第四十二話『楽しくない水族館デート』

 話は数日前に遡る。

 一つの珍事件が起きた。

 夕飯の会話で蒼空がふとこう言った。

「今日桃葉が来て、水族館のチケットをくれた。今度一緒に行こう」

 わたしはこう返した。

「すぐ帰ったの?」

 そしてその返しが驚くべきものだった。

「いや、しばらく僕の部屋で遊んでから帰ったよ」

 それの何が驚くべきかって? モモがせっかくうちに来たのに、わたしに一度も会わずに帰るなんて、明日人類が滅びるかもしれない。

 実は部屋越しに女子の声が聞こえていたのだ。それがモモとは特定できなかったけど。

 楽しそうな声に少し嫉妬したのも事実だが、その相手がモモだとなると更に嫉妬が加速する。

 わたしに内緒で密室で二人きり。

 蒼空にモモを紹介したのが間違いだったかもしれない。

 そうか、これがN○R。もっと読んで勉強しとけば良かったな。

 仲のいい相手二人に同時に裏切られた気分だった。

 とはいえ何をしていたとも言い切れない。声は普通の会話のそれだったし、変にそーいう声が聞こえたわけでもない。

 ここで『蒼空の裏切り者! 実家に帰らせていただきます』とかやった所で、誤解だったら恥ずかしいし、別に蒼空裏切ってないし、むしろモモ×ソラに拍車をかけることになってしまいかねない。

 そんなこんなでダラダラと同棲を続けていった結果、水族館に行く日が来てしまった。


 水族館に入って魚を見ている。…正直あんまり楽しくない。

 どうやら態度に出ていたらしく、蒼空に問われてしまった。

「もしかして、つまらない? 菫、今日元気ないよ」

「そんなことないよ。すっごく楽しい」

「嘘つかないで。何かあったなら言ってくれれば出来る限りのことはするから」

 誤魔化しても、蒼空はしつこく訊いてくる。

「嘘じゃないし」

 拗ねたように言った。

「でも今日一度も『!』使ってないし、積極的に水槽に近づいたこともない。全部消極的なんだよ」

「…それは」

 自分でもわかってる。せっかく来たのに、自分で楽しめてないことは自覚してる。

 蒼空がわたしを楽しませようとしてくれてるのもわかってた。

 だから余計に申し訳なかった。

 この状況をよくする方法は、わたしが本音を話すこと。桃葉に嫉妬していると話すこと。つまりそれは、ずっと隠してきた恋心を話すこと。

「あ、えっと…消極的だったのは謝る。楽しませようとしてくれてたのに、全然ノれなくてごめん。それで、その…」

 蒼空は静かに続きを待ってくれている。

 しかしなかなか言葉が出てこない。

 その時タイミング悪く、アナウンスが流れた。

『まもなく、二階ショー水槽にてイルカショーが始まります』

 蒼空はわたしの手を握った。

「イルカショーだって! 何か言いにくいことがあるのはわかった。だから、言わなくていい。その代わり、これからは全力で楽しむこと。わかった?」

「うん!」

 それを聞いた蒼空は嬉しそうだった。

「それじゃ急ぐよ。早くしないと席埋まっちゃう。ショー水槽ってどっち?」

「えっと、あっち!」

 楽しむ。楽しむ。うん、全力で楽しむ。

 わたし達は、クラゲエリアを後にした。

「ほら、平気だっただろ? 多少の問題は想定内だ。こいつらの雰囲気は問題ないだろ。さ、第4フェーズの準備がある。俺たちは帰ろう。本番は、まだ先だからな」


 イルカが着水し、大きな水飛沫があがる。

「すげー」

 蒼空が隣で感嘆の声をもらす。わたしも同感。

 魚って、あんなに高く飛べるんだ。

 あれ、イルカって哺乳類だっけ?

『続いて、二匹同時にジャンプします。二人とも行くよー!』

 飛ぶ、落ちる。

 勢いよく水が飛んでくる。

 遅かったせいで席が前の方しか空いてなかった。その中でも後ろの方を選択したけど、高く跳ねられるとやっぱり濡れる。

「冷たっ…」

「まだ暑い時期でよかったね。これくらいなら服も乾きそうだし、むしろ気持ちいい」

「うん、そうだね」

 全力で、楽しむ。

 そう思いながら、頭から水を浴びた。


 ショーは終わったけど、その被害は甚大だった。

「びしょびしょ」

「服しか濡れなくて良かった」

「ね」

 だけど服は濡れてしまった。せっかくおしゃれしてきたのに台無しだ。

 それに…

「とりあえず、僕のコート貸すから羽織ったほうがいい。売店でTシャツ買ってくるよサイズは?」

「ありがとう。Mでお願い」

 ブラが透けるなんて、恥ずかしい。

 蒼空のコートを羽織りながら、椅子に座って蒼空の帰りを待つ。

 全力で、楽しむ。今、楽しめてるかな?

「遅くなっちゃったね。買ってきたよ。どうかな? 可愛いと思うんだけど」

 蒼空はTシャツを広げる。デフォルメされたイルカがプリントされていて可愛い。

「ありがとう。センスいいね」

 トイレで着替えを済ませる。

 胸おっきいから、身長に合わせて服買うとキツいんだよね。

 トイレから出ると、同じTシャツの蒼空がいた。

「気に入ったから僕のも買ったんだ。君よりは軽傷だけど濡れてたし。お揃いだね」

 全力で、楽しむ。わたし今、すっごく楽しんでる!

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