第14話 柿の手
「まだ休んでいて下さいと言いました」
「わたくしがやっつけた猪狸は?」
傷口を清め、薬を塗って。
体に入る病をやっつけてくれる薬湯も何度かに分けて飲ませながら、ルーシャの体を温めた綿布で拭いた。
翌朝に熱を出したルーシャを休ませて、また薬と食べやすい粥を作って。
夕方にはだいぶ楽そうになったルーシャだったけれど、無理をしたらまた悪化するからと寝かせた。
屋根裏ではなくフラァマの寝台に。
見た目より傷は深くなかった。
しばらくは痛むだろうが、きちんと薬を塗っていれば痕が残ることもないだろう。良かった。
少し元気になったルーシャと、お師様好物の
翌日もそのまま休んでいるように言ったのに、森羊の世話や穴掘りをしていたフラァマのところにルーシャが来た。
熱は下がったし、手持無沙汰なのかもしれない。それとも一人で不安だったのか。
「丸一日置いてしまいましたからね。中から腐ってしまっています」
「初めての獲物でしたのに……」
「……」
武芸に秀でたお転婆お嬢様というのは本当だったらしい。
貴族などだと、狩りを食料確保ではなく武の誇りとして行うこともあると聞く。
ルーシャとしては、自分が初めて仕留めた獲物にそんな思いがあったのかもしれない。けれど夏の屋外に死骸が放置されれば腐るのは当然。
「短槍は綺麗でした。思った以上に頑丈なのと、錆びないよう紋が刻まれていますね」
拾った道具で気にしていなかったが、手入れを怠っても錆びないようなまじないがされている。
猪狸に刺さったままだった短槍を抜いて洗ったらすぐ綺麗になった。
「良い武具は持ち手を選ぶと言いますわ」
「いつから武人になったんですか」
左手で短槍を持って誇らしげに言うので、呆れ半分で苦笑する。
看病しながら聞いたが、咄嗟に体が動いただけだと。とにかく戦わなければと腹に力を入れて猪狸に短槍を叩き込んだ。相手の突進力も利用して。
相手の動きを見る目や瞬発力が優れている。武姫と称されるだけの素質はあるようだ。
「本当にすごい武人なら、もっと大きな猪狸でも怪我せずに倒しますよ」
「それはそうですけど……褒めて下さってもいいでしょう?」
「調子に乗ってまた危ないことをされたら困ります」
中型の猪狸を仕留めただけで武姫とは言い過ぎ。
森にはもっと危険な相手も少なくないし、相手が単独とも限らない。
「今回はその程度で済みましたけど。もっと痛くて、傷によっては何日も高熱に苦しんで死ぬこともあるんですから」
「そう……うん、そうですわね」
フラァマの気持ちを理解したのか、短槍を握り締めて頷き、もう一度頷く。
「わたくし、もっと鍛えなくてはいけませんわ」
「……」
伝わっていなかったのか、間違って伝わったのか。
成長しなければいけないのは事実だから否定はしないけれど。
「森で生きていくには知恵も必要ですから、勉強もですよ」
「そうね。お願いしますわ、フラァマ」
誰かに何かをお願いされるというのは、面倒なようで、頼られていると嬉しい気分も混在するのだなと知った。
フラァマにも知らないことがある。
世界には知らないことの方がたくさんあるのだ。近しい誰かの温もりに溶けてしいそうな自分だとか。
◆ ◇ ◆
森羊と猪狸を埋めて他のことも済ませる。
畑の中、一個だけ妙に大きくなってしまっている魔里参があった。明らかに他より大きい。
けれど収穫するには赤みが足りない。ほんの薄っすら葉っぱにも赤みが漏れるくらいがいいのだけれど、まだ。
とりあえず後回しにしてルーシャには家に籠るように言った。まだ怪我が治っていないのだから。
フラァマは少しだけ家を離れたい用事がある。
その間は戸締りをして、絶対に外に出ないように。
「それではフラァマが入れませんわ」
「狼が帰りました、と言いますから。そうしたら開けて下さい」
「なんで狼なんですの」
お師様が言うのだ。フラァマを留守番させる時に。
悪い人間や、何か悪いものがお師様の振りをして入ろうとするかもしれない。
だけど自分を狼だとは言わないだろう。だから狼が帰ったと言うまで開けてはいけないと。
「本物の狼なら名乗りませんし、悪意ある人間も狼だと自己紹介しないでしょう?」
「妙なところですれた考え方をしますわね。わかりましたけれど」
悪いことをしにきたぞと言って近づく者はそう多くない。
だから狼と名乗った時が本物。ひねくれたお師様の考えはフラァマにも根付いてしまっているようだ。
窓も戸も丈夫な
普段は井戸などを使うけれど、魔法の道具で中だけでもしばらくは生活できる。日常は森の生活に合わせているだけ。
お師様が遠出する時の用心。実際には一人でも外に出ていたが、非常時の備え。
「
「柿持熊?」
戸口で閂の説明をしながら、ルーシャが知らない生き物だと聞き返す。
名前の通り果実を好む熊だが、巨体で木登りをするので筋力は相応にある。意外な俊敏さもあって、森で出くわすと危険な獣だ。
「普段は四足の熊ですが、威嚇する時は後ろ足で立つんです。そうすると見える手の肉球がちょうど柿みたいで」
「オレンジ色?」
「ええ、好物の柿をいつも握りつぶしているみたいな」
「あんな感じ?」
「あんな――」
ルーシャの視線を追う。
敷地の外。ちょうど先日猪狸が突っ込んできた方向と同じ。
柿を握ったような手が向けられていた。
こちらに向けて、鋭い爪と共に。
◆ ◇ ◆
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