女の左腕が、助けを求めるように空に向けられているのを見ながら、わたしはそのばに立ち尽くしていました。その薬指の指輪を見て、わたしは目を見開きました。その指輪の持ち主は、腕の持ち主は、間違いなく、義姉のキンバリーでした。
「もう一度言う。アレクサを出せ」
襲撃者の声は女のものでした。顔はヘルメットで隠されていましたが、その声はわたしにとって、遠くの奥深くにある何かを呼び起こしました。
サブマシンガンの銃口が、住人たちの間を行き来します。
「アレクサを出せ」
「そんなやつ、ここにはいないよ!」
怒鳴り声。ノーラの声でした。
わたしはノーラを見ました。太い体はまっすぐに立ちながらも、足は震えていました。襲撃者の銃口が彼女の胸に向き、そして、
「――っ!!」
あの時、自分が叫んでいたのかどうか、それすらも分かりません。
銃口が火を吹き、ノーラのでっぷりした体に穴が開き、血が噴き出るのを、わたしはどこかぼんやりした世界の中で見つめていました。
ショーンが大声で泣いていました。
でもわたしには、それらすべての音が、聞こえませんでした。
ノーラが倒れ、わたしが絶叫し、そしてジョシュアが斧を片手にわたしの元へと走ってきてくれました。
「おい、しっかりしろ! おい、ハリエット!」
アレクサを出せ、アレクサを、アレクサ、アレクサ、アレクサ。
わたしの頭の中で、誰かがわたしを何度も『アレクサ』と呼びました。その声は男だったり女だったり、大人だったり子どもだったりしました。夏の濃い日陰の中でグエン曹長が、バスケットコートの中で、リーランド曹長が、ガブリエルが、ニコールが、アンドリューが、アイゼアが、そしてイーサンとヒナタが、暗闇の中でそろってわたしの名を呼びました。
「アレクサ」
その声が、現実のものだったのかどうか分かりません。
襲撃者はゆっくりとこちらに近づいてきました。サブマシンガンの引き金に指をかけたまま、よく鍛え抜かれた兵士としての足取りで、ゆっくりと、でも確実に、わたしの元へとやってきました。
襲撃者の足が、キンバリーの腕を蹴りました。彼女の靴底が、かつてキンバリーだった肉片を踏みました。
彼女はバイザーを上げ、顔をあらわにしました。見覚えのある顔が四年分の歳月を超えて、目の前に現れました。
――ミハイロワ先生。
口に名前が上ることはありませんでした。その名前はのどで渇いたように引っかかって、それ以上の音にはなりませんでした。ジョシュアが『悲壮』と『憤怒』を混ぜた顔で、ミハイロワ先生を見つめました。
彼の斧を握る手に力が入って、
彼がわたしの前に躍り出た瞬間、
「――」
もう、何も考えられませんでした。
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