第12話 悪意の手
「忌吐きが……近くにいますのね」
「……」
死んだ森羊。一頭だけ。
少しばかりお腹が大きい。先日から乳を出すように
現実に孕んでいたわけではないけれど、生命力的な気配が強かったのかもしれない。
だから先んじて狙われた。
フラァマやルーシャ、他の森羊とも違って。
忌吐きが力を取り戻したのは確認できた。
それを幸いと考えてもいいが、どうしても座りが悪い気分だ。
生餌として囮にしたような。
「フラァマ」
森羊の亡骸の前に座り込んだフラァマの肩をルーシャが掴む。
意外と力強く。
「しゃんとなさい。その子の為にも」
「……わかっています」
「後で、弔ってあげましょう。忌吐きを退治してから」
「……はい」
獣を弔うような習慣はない。そういう感傷はいちいちしていられない。
けれど、フラァマ達の盾となってくれた。そんな獣を悼む気持ちくらいあってもいいだろう。
共に生きる命。
それと反し、決して相容れない存在。
忌吐きのようなものをこの森に残しておけない。絶対に。
「他の二頭は納屋のようですわ」
「一昨日のルーシャの反撃でばらばらに散って意識がまとまっていなかったでしょう。生き物を襲う程度に回復したところに森羊がいたのかと」
生命力が溢れる森羊。
手の届いたそれに食らいついた。そんなところだと思う。
「忌吐きは作られてから三度目の夏至、冬至を越すと勝手に消滅するそうですが、それまでは目に付いた生き物の命を奪います」
「待っていられませんわね」
「おそらく狙いは私たちですから。探さなくても出てくるでしょう」
森羊を食って意識を取り戻しているのではないか。
家の中に逃げ込む手もあるが解決にならない。
フラァマ達が逃げて、その間に森羊や周りの木々を枯らされても困る。
あんなものに怯えてお師様が帰ってくるまで息を潜めて暮らすなんてごめんだ。
必ず退治する。
自分たちと森の普通の暮らしを守る為に。
倒す手段は用意している。必ずできるはず。
フラァマは知っている。だから問題ないと考えた。
フラァマは知っていたはずだった。
忌吐きは元人間で、人間は目的を果たす為に道具などを利用して獲物を追い込むことを。
他人と関わらず生きてきたフラァマだから、悪意を抱く人間の知恵を見落としていた。
◆ ◇ ◆
森の木に日が隠れ、景色がずいぶんと赤い。
このまま暗くなれば危険。やはり今夜は家で守りに徹しようか。
逆に、暗がりなら青く光る忌吐きの位置がわかりやすい。戦いやすいとも――
「ルーシャ!」
じゃりと、石を蹴る音が聞こえた。
忌吐きが足音など有り得ない。一瞬の迷いの後、砂利の音が続いた。そこで気付く。
「獣ですっ!」
「BuGoaaa!」
「やあぁっ!」
唸りを上げて飛び掛かってきた塊に、ルーシャが握り締めていた短槍が叩きつけられた。
咄嗟に払った槍の穂先が獣の肌を削る。
叫び声は、たぶん忌吐きが現れた時にと息を溜めていたのを吐いたのだ。
「当たりましたわ!」
「は、はいっ!」
体高はフラァマの腹くらい。若い成体。もっと大きな個体ならルーシャの槍で払えなかっただろう。
森の方からフラァマに向かって突進してきた。
前足は爪の長い手の形で、獲物や木の実を押さえつけたり穴を掘ったりできる。
前足の倍ほど太い後ろ足には分厚い蹄があり、大木も揺るがすほどの勢いで突進する。この大きさならそこまでではないけれど。
岩のように硬くなった鼻は、ぶつかった相手を擂り潰すこともできるらしい。
「ルーシャ!」
「っ!?」
説明している暇はなく、ルーシャに抱き着いて転がった。
泥に転がるフラァマとルーシャのすぐ上を、黒い塊が風と共に通り過ぎていく。
近くに忌吐きがいるはずだと見回していて良かった。
普段は樹上にいて、獲物を見定めると両手両足を広げ滑空して襲ってくる。
鋭い爪と牙。両手足の間の皮膜が翼のように風に乗る。羽ばたいて軌道を変えることも。
大きさはフラァマの膝より大きい程度。普通は木の実を食べるが、自分より小さな生き物なら肉も食う。
人が襲われることは滅多にないと聞くが、ないこともないと。
まさに今、襲われた。
「黒跳鼠です」
「あ、危なかったですわね」
「なんで獣が……」
立ち上がり短槍の切っ先を猪狸に向けるルーシャと、畑の方に消えた黒跳鼠を探しつつルーシャの死角を補うフラァマ。
口に出してから、疑問の余地はないと歯を噛み締めた。
「忌吐きが追い込んできたのでしょう。獣もあの気配は嫌いますから」
「やってくれますわね」
「……」
危険が忌吐きだけだと思い込んだ。
力を取り戻した忌吐きが、手近な場所にいた獣をこちらに追い込み、気の立った獣がフラァマ達を襲う。
本来なら襲ってくる理由もないけれど、忌まわしい気配に興奮した獣なら有り得る。
忌吐きへの対策はあるけれど、こんな横槍で集中できないのでは――
「BBuuuu……」
じゃ、ざっ、と。
叩き払われたルーシャへの敵意を露わに、前足で砂利を掻きながら呻く猪狸。
畑に消えた黒跳鼠の位置はわからない。破壊力では猪狸ほどではないが、俊敏さではこちらの方が厄介だ。
「イ……イヒィァ……」
猪狸の後方、日が陰り闇に近くなった木々の中に、青くぼんやりと浮かぶ。
下卑た笑い声と共に。
「キィヒョァァァッ!」
「BRuooo!」
奇声と怒声を重ねて、フラァマ達に襲い掛かってきた。
◆ ◇ ◆
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