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 そして、とうとう運命の一九九九年七月がやってきてしまった。


 幸いなことに大きな戦争は起きていない。だけど、コソボで起こっている紛争が引き金となって、大きな戦争になってしまうかもしれないし、あるいは小惑星が地球に落ちてきたり、宇宙人がやってきたりして人類を滅亡させてしまうかもしれない。


 ぼくとツトムは毎日ビクビクしながら過ごしていた。外にいる時は、いつだって空を見上げていた。恐怖の大王が降ってきてないかどうか確かめるために。


 実は能登という地域はUFOと縁が深い。外浦そとうら(能登半島の西側海岸)の羽咋はくい市なんか、昔からUFOの目撃例が多く、UFOの町と言われてるくらいだ。それに羽咋の近くの押水おしみず町にも、あのモーゼが天浮舟あめのうきふねという一種のUFOに乗ってやってきて、そこで亡くなった、という伝説がある。ちゃんとモーゼのお墓もあるのだ。


 と言っても、ぼくらが住んでいる宇出津うしつには、そういうUFOの伝説みたいなものは特にない。ただ、UFOは関係ないけど、三五〇年前に悪病が流行り、それを鎮めるために牛頭天王ごずてんのうを招いて大きな祭りを行った、という話がある。その祭りは今でも行われている。「あばれ祭り」だ。


 夏になると能登ではいろんなところで「キリコ祭り」が行われる。キリコというのは担ぎ棒が付いた数メートルの高さの奉燈ほうとうだ。大体二十人くらいの担ぎ手で担がれる。地域によって大きさは違うし、珠洲の宝立ほうりゅう七夕祭りや七尾の石崎いっさき奉燈祭のは十メートル以上の高さだったりするけど、形はみな大体同じような感じだ。「あばれ祭り」は能登の中でも毎年一番始めに行われるキリコ祭りとして知られている。町を出ている人たちも、祭りの日はみな帰ってきたりする。


 「あばれ祭り」は毎年七月七日と八日の二日にわたって行われる。一日目は役場前の広場で大きな松明たいまつが燃え、その周りをたくさんのキリコが舞い踊る。小さい頃はぼくらもキリコに乗せてもらって笛を吹いたりしてたけど、今年のぼくらは広場で見るだけだ。というか、祭りそっちのけでぼくらは夜空を監視していた。


 正直、「あばれ祭り」の一日目は、どっちかと言うと普通のキリコ祭りだ。輪島大祭とかとやってることはほとんど変わらない。全然「あばれ」ている感じがしない。


 しかし。


 「あばれ祭り」が本領を発揮するのは二日目だ。この日もキリコは出るけど、街の中を普通に巡行するだけ。この日の主役は「あばれ神輿みこし」なのだ。


 これは普通の神輿みたいな飾り付けが全くない、木目がまる出しの、めちゃくちゃ粗末なお神輿なんだけど、それもそのはず、そいつは海に投げ込まれるわ、火の中にも投げ込まれるわ、最後は八坂やさか神社の前でバラバラにぶっ壊されるという、もうとにかくかわいそうな神輿なのだ。


 最近写真が好きになったというツトムは、父親から借りたゴツい一眼レフに、これまたデカいフラッシュを付けて、あばれ神輿が梶川橋かじがわばしから川に投げ込まれ、そこに飛び込んだ担ぎ手たちにさんざん痛めつけられている様子をバシャバシャ撮りまくっている。


「そろそろ帰ろうよ」


 腕時計を見ながら、ぼくは言った。もう九時過ぎだ。本当は八坂神社までずっと見ていたいところだが、とてもそこまで付き合ってはいられない。神輿が八坂神社に到着するのは日が変わる頃なのだ。ちょうど神輿も川から上がったところだし、これ以上遅くなったら間違いなく親に怒られる。

 

「そうだな。フィルムもなくなったことだし」


 フィルムを巻き戻す唸り音を奏でているカメラをバッグにしまいながら、ツトムが応えた。


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